最終話
倉庫でのゼラとの暮らしにも慣れて来た。父上とエクアドとは今後の話を進め、母上はゼラと話をする。
ゼラも母上とは話が弾むようで二人は仲良くやっている。
母上は虫を怖がることも無いが、呑気というかなんというか。
脚立を持ってきてゼラの黒髪を櫛でといたりなどする。
ずっと倉庫の中だと気が滅入るので、夜に騎士と魔術師に囲まれたまま、倉庫の外を出歩いたりなど。
ゼラはアルケニーであり、下半身は大きな黒蜘蛛。不気味に思われる姿だが、いつも側にいる俺が無事であり、人を襲わない珍しい魔獣と思われるようにはなってきた。
相変わらず服を着るのは嫌がるが、寝るとき以外はエプロンだけは着けてくれる。
重ねて言うが裸に白いエプロンは俺の趣味では断じて無い。
ゼラが生肉を食べるところも見慣れてはきた。一緒に食事をする、ということはまだできないが。口の周りを赤い血で濡らすゼラの食事風景に、なんだか艶かしいものを感じるようになってきた。
いかん、早くこの倉庫生活を終わらせなければ、いろいろと染められてしまいそうだ。
そして待ちかねた王からの使者が来たのは、倉庫暮らしが始まった結婚式の日から数えて、十八日目。
我が家の屋敷の庭で話をすることに。ゼラの下半身の蜘蛛の身体が大きく、屋敷の中には入れないからだ。
使者として来たのは、王国の第一王子、エルアーリュ王子。良かった、ボンクラの方の第二王子じゃ無くて。そして王子の隣に立つ眼鏡の女性は王立魔獣研究院から。さっきから好奇心を隠せない目でゼラのことをジロジロ見ている。
二人の前に俺とゼラ。しかし、
「申し訳ありませんエルアーリュ王子。このような体勢で」
「いや、事情は聞いている。騎士カダールもつくづく災難に見舞われる男だ」
裸に白いエプロンを着たゼラ。そのゼラに後ろから抱かれて、俺はブランとぶら下げられている。頭の上にはゼラの顎が乗っている。
言ってみればゼラが俺を人質にとっているようにも見えてしまうか。しかしこれでゼラというアルケニーは人と仲良くしているようには見える。万が一にはゼラには俺を盾にして、人と戦わないようにして逃げろ、と言ってある。
王子に対して不敬ではあるが、上から見下ろすようになってしまう。
父上が前に出る。
「灰龍の調査についてですが、死亡した灰龍の骨が見つかりました」
周りを囲む騎士団、魔術師団がザワリとする。災害扱いで討伐を諦めかけていた灰龍の死亡、これでざわめかない者はいまい。
「灰龍の骨が散らばる周辺は、地面はめくれ、焼け焦げた跡など、灰龍が何者かと激闘を繰り広げた痕跡があったと。この灰龍を討伐したというのが、そこのアルケニーのゼラだと、本人は言っております」
「ウン、ゼラ、灰龍、やっつけて食べた」
全員がゼラを恐ろしい怪物を見るような目で見つめる。それは仕方の無いことか。後ろから俺を吊り下げるように抱くゼラの手に、少し力が入る。その手を俺はそっと撫でる。
灰龍を倒すほどの魔獣であっても、ゼラの精神は子供のようなものだ。
エルアーリュ王子が俺を見る。
「騎士カダールの話では、そのアルケニーのゼラは進化する魔獣だということだが?」
「はい、このゼラの言うには、もとは小さなタラテクトであったと。その後の話も聞いてみたところ、俺の記憶とも合致しており、このゼラが進化する魔獣であると確信しております」
エルアーリュ王子が顎に手を当てて隣の眼鏡の女性を見る。魔獣研究院の女性は眼鏡の位置を直して、
「進化する魔獣は王種よりも希少な魔獣で例が少なく、なんとも言えません。一説には進化する魔獣の行き着く先が灰龍、黒龍、金龍といったオーバードドラゴンとも言われています。進化する条件も不明で、長く生きる程に強くなる、とも言われますが、これは強いからこそ長く生きるのでは、と。調べるためには長期に渡っての観察が必要でしょう」
それは貴女が調べたいだけなのではないか? だがこれで王立魔獣研究院でもよく解らない、ということは解った。
エルアーリュ王子がゼラの顔、蜘蛛の脚とじっくり見回す。
「このアルケニーのゼラが騎士カダールの意に従う、というのは本当なのか?」
「はい、王子。ゼラ、ジャンプ」
「ウン!」
ゼラがその場で高々と跳躍する。一跳びで二階の屋根に届く程、高く跳ぶ。
「ゼラ、おまわり」
「ウン!」
その場で蜘蛛の脚を動かして旋回。
「ゼラ、しゅぴっ」
「しゅぴっ!」
ゼラの下半身、大蜘蛛の左前足が挨拶でもするかのように高々と上がる。ゼラがひとつ動く度にどよめきが走る。端から見ればおもしろい曲芸かもしれない。ゼラに抱えられたままの俺は平静を保つのに必死だが。
「こんな感じで、ゼラは俺の言うことは聞きます」
「そ、そうか……」
「また、ゼラは過去に俺の言ったことを守り、これまで人を食ったことも、家畜を襲ったことも無いと」
「人の害とはならぬ魔獣、というのか」
「このアルケニーのゼラは魔獣ではあっても、害獣ではなく益獣でしょう。ウィラーイン伯爵領と王国を悩ませていた灰龍を討伐。その前はジャイアントウィドウの姿で我が国の第二王子の危機を救い、
「結果として何度も救われていることになるのか」
「そこで王子にお願いがあります」
「なんだ? 騎士カダールよ」
「灰龍討伐、その功績にこのアルケニーのゼラに褒美を与えてはくれませんか?」
「……そうだな。しかし、アルケニーの欲しがるものとはなんだ?」
「それは本人から。このゼラは人語を解し会話もできます」
「では、アルケニーのゼラよ。灰龍討伐の報酬に何を望む?」
よし、ここに漕ぎ着けた。昨日の夜の内にゼラには話をしてある。
『いいか、ゼラ、よく聞いてくれ』
『ウン』
『俺は王からの使者に褒美を要求するつもりだ。灰龍討伐の報酬を。ねだるようなことは不作法だが、ゼラに褒美を与えてくれ、という話をする』
『ウン』
『ゼラは、何が欲しいか聞かれたら、人里離れたところで静かに暮らしたい、と、言うんだ』
『ンー?』
『これでゼラを無害な魔獣とアピールして、ウィラーイン領の外れの森にでもゼラの住み処、えーと、ナワバリにして住むこともできるだろう』
『ンー』
『ゼラ、繰り返してくれ、人里離れたところで』
『人里、離れた、ところで』
『静かに暮らしたい』
『静か、に、暮らしたい』
『憶えたか? ちゃんと間違えずに言うんだぞ?』
『ウン!』
後ろから抱えられたまま首だけでゼラを見る。ゼラの赤紫の瞳が見つめ返してくる。
エルアーリュ王子が言葉を続けて、
「アルケニーのゼラよ、欲しいものがあれば言ってみよ。このエルアーリュが出せるものであれば良いが、遠慮無く言ってみるがいい」
「ゼラは、」
「それとこれは私自身の興味だが、アルケニーのゼラよ。何を望み何を求めて灰龍という恐るべき魔獣に挑んだ? お前はいったい何が目的なのだ?」
「灰龍、カダールのナワバリ荒らす、ゼラ、やっつける」
「ナワバリ? ウィラーイン伯爵の長子、騎士カダールの領地を荒らしたから灰龍を倒したと?」
「ウン! カダール、ゼラが守る!」
「全ては騎士カダールの為か、なんという忠誠心か。では、アルケニーのゼラよ、望みを言ってみるがいい」
「ゼラは……」
脇の下から通るゼラの手がきゅっと絞まる。力が入って息苦しい。ゼラの顔を見ればその目は熱に浮かされたように潤んで、輝いて、おい、ゼラ? 昨日言ったセリフ、ちゃんと憶えているのか?
「ゼラは、カダールが欲しい!」
おいいいいい!?
「ゼラ、カダールとツガイなる! 結婚式したい!」
ゼラああああああ!!
肋骨を絞められて声が出ない。手でゼラの手の甲をペチペチ叩くと、ゼラはやっと正気に戻った。
「あ、えと、人里離れたところで、カダールと一緒に、静かに暮らしたい」
「混ざってるぞ、ゼラぁ!」
「あにゅ」
正面に向き直れば、エルアーリュ王子、眼鏡の魔獣研究院の女性、父上、母上が円陣を組んでコソコソと話しあっている。どうなるんだこれは。
不安を感じていると騎士で友人のエクアドが近づいてくる。
「カダール、お前、凄いのに好かれていたんだな」
「俺も驚いている」
「俺からアルケニーのゼラに礼が言いたい」
「ンー?」
「そこのカダールのついでだが、俺も何度かゼラに助けられていたことになる。アルケニーのゼラ、この騎士エクアド、心から感謝する」
「ウン」
ゼラはエクアドには興味は無さそうだ。
「ゼラ、このエクアドは俺の友人で俺の事を助けてくれたこともある」
「逆もあってお互い様だけどな」
「エクアドを助けてくれてありがとう、ゼラ。偉いぞ」
「むふん! ふふー」
「……カダールが褒めると随分と嬉しそうにするんだな。まぁいい、礼は返す。ゼラの恋路は厳しそうだが、応援させてもらう」
「おい、エクアド」
「カダール、何年も守ってもらった上で、これだけ大勢の人の前でプロポーズされて、断れるか?」
「う、む、だが、俺はフェディエアとの婚姻が」
「それなんだがな」
エクアドは俺に近づいて声を潜める。
「フェディエア含めてバストルン商会の上役が今、行方不明だ」
「どういうことだ?」
「鉱山奥から灰龍の卵が見つかり、詳しい調査はこれからだが」
「バストルン商会がフェディエアをウィラーイン伯爵の息子の嫁にするために、灰龍の卵を使ったのか?」
「どうかな? 一商会がやらかすにしてはこの一件、大きすぎる。バストルン商会が利用されていたとすると、口封じに消されたという可能性もある」
「そうなると、他国の計略か?」
「そこもこれから調べるところだ。これでカダールとフェディエアの婚姻は一旦白紙に。バストルン商会の面子が見つかるまで保留だ」
「灰龍がいなくなれば商会の資金に頼ることも無いわけだが、だからと言ってこれは、なんというか」
「キナ臭いだろ。もし他国の計略となると戦争も有りうる。王家もアルケニーのゼラを敵にはしたくない。できれば味方につけて戦力にしたいってとこだろうよ」
「おい、待て、嫌な予感しかしない」
「アルケニーのゼラよ、お前の望みだが」
正面、エルアーリュ王子の声に正面に向き直る。
「騎士カダールは王家に忠誠を誓ってはいるが、私の所有物では無く、報酬に差し出せるものでは無い。そこは解って貰えるだろうか?」
良かった。エルアーリュ王子がまともな王子で。
「騎士カダールよ、アルケニーのゼラについては騎士カダールに一任する」
「はっ!」
ゼラに吊り下げられたままなので間抜けな礼になってしまうが、エルアーリュ王子に礼をする。
「アルケニーのゼラはウィラーイン伯爵領で預かって貰う。その際、王立魔獣研究院から人員を出すが、アルケニーのゼラの良いように」
「畏まりました。我が領にて不快無きように計らいます」
父上が王子に応える。これで人間対アルケニーとはならなさそうだ。ホッと息を吐く。
「この先、騎士カダールとアルケニーのゼラが結婚式を挙げるときには、その費用は私が出そう。これをアルケニーのゼラへの褒美とすることで良いだろうか? ドレスもアクセサリーも式場も派手にするといい」
「エルアーリュ王子? 何を言い出してます?」
話が変な方向に向いたぞ? 結婚式?
母上がこちらに近づいて、
「カダール、こう言ってはなんですが、アルケニーという魔獣が常にこっそりとつきまとっている。結婚式には天井を破って乱入してくる。こんな噂が立つ騎士のところに、嫁に来る娘がいると思いますか?」
「それは、そうかもしれませんが」
「それにゼラほど一途にカダールのこと想ってくれる娘はなかなかいません。ゼラに聞いてみれば、次の進化で人間になれそうというではないですか。ならばそのときに」
「いえ、それは本当に人間ですか?」
「ウィラーイン家の娘になるには礼儀作法など知って貰わなければなりませんが、ゼラは頑張ると言っています。我が家で私が教えましょう」
「いつの間にそんなことまで話が進んでいたのですか、母上!」
父上がゼラを見上げる。
「ゼラよ、魔獣アルケニーを危険と見る人間は多い。不自由させることになるが、このウィラーイン領で暮らしては貰えないか?」
「ンー、」
「その代わりカダールと一緒に暮らせる屋敷を建てよう。そこでカダールと住むのはどうだろうか?」
「ウン! カダールと一緒、どこでもいい!」
「父上えええ!」
なんだこれは? 誰も彼も同情を含んだ生暖かい目で俺を見ている? なんだこの雰囲気?
振り返れば赤紫の瞳がすぐ近くにある。ゼラニウムの花弁に似た赤紫の瞳。
「むふーん」
満面の笑みで俺に頬を擦り付けるゼラ。下半身は黒い大蜘蛛の魔獣、アルケニー。だけどその顔はあどけない少女のようで。
結婚とは打算から生まれる罠、そう言ったのはエクアドだが。
俺はいったい何時からこの蜘蛛の巣に捕まっていたというのか?
「カダール、だいすき!」
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