19

 十字架の仮面の下から、お父様の苦痛の叫びが響きました。

 白煙とともに、激しく蒸発するような音が聞こえます。


 苦しみのあまり、わたしと繋いでいた手が離れました。

 でも、仮面を外そうとするその手は、触った先から溶けてしまいます。


「ジョーデン! 貴様はほとんど死にかけていたはずだ。これほどのものをどうやってここまで」


 お父様の問いに、ジョーデン侯爵は左腕を挙げて答えました。

 肘から先がすでにありません。

 仮面を運び、お父様にかぶせるために、失っていました。


「たしかに死にかけのままであれば、ここまで運ぶことすら難しかったかもしれない。だが先ほど、新鮮なものを『補給』できたのでな」


 新鮮な補給……。

 人間の生き血を吸ったということです。


(ジョサイア――ではないわよね。じゃあ誰か、使用人の? もしかしてメアリ?)


 あのメアリの忠誠心なら、ありえないことではないと思いました。

 すこし気になりましたが、それより今は――


「お父様!」


 わたしは仮面に焼かれゆくお父様を呼びました。

 仮面をはがそうともがいた両手はもう失われ、なすすべもなく膝をついています。


「お父様……ごめんなさい」

「謝るな」


 仮面の下から、くぐもった声が聞こえました。


「私もお前も、誤解があったわけではない。信じた道を進んだだけのことだ。これが結果なら……それでいい」

「そんな! もっとべつの結果だって……」


 涙が止まりません。

 わたしはヴァンパイアの弱点、十字架も知らずに育ちました。

 それが大切に守られた証拠だということは、わたし自身がいちばんよくわかっています。


 お母様も、お父様も、わたしを本当に愛してくれました。

 ただの非情なヴァンパイアだったら、これは避けられない未来だったかもしれません。

 でも、お父様は、愛情のあるヴァンパイアです。


 わたしが覚醒しなかった、人間の部分を残したままの存在と知っても、優しく手を握ってくれました。


「お父様は、人間と手を取り合うことだって――」

「できぬよ。私は走り出してしまった。ジョーデンに妻を失わせたときに、もう絶対に止まれなくなった。もし止まってしまえば、あれはただの過ちだったことになってしまう」


 10年まえの事件……。

 ヴァンパイアの国を築くための、仲間を作りたかったお父様。

 信じる道をともに歩んでもらうことができなかった、可哀想なお父様。


 間違いだったなんて、言えません。


 わたしは言葉を失い、ただ、仮面から立ちのぼる煙を見ていました。


 お父様はうめき声を発しなくなり……。


 身体を抑えつけていたジョーデン侯爵も、ぐったりと動かなくなりました。


 すこし離れて立っているジョサイアが東の空を見て、


「夜が明ける――」


 幕が下りることをみんなに告げました。

 彼はもうジョーデン侯爵と言葉を交わすことはありませんでした。

 きっと、ここに至るまでの時間で、充分に理解しあっていたに違いありません。


 東から昇った太陽の光が屋敷の壁を照らし――


 お父様とジョーデン侯爵は、静かに灰となりました。

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