第54話 プランABC(1)
自身の手も見えぬような暗闇を往く、
不安に胸をむしばまれながらも、それでも男たちは、オールを漕ぎつづける。
不意に、船上に光が充ちた。
対岸の灯台からの光が、まっすぐ小舟に注がれている。
真昼と見まごう明るさの中で、男たちが、歓声を上げた。
今の俺の心象風景は、こんな感じだった。
どん詰まりだった状況が、劇的に好転した。
拉致監禁されていた虎太郎が、怪盗団の連中の目を盗んで、俺たちと連絡を取ることに成功したのだ。
「声を風で運ぶのははじめての経験でね。まして今の僕は、装備品も取り上げられてしまっている。はじめはさぞ、不快な音に聞こえただろう。すまなかったね」
虎太郎の声が、いつもと何ら変わらないことに、俺は、救われた思いである。
「ああ、良かった。虎太郎が無事で。本当に良かった」
俺は、歓喜の涙雨を降らせる。
「やれやれ。ほっとしたよ」
ユウ君も、安堵の息をこぼした。
『さっそく、情報交換をはじめようか』
感傷に浸る間もなく、事務的に物事を進めようとする態度は、実に彼らしい。
『まずロッジ内の間取りを伝える』
虎太郎が言うと、
「ああ」
ユウ君が、足で砂利をどかし、やや湿った地面を露出させた。
『まず、入り口、そこから廊下が左右に伸びて――』
虎太郎の証言通りに、ユウ君の指が、土をえぐる。
程なくして、ロッジの見取り図ができあがった。
虎太郎の現在地点に、ユウ君が白い砂利石を置く。
「で、あいつらはここと」
怪盗団の二人のいる地点には、俺が、黒っぽい石を置いた。
「ふむ。いい」
「うん。いい感じに、虎太郎と怪盗団が離れてる」
犯人と人質が同じ部屋にいられては、こちらの行動はかなり制限を受ける。
犯人が人質に銃口を突きつけてしまえば、こちらに出来ることは何もない。
「警察マンガで、そんなシーンがあった」
俺が言うと、
『マンガを参考にして、僕の救出作戦を立てないでくれよ』
と、虎太郎が不安げになった。
「大丈夫、救出作戦を立てるのは、虎太郎だから」
『えっ!? 人質の僕が、自分で作戦を立てないといけないのかい?』
虎太郎が声を上ずらせた。
『君たちのやりたいようにやってもらおうと思っていたんだけど』
「いやいや、そんなのはダメだ。だって、俺とユウ君はバカなんだぞ」
「わ、私がバカ」
ユウ君が目をむく。
「うん。俺と良い勝負」
「それは失礼だろう。このロッジに来るまで、私が、どれだけ適切なエスコートをしてみせたか」
「うーん、ぶっちゃけイマイチだった」
「なに!?」
「虎太郎がこの場にいたら、もっとスマートに説明してくれるだろうな、って内心思ってた」
「私におんぶに抱っこだった癖に、そんな失礼なことを思っていたのか!」
『あー、二人とも、僕が捕まっている現状だけは、忘れないようにね』
いつも通り過ぎるやりとりに、虎太郎がさらなる不安をかき立てられたのか、声音は重い。
「す、すまん、トラ君」
「ごめんよ、ユウ君が空気を読まなくて」
「!」
彼女が、刺すようなまなざしで、俺を見ている。
『やれやれ。じゃあ、僕を救出する作戦を、人質である僕自身が立てさせてもらおう』
虎太郎が首を傾げたような間があって、
『なんか、すごく妙な日本語を使っている気分だ』
と、ぼやいた。
「気のせいだって」
「まあ、トラ君がリードしてくれた方が、確実ではある」
「だろ」
一番頭が良いだけでなく、内部の情報にも一番くわしい。
頭脳労働は丸投げして、俺とユウ君は肉体労働に専念するのが、適材適所だ。
「私は、西中ではけっこう頭が良い方だからな」
ユウ君は、まだ言ってる。
『まずは、君たちのロッジ内部への潜入ルートの話だ』
「さっき外観をぐるっと眺めたけど、どこにも入れそうな隙は見当たらなかった」
『元々が要塞だという話だしね。シンプルに窓から潜入するのが一番だろう』
「窓?」
俺が、ロッジに目をやる。
窓らしきものは、確かに備え付けられていた。
現代日本のような、ガラス製の横開き型ではなく、壁の一部を上に開く、ひどくシンプルな構造だ。
「分厚すぎて、破るのは無理そうだけど」
『僕が、内側から留め金を外しておくよ』
「できるのか?」
『そのくらいは風でどうにかなる』
「さすがは、虎太郎」
これで、一番の難点と思われていた、侵入路の問題がクリアされた。
やはり内部からの手引きがあるとないとでは、大違いだ。
「怪盗団の二人にバレないように、こっそりと中に入って、後は虎太郎を連れて、そのまま窓から出て行けばいい」
「ロッジから出る必要なんてないさ」
「え?」
「
「あ、そっか」
光晶とは、この世界に存在する、特殊なアイテムで、鉱石でありながらスキルを使うことができる。
そのスキルとは、自らが砕け散るときに、周囲の人間を、自身の産まれたシエナの地下洞窟まで瞬間移動させるというものである。
原理や構造には、まだまだ不明な点が多い。
だが、理屈や意味なんて、便利さの前には、とるに足らない。
俺たちの世界の飛行機や船だって、出来た頃には、まだその浮く原理がきちんと解明されてはいなかったという。
この光晶だって、同じようなものだ。
『そうだね。僕の捕まっている部屋の窓から入って、ただちに光晶を使用する。それが一番、安全なプランだ』
「ああ、よかった」
「どうした?」
「いや、このゲラ火山を下る必要がなくなったからさ」
ここまで登る工程で、死ぬような思いを何度もしたのだ。
あれをもう一度やって、無事でいられる自信なんてなかった。
「そうだな。特に、夜が更けてからのゲラ火山は、一層危険が増すしな」
虎太郎が議長を務めた作戦会議は、順調そのもので、細かい点を二、三詰めると、後は離すこともなくなった。
「いやあ、希望が出てきた。正直、この頑強なロッジを目の当たりにしたときは、どうなることかと思っていた」
明るい声が口をつく。
「善は急げだ。さっそく虎太郎を助け出そう」
俺がロッジに近づこうとして、
『ちょっと待って』
と、その虎太郎に止められる。
「どうした?」
『君たちに大事なことを話しておきたい』
虎太郎が改まった声で言った。
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