第18話『知井子の悩み8』


『知井子の悩み8』



 浅野さんはうつむいてしまったが、マユはたたみかけるように続けた。


「あなたは、多分一次選考のあとで死んだの。あなたに自覚はないから、原因は分からない。でも、あなたのオーラは生きてる人間のそれじゃない。他の人には見えないけど、受験者が一人多いのに、さっき気づいたわ」

「……それは、他のだれかが間違えているのよ。スタッフかも知れない。わたし、こうやってちゃんと、二次合格の書類だって持っているもの」

 浅野さんが手にした書類は、ただのA4の白紙のコピー用紙だった。


 エアコンの静かな音だけが際だって間があいた。


「……これは、ただの白紙の紙よ。浅野さんには、これが本当の合格通知に見えるんだ」

「だって、こんなに、はっきりと『二時選抜合格、浅野拓美様』って書いてあるじゃない」

「あなたは、死んだ自覚がないから、それに合わせた都合のいいものしか見えないのよ。無いものだってあるように見えているだけ……」

 

 浅野さんの、目が怒りに燃えてきた。マユに本当のことを言われ、当惑が怒りに変わってきた。部屋の中に風がおこり、机や椅子が動き出し、部屋の中はグチャグチャになった。


「あらあら、部屋がこんなになっちゃった」

「……わたしじゃないわ。わたしには、こんな力はないわよ」

「かなり重症ね。とりあえず片づけましょう」

 マユが、指を動かすと、部屋は、あっと言う間に元の姿に戻った。

「あ、あなたって……魔法少女?」

「悪魔よ! おちこぼれの小悪魔だけどね。はい、もう一度、落ち着いて書類を見て」


「……は、白紙! あ、あなた、わたしの合格通知をどこへやったの、どうしたの!?」


「何もしないわ、浅野さんにも、本当のことが見えてきたのよ」

 再び、部屋のあらゆるものが揺るぎだし、有機ELの照明がパチンと音を立てて割れた。マユは、照明が落ちた時点で浅野さんの霊力を封じた。

「あなたに自覚はないけど、そうやって、二次選考では、何人もの子たちに怪我をさせたのよ。だから、最初にスッタッフのおじさんが注意していたでしょう」

「わ、わたしは……」

「そう、そんなつもりも、自覚もない。人の演技を見て、スゴイと思ったら、無意識のうちに脚をからませたり、転ばせたり……」

 それでも浅野さんは、飲み込むことができず、頭を抱えている。

「仕方ないわね……」

 マユは、部屋の窓を景気よく開けると、浅野さんにオイデオイデをした。

「外になにかあるの……?」

 窓ぎわに来た、マユは浅野さんの脚を、ヒョイとひっかけ、背中を押した。

「キャー!」

 悲鳴を残して、浅野さんは、はるか眼下のコンクリートの歩道に落ちていった。


「……わたし、いったい?」


 歩道で、怪我一つしないで佇んでいる自分に驚いた。

「行くわよ!」

 はるか上の窓から、口も動かしていないのに、マユの言葉が振ってきた。そして、その直後、マユが頭を下にして、真っ逆さまに落ちてきた。で、地面につく直前に一回転して、体操の選手のような決めポーズで着地した。


「す、すごい……」


「足から落ちてもよかったんだけど、それだとおパンツ丸見えでしょう。だからね」

「すごい、超能力!」

「あなただって、今やったとこじゃないの。わたしは悪魔だから、あなたは幽霊だから、怪我一つしないのよ。それに、周りの人を見てごらんなさいよ。だれも、わたし達に無関心でしょ。女の子が二人立て続けに、あんな高いところから、落ちてきたのに」

「どうして……」

「ほら、今、男の人があなたの体をすり抜けていく……」

 浅野さんは、「あ」と声を上げたが、かわす間もなく、男の人は彼女の体をすり抜けていった。

「あ、あの人って、幽霊?」

「幽霊は、浅野さん、あなた」

「で、でも……」

「まだ、分からない? じゃ、もっかい、あの部屋に戻ろう……入り口からじゃないの。戻ると思えば、それでいいの」


「わたし、やっぱり……」

「そう、死んでるのよ」


 もとの部屋に戻って、浅野さんはションボリしてしまった。

「……一次選考のあと、交通事故があった。わたしはすんでのところで……」

「そう、多分そこで死んだのよ。可愛そうだけど、それが真実」

「……でも、わたし、このオーディションには受かりたい」

「そうやって、浅野さんが居れば、あなたは無意識のうちに、人に怪我を……いいえ、今日は人を殺してしまうかもしれない。それだけ、あなたは危険な存在なの」

「……じゃ、どうすれば」

「もう、あっちの世界に行きなさい」

「あっちって……?」

「死者の世界……分かった?」


 浅野さんは、しばらく目に大粒の涙を浮かべ、ようやく……コックリした。


「わたしが、送ってあげるわ」

「うん。仕方……ないのよね」

「じゃ、いくわよ。目を閉じて」

「うん……」

「エロイムエッサイム……エロイムエッサイム……」


 全てを観念した浅野さん。その姿は、ハンパな小悪魔には、あまりにも心の痛む姿だった……。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る