第50話 その正体

 眼前にそびえる、中規模の木造建築物。


「ついに、ついに俺たちはたどり着いたんだ」


 苦難に次ぐ苦難を越え、絶望に次ぐ絶望に屈せず、俺とユウ君は、ゲラ火山三合目の山小屋ロッジを前にする。


「うっ、くくく」


 不覚にも、熱いものがこみ上げてきた。


 だが、俺の隣に立つユウ君の表情に、歓喜の色は微塵もない。


「――」


 それどころか、戦前いくさまえのような緊張感に引きしまる。


 当然である。


 時はまさに戦前せんぜん。ここは、さっきまでの俺たちにとってのゴールに過ぎず、今やただの中継地点に過ぎないのだから。


 俺は、先走った感涙をあわててぬぐう。


 すでに状況は次のステージに上がり、これから俺たちは、虎太郎救出作戦のもっとも重要な局面を迎える。


 つまりは突入だ。


「でも、具体的にはどうしよう?」


 正面の扉からバカ正直に攻めては、虎太郎が人質として有効活用されてしまう。そういう状況はもちろん避けたい。


「こういうときのセオリーは、電撃的な奇襲だな」


 言うと、ユウ君が、つま先の向きを、ロッジの正面扉から外す。


「とりあえずは偵察だ」


「う、うん。どこかに潜り込める隙があればいいんだけど」


 俺たちはロッジ外縁をぐるりと歩きだす。


 ロッジ。この名称をはじめて耳にしたとき、俺が内心で想像していた代物は、故郷・町村市にある、安スキー場のオンボロ小屋だった。


 すきま風が吹きすさぶ築40年もので、『外でかまくらを作った方が快適』という、一貫した評価を得ている。


 ところが、実際に目の当たりにしたこれは、想像とはまるでかけ離れていた。


「なんて立派な木造建築だろう」


 実に、国際大会が開催されるようなスキー場にあってもおかしくない一棟。


 その見事さに、場違いにもめ息をこぼれた。


 しかし、俺のこのような印象もまた、この建物の真の姿を捉えてはいない。


 歩きながら、様々な角度からロッジに眼を凝らすことで、


「こ、この建物は山小屋ロッジなんかじゃないぞ」


 と、俺は、ようやく正鵠を射た。


 人間の進入路どころか、ネズミ一匹入る余地すらない。


 ロッジとしてはあまりにも防衛力が高すぎた。


 頑丈な部材で、高強度の構造を組み、それを何層にも重ねる。


 できあがるのは、頑丈×頑強×堅牢。


 まさに木目の城塞とも言うべきものが、俺の眼の前に立ちはだかっていたのだ。


「ロッジというのは、あくまで俗称だよ」


 ユウ君は、俺の察しの悪さをたしなめる口調だ。


「モンスターの徘徊する危険地帯に、のんきに宿泊施設を作るわけがないだろう。この建物は、本来『橋頭堡きょうとうほ』として作られたんだ」


「橋頭堡? 敵軍を叩くためのとっかかりの建物だっけ」


「へえ。よく知ってたな」


「ふふふ。昔戦争漫画で勉強した」


「それは勉強に入るのか?」


 ちなみにここでいう敵軍とは、言うまでもなくモンスターを指す。


「十数年前、シエナの街に存在した、〈ゲラ火山解放戦線〉という組織が、この要塞を建てた」


「ちょっと待ってくれ。今なんて言った?」


「ん? 〈ゲラ火山解放戦線〉」


 およそ一万人が住まう都市・シエナの喉元に、上級モンスターがひしめいている状況は、古くから住民たちの頭痛の種であった。


 モンスターを駆逐し、ゲラ火山を人間の手に解放する。


 崇高な旗印の元に集いし英雄たちの組織こそが、〈ゲラ火山解放戦線〉であった。


「いや、そんなのどうでもよくって」


「どうでもよくはないぞ。シエナの街では今でも語り継がれる悲劇の英雄伝説だ」


 人々のために集いし戦士たちだったが、強大すぎる皇鳥オオトリの前にはかなくも散っていく。


「悲劇のストーリーは演劇化もされ、異例のロングランだ。私も篠原と一度見たな。……そうだ。あれに感動したあいつが、戦士たちの仇討ちとか言い出して、私は酷い目にあったんだ」


「どうでもいいから。そんなプチ情報」


 俺が聞き逃せなかったのは、ただ一言。『十数年前』というフレーズだけであった。


「このゲームができたのはごく最近だろう」


 このゲームの最初期プレイヤーのユウ君や会長でも、まだプレイ期間は半年に満たない。


「第一、そんな昔にスマホアプリがあるわけがないじゃないか」


「ああ、珪ちゃんは勘違いをしているな」


「へ?」


「あのアプリ。私たちのスマホに勝手にインストールされていたアレは、どこまでの性能を持つものか、まだ判然としていないんだ」


「? いや、分かりきってじゃないか。あのアプリを立ち上げることで、この仮想現実ゲームの世界に、俺たちはログインできる」


 あのアプリは、この広大な疑似世界を内包する、いわば箱庭だ。


「箱庭とは断定できない。あるいはただの門に過ぎないのかも」


「……はい?」


「この世界は本当にあのアプリの中にあるものなのか? ひょっとしたら、あのアプリは単なる転送システムの役割しか果たしていないんじゃあ無いか?」


「あっ!?」


 その視点は、俺から完全に抜け落ちていた。


「こ、この世界は、ゲームじゃない可能性がある」


「そうだ。この世界は、ひょっとするともう一つの現実世界。いわゆる異世界?」


「そ、その根拠は?」


「篠原は、この世界の生物にリアリティがありすぎることを、気にしている」


 そういえば、つい先ほどもその話題が出た。


「ここのモンスターたちが、単なるゲームのかたき役じゃないとかどうとか?」


「そうだ。モンスターたちの作り上げる生態系。人間たちの積み上げてきた、伝統、歴史、文化、風習。どんな天才クリエイターであっても、ここまでのものが人為的に作れるとは思えない」


「た、確かに、シエナの街のNPCたちは、あまりによく出来ているけど」


 何より驚かされたのは、彼らがミスを出来るということだ。


 うっかりミス。無気力ゆえのミス。張り切りすぎのミス。


 彼ら彼女らは、実に様々な失敗をこなす。


 俺はプログラムの門外漢だけど、機械というものが決められてことを決められたとおりにしかできないことくらいは知っている。


 ミスという、あらかじめ定められていないことが出来るということは、どんな難解な問題をこなすプログラムより、ある意味遙かに優秀なのではないだろうか? 


 もちろん、役に立つかどうかは別として。


「ま、すべて可能性の話に過ぎないがな。この世界がやはり仮想現実である可能性だって、もちろんあるんだ」


 その場合は、この世界の全ての生物は、数千年分の記憶やら伝統を持った状態で、数ヶ月前に誕生したことになるのだろう。


「ああ、頭が混乱してきた。そんな大事なことを、こんな時に話さないでくれよ」


「前にも話ただろう!」


 ユウ君が言うには、以前俺の家に泊まり込んだ際、この話題を会長と虎太郎が真剣に話し合っていたとか。


「ぜ、全然覚えていない」


「やっぱりな。絶対居眠りしてると思ったんだよ」


「起こしてくれれば良かったのに」


「起こそうとすると、パチっと眼を開けて、「寝てないからね」と言うんだ」


「そ、そうだっけ」


「まあいい。今はどうでもいいことだ。今私たちが専念すべきは、トラ君を無事に助けだすことだけ」


 ユウ君は再び歩みを進める。


「そうは言うけど」


 あまりに重大な事実を告げられ、俺は足を止めて、少しの間黙考した。


 結論はすぐに出た。


「ユウ君が正しい」


 早足で彼女の後を追う。


(確かにこの世界の成り立ちには、知的好奇心がくすぐられる)


 この世界は何なのか? 何処なのか? いつからあるのか? どうやって生まれたか? なぜ存在するのか?


(この世界に存在するという三柱の神とは何者なのか)


 世界というものに対する壮大な疑問は、多くの人間が人生を捧げるような一大テーマであろう。


(でも、今の俺にはひたすらどうでもよい)


 その意識は、虎太郎が捕らえられている、小規模な城塞にのみ注がれる。


 友達がさらわれて、助けを求めている。


 その声に応える以上に重要な事など、一人の人間にいやまけいたにとって、絶対にありはしないのである。


 俺たちは、城塞ロッジの偵察を終えた。


 一つの結論が得られた。


「潜入は不可能だな」


 悔しいが、ユウ君の言葉にうなずかざるを得ない。


「せめて中の様子だけでも分かればなあ」


 青紫の闇が、藍色を経て、いまでは漆黒に至る。


 すぐ傍のユウ君の顔すら、もはやはっきりと識別できない。


 山の冷たい夜風が、俺たちの肌を刺す。


(……やはり、……二人、……)


 風の中に不明瞭な音声が混じっていたことを、俺は風のいたずらとしか認識できなかった。


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