第34話 死闘勃発

 怪盗団から予告を受けた、公営施設〈ミリオン〉。


 犯行を阻止すべく、俺たち三人は、怪盗団に先んじて、施設内部に潜入していた。


 後一つフロアを上がれば、最上階の展望台。そこに怪盗団が狙う〈慰霊の鐘〉が展示されている。


「それにしてもこんなに簡単でいいのかね? 町村市の治安は大丈夫なのか?」


 いかに、ジョブの恩恵があるとは言え、ここまであまりにも歯ごたえが無い。


「いやいや、珪太。それは警察に失礼だよ」


「だって、実際に楽勝だったろ」


「今回の僕たちは、アンフェアなやり方をしてるんだから」


『荒井くんの言うとおりです』スピーカーモードのスマホから、会長の声がした。『私たちの存在は警察にとって完全なる想定外ですから。警察の想定は、最大でも、道具を所持したオリンピック出場選手程度。それを遙かに凌駕したプレイヤーの存在なんて、想像することに無理があります』


「うーん、それは警察を擁護しすぎじゃ――」


 言いかけて、口をつぐむ。全員が素早く壁際に身を寄せた。


「噂をすれば影だね」


 虎太郎がささやく。


 重装備の警察官たちが、展望台へとつながるエスカレーターを完全封鎖していた。


「さすがに展望台へ忍び込むのは難しそうだね」


「う、うーん。あれはさすがに突破できないなあ」。俺も舌を巻く。


「警察の警備は、入口とゴール地点を重点的に固める方針か?」


 ユウ君の言うとおり、門前、施設入り口、そしてここ展望台に、警察の人員は明らかに集中されていた。


『県警の協力を得られたとしても、動員できる数には限度がありますからね。限られた数でとれる作戦としてはギリギリ及第点でしょう。……正直、なんの面白みもありませんが』


「ほう。……ちなみに、篠原ならどういう作戦を取るんだ」


『もちろん、警備を放棄します』


「は、はい?」


『それが一番効率的でしょう。警察が引き上げれば、施設内部は外に集まった観客でごった替えします。その状況では、怪盗団だって何も出来やしません』


「……なるほど。きわめて合理的ですね」


『でしょう。荒井くんならそう言ってくれると思ってました』


「いやいや、無理ですって。そんな提案、警察の会議で通るわけがない」


『ふん、くだらない。お互いの顔色をうかがって無難なアイディアばかりを出すから、こんなつまらない作戦が採用されるんです。きっと警察上層部は、新山くんみたいな人たちで溢れているに違いありません。本当に救いがたい連中です』


「か、会長。それはあんまりです」


『お黙りなさい。大体アナタは――――』


 その後しばらく、会長は俺への不満を、とうとうと並べる。


「そ、それで僕たちはどうしましょうか?」


 見るに見かねて、虎太郎が助け船を出す。


「さすがに警察と仲良く待機もできんからな。向こうにその気があれば別として」


『仕方がありません。私たちはこの階の非常階段ブロックに腰を落ち着けましょう』


「なるほど。警察がゴール直前を固めるのなら、僕らはルートを塞ぐ役割をするんですね」


 最上階の展望台への進行ルートは、現状2つ考えられる。


 一つは、展望台に直通している南側エレベーターを使う路。しかし、この厳戒態勢下でエレベーターを使うバカはいないだろう。


 したがって、非常階段を使用した徒歩ルートだけが、現実的には、唯一残された方策であった。


 俺たちは、コンクリート壁に包まれた非常階段ブロックで、階段の段差を椅子代わりにする。


 怪盗団の予告時刻まであと15分。


『私も無事に所定の位置に着きました』


「だ、大丈夫ですか? 確か、最寄りの鉄塔を登るとか言ってましたけど」


 スマホのマイクが、風がごうごうと吹き荒ぶ音を拾っていた。


 あの白薔薇のような装束が、激しくなびく光景が脳裏に浮かぶ。


『問題ありません。セレイラの花を摘むより遙かに簡単な作業です』


「〈ミリオンここ〉の様子は見えるか?」


『ええ、ジョブ『聖弓士』の眼を持ってすれば、お隣の窓をのぞき込むようですわ。展望台の様子もくっきりです』


 展望台は外の眺めを楽しむ施設だから、高度さえ確保できれば、逆説的に外部からも覗きやすい。


展望台なかは警察官でひしめき合っていますわね。今のところ変わった動きはないようです』


「了解だ。いざ戦闘となったら、援護は頼むぞ」


『お任せください。私の弓矢で盗賊共を射貫いてやりましょう。ほほほ』


 二人の会話の間、俺は、ペットボトルをしきりに口に運んでいた。


 これが現実世界における初の実戦。初の作戦行動。初の対人戦闘である。


 緊張で、俺の喉は砂漠みたいにカラカラだ。


「だ、大丈夫かい」


「そ、そういう虎太郎だって」さっきから貧乏揺すりをしっぱなしだ。


「はあ、まさかこんなことになるだなんて、つい一月前までは想像もしてなかったなあ」


「俺だってだよ」


 怪盗団なんて、単なるテレビの1コンテンツに過ぎやしなかったんだ。


「それが今や、その犯行をくじくために、こんなことをしてる」


「命がけだよね」


「……」


「……」


「こっそり逃げちまおうか?」


 俺がそっと耳元でささやく。虎太郎の動きが一瞬停まる。


 虎太郎の眼球だけが動いて、チラリとユウ君を見やった。


 彼、いや彼女は、スマホ越しに何やら会長と雑談している。


 ただそれだけの行為を、彼女の内奥からあふれ出る生命力は、まるで光り輝くように見せるのだ。


「せっかくだけど遠慮しておくよ」


 虎太郎が静かに断言する。


「やれやれ」


 俺は苦笑する。


(ま、命を張る理由なんて、人それぞれか)


 果たして、俺にそれはあるのか?


 ここから一人とんずらしないだけの理由はあるのか。


 ……あってしまう。


 一つ、俺が命を捧げるに悔いない理由ワケが、この場にはあるのだ。


『あと10分で犯行予告時刻です。そろそろアレの準備を』


 会長が、不意に指示を飛ばす。


「アレ?」


 小首をかしげる俺をよそに、ユウ君は襟巻きを鼻までずり上げ、虎太郎はフードを目深にかぶる。


「ああ、はいはい、アレね」


 俺はウェストポーチから、青い仮面を取り出した。革鎧と同素材で出来たそれは、一定の防御力も期待できるが、一番の目的はもちろん顔を隠すことだ。


 ゲーム空間ならともかく、現実世界での身バレは、社会的に致命傷である。守る優先順位としては命の次にくる。


『敵怪盗団について分かっていることは多くはありません。むしろほとんど分かっていないと言うべきでしょうか』


 俺たちは今回の作戦について、詰めの確認を行う。


「確実なのは三人組ということくらいか?」


「それだって実行犯が三人というだけかもしれない。バックアップするメンバーが大勢いる可能性もあるよ」


『以前にも話しましたが、ジョブやスキルについては一切が謎です』


「ひ、一つくらい手がかりは無いんでしょうか?」


 我ながら情けない声が、口をついて出た。


『これまでの犯行は全て精査しました。しかしどうも、これまでの犯行で怪盗団はスキルを一度も使用していないようなのです』


「ま、ジョブのパラメータ補正だけで、大体のことはやれるからな」


「うん。現に僕たちも、それだけでここまで来れてるし」


「そ、その気になれば、俺たちで鐘をぶんどることもできるな。そうすりゃ俺たちが明日から怪盗団か? は、はははは」


 空元気が、俺にブラックなジョークを口ずさませる。


「それも一つの手ではあるんだよね」


 虎太郎が真顔で返答した。


「確かにな。怪盗団に盗まれる前に私たちで盗ってしまえば、相手は面目丸つぶれで廃業に追い込めるかもしれん」


 ユウ君の口調も真剣である。


「ち、ちょっと、冗談だから」話があらぬ方向に流れていき、俺が慌てる。「バ、バカなこと言わないでくれよ」


「言い出したのは珪ちゃんだろう」


「そんなことしたら、明日から俺たちが警察に追われることになる。リスキーすぎるって。しかもあのバカでかくて重い鐘を盗むだなんて。大変なばかりでまったく益がない」


「……それなんだよね」


「そこがどうしても分からん」


 虎太郎とユウ君がそろって腕組みする。


『その話は後にしましょう。今は結論を先送りにしようと、前に決めたじゃないですか』


「しかしなあ、怪盗団の最終目的に目星がつかないのが、私は一番気に入らないんだ」


「僕も右に同じく。ある意味、スキルが不明なことよりよっぽど不気味だよ」


 怪盗団の目的とは何か?


 怪盗団の予告がなされた夜に、夜を徹して作戦本部おれんちで話し合い、結局なんら結論を得られなかった議題であった。


 被害者に共通点は一切無し。盗まれた品も絵画、宝石、金塊と様々だった。唯一、金銭的価値が高いという共通項はあったのだが、今回〈慰霊の鐘〉が狙われたことで、それすらもなくなった。


「自己顕示欲が異常に発達した連中、という線もなくはないけど」


 俺の発言は、「それはさすがにないと思うぞ」と、ユウ君に一蹴される。


『……』


 会長に至っては一言も言葉を発してくれない。


「あ、あのすみません。今の発言は議事録から削除してくれま――」


『実は、怪盗団の目的に一つだけ心当たりがあるんです』


 会長がぽつりと呟いた。


「何!? 聞いてないぞ」


『誰にも言ってませんから』


「そんな大事なことをどうして?」


『そのー、……ためらったんです。あまりにも荒唐無稽な推理ではないかと』


「ぜひ訊かせてもらえますか」


 虎太郎もスマホに顔を近づける。


『い、今は止めましょう。まもなく作戦開始直前ですし、おかしな予断を吹き込んではいけません』


「いや、かえって気になりますって、会長」


『むむむ……』


 三人に詰め寄られて、さすがに会長も折れたようだった。


『わ、笑わないでくださいね』


「いいから、早く言え」


『怪盗団の目的はひょっとしたら……』


「ひょっとしたら?」


 瞬間、強烈な衝撃が、足下から立ち上った。


「ひ、ひゃああ」


 俺はたまらずひっくり返る。


「じ、じ、地震!?」


 虎太郎も壁によりかかる。


「ち、違う」。ユウ君はかろうじて中腰をキープしていた。「今のは声だ。大声だ」


「こ、声?」


「地上にいるギャラリー共が一斉に叫んだんだ」


 確かに、数千人が同時に大声を張り上げたとすれば、それはもはや衝撃波と言っていいだろう。


 子供の頃スタジアムで野球観戦をしたことがあるが、九回裏逆転のチャンスにおけるファンの怒号は、比喩で無く球場を揺らしていた。


「篠原、状況は分かるか?」


 ユウ君が、全体を俯瞰できる位置にいる、会長に尋ねた。


『……〈ミリオン〉の下に集まった観衆が興奮して声を張り上げています。展望台も慌ただしい様子です』


怪盗団ファントムが来たか?!」


『他に考えられませんが、私の位置からでは姿が確認できません』


「僕のスマホで地上の様子を見ます」


「ど、どうやって」


「テレビ局やユーチューバーが大勢来てただろう」


「あ、そうか」


 虎太郎がブックマークしていたユーチューブを開く。今この〈ミリオン〉を実況している配信者のLIVE動画はすぐに見つかった。


『はははは、マジか。あいつらマジか。はははは』


 スマホのスピーカーから、ハイテンションな笑い声が轟く。


「なんだ? 何がどうなってる」


 スマホのカメラは〈ミリオン〉外観を映し出していたが、実況者の大笑いで画面が激しく揺れて、非常に視聴しづらい。


 それでも、〈ミリオン〉側面に、何かが張り付いているのだけは分かる。


 黒い何か。数は二つ。


 それらは、ゆっくりと〈ミリオン〉表面を上昇している。


 画面が静かに拡大されていく。


「な、なんつう真似を……」


 大写しに成ったその姿に、俺は絶句する。


「地上120メートルの建物を素手で登ろうだと。……こいつら本物のバカじゃないのか?」


 黒い何かとは、怪盗団そのものであった。


 彼ら(彼女ら?)二人は、無手で高層建築物をよじ登っているのだ。


「警戒厳重な内部を進むよりは、確かにローリスクか?」


 虎太郎が険しい顔で画面をにらむ。


『ですね。自分の命を盾にされれば、人道上の見地から、警察官は登り切るまで攻撃できません。そういう意味では有効です。登攀とはん自体もジョブの恩恵があれば難しいことでは無い』


「いやいや、ありえませんって。中を普通に歩いた方が100倍確実ですから」


 取る必要の無いリスクを、わざわざ取りに行っている。俺の目には、奴らのやっていることは、滑稽にしか見えない。


『……まあ、そうですわね』


「それより、今画面に映ってる怪盗団は二人しかいない。こっちはどう思う?」


「ほ、本当だ」


 ユウ君の指摘を受けて、遅まきながら俺も気づく。


『自軍を2つに分けましたか。その可能性はもちろん検討済みです』


「なら、対策は」


『シンプルそのものですよ。こちらも二手に分かれます』


 会長の作戦は確かに単純明快であった。


 虎太郎とユウ君が、外壁を登ってくる二人の対処に当たり、残りの一人は、俺が臨機応変に対応する。


「異議ありです。会長」


 俺が大声を上げたのは、小中学校において、ペア作りで何度もハブられてきたトラウマに起因する。もしくは、この後に自分に待ち受ける展開を、超直感的に予期していた?


『却下します』


「せ、せめて発言くらいはさせてください」


『はあ、……二分だけですよ』


 一言礼を述べてから、「お、俺は虎太郎とペアがいいです」と口早に言う。


「ええ……」


 ユウ君と一緒にいたいであろう虎太郎が、嫌がる素振りを見せた。


『新山くん。外壁にへばりついた二人組に内側から干渉できる方法は、私たちには荒井くんの風スキルしかない。これはお分かりですね』


「も、もちろんです」。会長の矢で狙えれば手っ取り早いが、生憎奴らは〈ミリオン〉を挟んで、ちょうど真裏にいる。「ユウ君が虎太郎の護衛役というのも分かってます」


『だったら――』


「ですから、俺が虎太郎のボディガードをしたってかまわないじゃ無いですか」


「それはダメだ」


「ど、どうしてだよ、ユウ君」


「言っちゃあ悪いけど、今の珪ちゃんじゃあ実力不足なんだ」


「う」


「自分の身を守るのに精一杯な奴に、他人の守る仕事は任せられない」


「く、くくく」


 悔しいが、完璧な言い分であった。


 二分までの残り時間は、俺の沈黙で消費される。


『では二人とも急いでください。あの二人組が展望台に到着する前に』


「分かってるよ」


「珪太、また会おうね」


「くっ……、怪我しても俺が治せるからって、あまり無茶するなよ」


 二人が駆け足で非常階段ブロックを出て行く。


 スマホはユウ君が持って行ったので、俺は静寂の支配する空間に、一人取り残された。


 ポツンと、一人たたずむ。


(残り一人に臨機応変に対応か……)


 やることは決まり切っている。


 相手の狙いが〈慰霊の鐘〉であることは変わらないのだから、二手に分かれようと何だろうが、この非常階段を待ち受けているのが上策である。


 非常階段ブロックは、地上から響く歓声で満たされていた。


 俺は心臓を高鳴らせながら、じっと待ち続ける。


(虎太郎とユウ君のことは心配だけど、いったん忘れる)


 もし、俺が残り一名を補足できず、彼らの背後を取らせるようなことがあれば、それこそ取り返しがつかない。


(俺は自分の仕事に集中するんだ)


 とは言え、騒音が耳障りであった。


 混じり合った老若男女の声が、分厚いコンクリートで濾過されて、この区画では、一匹の怪獣が怒り声を上げているようであった。


(くそっ、やかましいな)


 俺の集中力が一瞬途切れる。


 少し時間をかけて、再び結びなおす。


「!??」


 視線を感じた。


 先ほどまでは確かに無かったものである。


 恐る恐る階段下を見やった。


「なっ!??」


 すぐ下の踊り場に、黒衣の人物が、一人たたずんでいた。


 全身を黒い防護服で包み、顔は黒い防護マスクで覆い隠されている。不気味な呼吸音が辺りを覆い尽くす。もう歓声は耳には入らない。


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