第47話 火山の皇

 ゲラ火山、二合目。


「こ、ここを登るの……」


 俺の視界を覆い尽くす、岩、岩、岩。


 でたらめに積み重ねられた岩石群が、俺たちの行く手を阻んでいた。


 熟練のクライマーですら、ためらうような難所であろう。


「問題ない。私たちは、ジョブによるパラメーター補正を受けている」


「うう、虎太郎のためだ」


 頭の中で、登攀とはんするラインを描くと、おそるおそる、一つ目の岩に手をかけた。


「あ、その前に一つ注意しておくことがある」


「?」


「珪ちゃんは、あの岩が何か気にならないか?」


 ユウ君が指さしたのは、俺が五番目に手をかけようとして岩石である。


「……特に変わった所はないけど」


 色といい形といい、目を引く個性はない。


「しいて言うなら、若干亀裂が多いかな」


「それはつまり、珪ちゃんの命は、後一分足らずということだ」


「へ?」


 ユウ君が、足下の石ころを拾い上げると、件の岩に投げつけた。


 コォーンと、予想外に軽やかな音がした。


「キシャシャシャ!」


 なんと、岩が声をたてた。


「わ、わ!?」


 驚く俺の眼前で、さらに驚くべき光景が繰り広げられる。


 岩中に走っていた亀裂に沿って、岩が細かく分割された。


 岩殻が折りたたまれ、内包されていた各部が展開される。


「シャシャシャシャ!!」


 先ほどまで岩だった物体が、巨大サソリに変貌していた。


 大きなハサミをバチバチと打ち鳴らす。


「こいつは、可変蠍ヴァリアブル・スコーピオ。その名の通りに、可変する肉体を有する特殊なモンスターだ」


「へ、変形能力を持つモンスターだって! ……な、なんてカッコイイ!」


 その恐るべき生態におののくべき場面で、俺は、つい少年魂を発露させてしまう。


「呑気なこと言ってる場合か!」と、一喝される。


「し、仕方がないんだ。こんなの、目を輝かせない男子がいるもんか」


「キシャシャ!」


 岩塊蠍が、ピョンと跳ねて、俺たちと同じ高さまで降りてくる。


 禍々しい色合いの尻尾を振り回して、俺たちに迫った。


「つっ」


 俺は剣を抜き放って、防御重視に構えた。


「ふん」


 ユウ君は、ポケットに手を突っ込んだまま、特に構えもとらない。


 その余裕綽々の態度が気に障ったのか、


「シャシャシャシャ!!」


 さきほどまで岩だったサソリが、ハサミで地面を叩いて、ユウ君を威嚇する。


「……」


 ユウ君は何も反応を返さない。


 ただ、無感情な瞳で、可変蠍を見つめるだけ。


「?」


 可変蠍が、じっと、観察する眼差しを、ユウ君へと向ける。


「!?」


 可変蠍が何かに気づいた。


 おそらくは、天地ほども隔たる、自分と相手の力量差について。


 こういうとき、野生動物はためらわない。


 恥も外聞もなく、尾を振り乱して逃げに転じた。


 俺たちから、十分に離れたところで、また岩に擬態して、別の獲物を狙う。


 脅威が取り除かれたことを感じたユウ君が、再び俺に向き直る。


「可変蠍が化けている岩は、特徴的な亀裂が走っている。くれぐれも気をつけてな」


「わ、分かった」


 事前講習が終わると、俺たちは今度こそ岩山を登りだした。


「ふう、ふう」


 ジョブの恩恵を頼りに、一心不乱に岩山を這い上がる。


 雲一つない空から、容赦なく太陽光が降り注ぐ。


 熱を帯びた岩石は、俺たちを炒めるためのフライパンみたいだ。


 岩の出っ張りにたびたび腰をかけ、シエナで購入した水筒を、口に運ぶ。


 先ほど通った森が、もう随分下にある。


 その遙か向こうには、シエナの街が小さく見えた。


「珪ちゃん、その岩怪しいぞ」


 モンスターが擬態しているとおぼしき岩塊が、俺の進路上にあった。


 俺は大きく迂回路を取る。


「シャシャシャ!」


 俺が遠ざかると、岩が悔しげに鳴いた。


「ふう、気を抜けやしない」


 熱と擬態するモンスターに悩まされながらも、俺たちはどうにか岩山を登り切った。


 俺の眼前には、ゆるやかな傾斜地が広がる。


 地面いっぱいに赤い小石が敷き詰められていて、ところどころに散見する大岩も、同じ色彩をしている。


 ずいぶんと高度を上げたためか、もはや植物の姿はない。


 斜面の先には、自然界には存在するはずのない、直線による構造物があった。


「あ、あれはもしかして」


 高揚した声が自然と上がる。


「ああ、あれが例のロッジだ」


「い、急ごう」


 駆け出そうとした俺を、ふたたびユウ君が制する。


「ちょっと休憩してからだ。斜面の中頃に、ベンチ代わりにピッタリの岩がある」


「何言ってるんだよ。虎太郎の立場を考えてやってくれ」


 怪盗団ファントムの連中が、虎太郎を紳士的に扱っているとは考えがたい。


「あいつは俺たちが助けにくるのを、今か今かと待ちわびているんだぞ」


「だからこそだ!」


 ユウ君が熱っぽい目で見てくる。


「私たちの目的はロッジにたどり着くことじゃない。それは分かるだろう」


「それは! ……もちろんだ」


 俺たちの目的は、あくまで虎太郎の救出である。


「ロッジでは、怪盗団ファントムとの戦闘は避けられん。岩山登攀で、私たちは自分が思っている以上に疲弊している。休息は絶対必要だ」


「くっ……」


 注意力を常に最大に保ったことは、神経に重い負担をかけた。暑さによる消耗も見過ごせない。


「……俺が悪かった。このままロッジに急行して、あっさり負けたんじゃあ、それこそ虎太郎に合わせる顔がないもんな」


 平べったい岩に、俺たちは並んで腰かけた。


 ロッジはもう目と鼻の先である。


 水筒の底にわずかに残っていた水を一気に飲み干す。


 ロッジをにらみつけながら、俺たちはじっと休息を取る。


「ん?」


 ふと、ユウ君がずっと空を見上げているのに気がついた。


 思えばユウ君は、クライミング中も、常に頭上に注意を払っていた気がする。


 俺の視線に気づいたのか、ユウ君もこっちを見た。


「ゲラ火山のボスを警戒していた」


「ボス!? こ、ここはまだ三合目だろ!」


 ゲームのボスというのは、古今東西、ダンジョンの最奥地でプレイヤーを待ち受けるものである。


「このゲーム世界のモンスターは、人間を襲うだけのプログラムじゃない」


 ユウ君の言いたいことは理解できた。


 この世界の住民が、本物の人間と見分けがつかないように、この世界のモンスターも、実際の動植物なみに、複雑な生態を持っている。


「ゲラ火山のボスは、この山でまごうことなき最強生物だ。言っちゃあ悪いが、珪ちゃんが今まで戦ってきたモンスターとは、まさにレベルが違う」


 そのボスこそが、かつてユウ君と会長に土をつけた張本人だと言う。


「そ、そんな奴が頭上にいるかもしれないのか」


 俺は、上空に目をこらす。


「ま、そんなに怖がる必要も無い。この広大なゲラ火山で、遭遇する確率なんてごくわずかだ」


 以前、篠原会長がこのように言ったという。


『そうねえ。ゲラ火山の表面積、ボスの一日の必要カロリー。ゲラ火山のモンスター総数。ボスの移動速度。一日の活動時間。睡眠時間。その他諸々。全部およその数字ですが、導き出される遭遇確率は、およそ0.5%といったところです』


「――だとさ」


「れ、0.5%か。それなら心配はなさそうだな」


 俺はほっと胸をなで下ろす。


「さて、そろそろロッジに向かうか」


 ユウ君の瞳に、刃の鋭さが宿った。


「う、うん」


 戦前いくさまえの緊張に、俺の心臓も早くなる。


「おや?」


 俺が、空中に奇妙なものを見つけた。


 まるで太陽の落とし子みたいな、奇妙な輝光が、明滅しながら地面に近づいてくる。


 現実世界なら航空機をまっさきに疑うが、生憎この世界にそんなものはない。


「ユウ君。あれはこの世界の自然現象か何かか?」


「ん?」


 最後の水分補給をしていたユウ君の口から、音を立てて水筒が落ちた。


「バカな、ありえん」


 うめくと、ユウ君は、すばやく俺の手を取り、一目散に斜面を駆け下りた。


「ち、ちょっと、ユウ君!? どこ行くのさ。ロッジは逆方向――」


「黙ってろ。緊急事態だ」


 赤い砂利を巻き上げ、ユウ君は疾駆する。


「!?」


 空中の光点が突如動きを変えた。


 流れ星の速度で、一直線にこちらに迫る。


「な、なにあれ? なにこれ!? ユウ君!!」


 光点が、明確な輪郭を取り出す。


 鳥。光る大鳥おおとり


 天を裂くような風切り音を上げ、大鳥がたちまち俺たちに肉薄した。


「あ、ああああ」


 とてつもない威容だった。


 全身を金、銀、赤の金属色で輝かせる様は、豪華絢爛な鎧をまとうかのようだ。


 そして、全身から放たれる圧倒的強者の威厳。


(絶対にかなわない)


 目で、耳で、鼻で、皮膚で、痛いくらいに感じていた。


「くそっ、逃げ切れない。こうなったらやるしか――」


「む、無理だ。絶対に無理」


 俺は必死に周囲を見渡す。


「!?」


 幸運の女神はまだ俺たちを見捨ててはいなかった。


「ユ、ユウ君。岩。あれ。あの右側の」


 俺たちの右手に、大きな赤い岩塊がある。それには縦に太い亀裂が走っていた。


「で、でかした、珪ちゃん」


 ユウ君がドリフト走行みたいに地面を滑った。


 砂利が津波のように立ち上がる。


 そのまま、速度をほとんど落とすこと無く、直角に進路を変える。


 大鳥はユウ君に追随仕切れず、軌道を大きく膨らませる。


 しかし、最高速度で大きく上回る敵は、たちまち俺たちの真後ろにつけなおした。


 バスだって軽々と貫通するようなクチバシが、俺のすぐ後ろにある。


 あと数センチ。


 あと数ミリ。


「うおおおおお」


「わあああああ」


 ぎりぎりで、俺たちが先にゴールテープを切った。


 赤岩の太い亀裂の中に、俺たちは飛び込む。


 巨大な亀裂は、人間規格サイズにとっては、洞窟と呼べるほどだった。


 大鳥は、その巨体が災いして、中に入ることができない。


 クチバシを、無理矢理、洞窟にねじ込んでくる。


「くっ」


「ひいいいいい」


 洞窟の最奥で、俺は震え上がっていた。


 クチバシの動きは、ウサギの穴を探る、狩人の手つきであった。


 だが、俺たちのいる深さまでは、わずかにクチバシの長さが足りない。


 クチバシが上下に開き、


「ケエエエエエエエ!!」


 絶叫が放たれた。


 音がバチバチと俺の皮膚を打ちつけた。


「ひええええええ」


 俺は、後ろ手で、背後の岩壁をひっかくばかりだ。


「――」


 ユウ君は、懸命に敵をにらみつけている。


 やがて、クチバシがゆっくりと引っ込んでいく。


 大きな羽ばたきの音がした。


「あ、諦めてくれた?」


 俺たちは、おそるおそる出口に近づき、周囲の様子をうかがった。


「ダ、ダメだ。まだそばにいる」


 そう離れていない岩柱にとまって、大鳥がこちらの様子をうかがっている。


 岩柱の根元には、大岩が一つ転がっていた。


「くそっ、なんてことだ。ロッジまで後一歩だというのに」


 太陽は徐々に傾いていく。


 強い西日を受け、大鳥の輝きは赤みを帯び、それは否応なく血の色を連想させた。


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