第5話
俺が八歳のとき、ウィラーイン伯爵領をタラテクトの群れが襲った。異常に増えたタラテクトは森から溢れ、雑食のタラテクトの群体が、畑を家畜を襲った。
ウィラーイン伯爵である父上はすぐに討伐に出た。森の奥に現れたであろうタラテクトの王種を討伐するために。
タラテクト自体はそれほど強い魔獣では無い。父上が率いる一団はタラテクトの王種を速やかに討伐した。
しかし、王種を討伐したところですぐに魔獣の脅威が無くなる訳では無い。その後、ウィラーイン領では増えたタラテクトの討伐、というか駆除に追われることになった。
当時の俺は家からあまり出ないようにと言われていたが、魔獣退治をする騎士団、魔術師団、ハンターの戦いを見たくてこっそりと外に出ていた。
畑からタラテクトを追い出しては駆除するハンター達。いずれは父上のあとを継ぐなら、これも学習のうち、などど言い訳して。
それにタラテクト程度であれば、そのとき八歳の俺でも棒を振り回せば逃げていく。犬のような大きさの蜘蛛が蠢く姿は不気味だが、一匹二匹では臆病な魔獣だ。
その日も俺は修練用の木の剣を片手に、タラテクト退治をするハンターを見に行った。見つかるとメイドに怒られるのでこっそりと。
数人の騎士とハンターが協力してタラテクトを追い込み、魔術師がそこに火嵐の魔術を撃つ。騎士を目指している俺にとっては、戦いというよりは害虫駆除というタラテクト討伐は見ていて物足りない。魔獣相手に派手にカッコ良く戦うという感じでは無い。
だが、これも魔獣から民を守ることか、と、草むらに隠れてタラテクト討伐を見守っていた。
見ているうちに一方的に殺されていくタラテクトが哀れに思えてきた。魔獣であり人に害となるのは解っていても、タラテクトも王種が産まれて大繁殖しなければ、こうして人の住むところまで近づいて、追われて火系の魔術で焼き殺されることも無かったろうに。
魔術師の火嵐の魔術の勢いが強すぎたのか、吹き上がる炎に吹き飛ばされて、タラテクトが一匹飛んできた。俺の近くに落っこちた。
ベシャリと落ちたタラテクトは小さく、仔猫かリスのような大きさ。これはタラテクトの幼体だろうか?
タラテクトは茶色の蜘蛛だが、その落ちたタラテクトは火で焼かれたのか全身が黒ずんでいる。
俺が見ているのに気がついたのか、逃げようとするがヨロヨロとして進めないらしい。足で地面を引っ掻いているが、よじよじとしか動けないようだ。見れば右の一番前の足が一本欠けている。
「一匹、この辺りに飛んだか? お前、吹っ飛ばすなよ。あとが面倒だろ」
「俺は虫が嫌いなんだよ! さっさと終わらせるぞこのクソ仕事!」
騎士と魔術師が話をしてる声が聞こえた。このまま放っておけば、この子タラテクトは駆除される。
ヨロヨロと必死に逃げようとしている子タラテクトを見て、俺は上着を脱いで子タラテクトにかけて抱き上げて走ってその場から逃げた。
なんでこんなことをしたのか自分でも解らない。人に害を為す魔獣は殺して当たり前。子供でもそんなことは解っている。
ただ、一度可哀想と思ってしまえば、そのまま見捨てることができなかった。
「お前、まだ生きてるか?」
声をかけても返事は無い。上着に包んで持ち上げた子タラテクトは、グッタリとして微かに身動ぎするだけだった。
この日から家族に、家の者に隠れて子タラテクトを部屋に匿うことに。ベッドの下にかごを入れて、そこに足を一本無くして体毛が焼けてチリチリになった子タラテクトを寝かせた。
両手の平に乗るサイズの黒ずんだ子タラテクトは、死んではいないが自力で動けないくらいに弱っている。
雑食とは聞いていたので、調理場から捨てられる野菜の皮をとってきた。小さく千切って子タラテクトに与えてみると、ゆっくりではあるがモソモソと食べはじめる。
食べる元気があるなら、回復するだろうか? ニンジンの皮をモソモソと食べる子タラテクトを見て、不安になる。隠れて魔獣をベッドの下に飼うなど、見つかればどれだけ騒ぎになるか解らない。それでも、一度拾ってしまったなら面倒をみなければ。
自分にしか助けられない、という使命感に酔っていたのかもしれない。あのときは特に深く考えることも無く、ただ可哀想に思っていただけだが。
小皿にミルクを入れておけば朝には無くなっていた。蜘蛛がミルクを飲む様子をじっくりと見たのは初めてだ。
野菜屑を与えてモソモソ食べる様子を眺めているうちに、子タラテクトが少し可愛く見えてくる。
五日もすると子タラテクトは少しは元気になった。ベッドの下からかごを引き出すと、かごの中から左の前足を上げてこちらをシャー、と威嚇する。
「……なんで助けたのに威嚇するんだ? お前?」
野菜屑だけでは無く、外で捕まえたバッタにコオロギを与えてみる。コオロギの足を摘まんで野菜屑を与えるように、子タラテクトの顔の前に持っていく。
予想以上に回復していたのか、指に摘まんだコオロギに子タラテクトはガブリと噛みついた。
「いった!」
俺の指ごと噛みついた。慌てて手を引き寄せて見ると噛まれた指からは血が滲み出てきた。小さなキズだが突然のことに驚いた。餌を与えても、魔獣は魔獣ということだろうか。手懐けることは無理なのか。
左手で右の人差し指を押さえる。血がポタリと床に落ちる。子タラテクトを見ると、ポカンとしたように口を開けて、顎からコオロギをポトリと落としている。
目の前のコオロギよりも俺の指の方を見ているようだ。
この子タラテクトから見れば、俺は仲間を殺した人間のひとり。言ってみれば俺は仇でもあるのか。
袋の中身をひっくり返して子タラテクトのかごにバッタとコオロギをポロポロと落とす。蜘蛛の赤紫の目が、ジッと俺の手を見ている。
「キズの手当てをしてくる」
この子タラテクトに言っても解らないだろうが、一言告げて部屋の外に出る。キズ口を水で洗っているところをメイドに見つかった。
引っ掛けて切ってしまった、と誤魔化して手当てをしてもらう。薬を塗って包帯を巻いてもらうと、小さなキズの割りに大げさになってしまった。
部屋に戻ると扉を開けたところに子タラテクトがいた。自力でかごから出られるようになったようだ。
だが、部屋の中で震えてそこから動かない。
「なにしてるんだ? お前?」
足を縮めて小さくなって震えている。まるで罰を待つ子供みたいに。かごの中を見れば煙で燻して動けなくしたバッタもコオロギもそのままだ。あれだけ勢い良くかぶりついたというのに。
かごごと持ってきて子タラテクトの前に置く。
「お前のためにとってきたんだから、食べろよ」
子タラテクトは赤紫の目で俺を見てる。なんだか怯えているようだ。両手を伸ばして子タラテクトを持ち上げる。一瞬ビクリと震えるが、されるがままに大人しくしている。
そのままかごに入れる。
「指のケガはたいしたことない。ちょっとビックリしただけだから、お前は気にせずにご飯食べろ」
そう言うと子タラテクトはかごの中でモソモソとコオロギを食べ始める。こいつ、もしかして俺の言うことが解っているのか?
その日の夜は指のキズが少しうずいた。タラテクトには毒は無いはず。水で綺麗に洗ったから大丈夫じゃないか? と軽く考えていた。
夜中に噛まれた指が妙に暖かくなり目が覚めた。
「……お前、何やってんだ?」
寝ている俺の腹の上に子タラテクトがいた。俺は右手を腹の上に置いて寝ていて、その手に覆い被さるように子タラテクトがいた。暗い部屋の中で子タラテクトの赤紫の目が、ボンヤリと光っていて綺麗に見えた。
子タラテクトはその腹で包帯を巻いた俺の指を暖めている、ように見える。
「お前、もしかして、俺に噛みついたこと気にしてるのか?」
問うてみても返事は無い。俺の腹の上の右手の上で大人しく足を畳んで丸くなっている。
「……変なヤツだ」
左手で子タラテクトの背中に触れる。チリチリに焼けていた体毛は生え変わったらしい。黒く短い毛の生えた子タラテクトの背中は、触ってみるとサラサラとしてて触り心地が良い。
蜘蛛の魔獣、タラテクトの子供と一緒に寝ている。これはは見つからないように気をつけないと。布団をかけて見えないようにして、腹の上に子タラテクトを乗せたまま、寝直した。朝、俺が起きるまで、子タラテクトはずっと俺の手にしがみついていた。
十日もすれば子タラテクトは元気になった。子タラテクトの目が庭に咲くゼラニウムの花弁の色に似ていて、ゼラと名前をつけて呼ぶことに。
名前などつけて情が湧けば離れづらくなる。そのときはそんなことも知らなかった。
「……何やってんの? ゼラ?」
朝、目が覚めると部屋には大きな蜘蛛の巣ができていた。その巣の真ん中でゼラは自慢げに左の前足をシュピッと上げる。
上手に巣ができた、褒めて、とでも言っているのだろうか?
「これ、見つかったら怒られるから外すぞ」
ゼラをつかんでベッドに投げて、見つかる前にと急いで蜘蛛の巣を木の剣で外した。巣を作れる程に回復したのなら、そろそろ別れる頃だ。父上にも母上にも、俺が犬か猫でも拾ってきたかと疑われ始めている。
ゼラを抱えて外に出る。ゼラの身体は焼け焦げて黒いのかと思っていたが、他のタラテクトとは違って茶色では無く、もとから黒いらしい。
家から遠くまで離れたところでゼラを地面に下ろす。
「いいか、ゼラ。人を襲うな、人の家畜を襲うな。そうしたらゼラは人に討伐されることも無い。森で仲間を見つけて暮らしていけ」
タラテクトに言っても理解できないと思うが、ゼラは他のタラテクトとは少し違うような気がしていた。十日とはいえ飼ってるうちに愛着が出たのだろう。
ゼラを置いて去ろうとすると、ゼラは俺の後を追いかけてくる。着いてくるな、と後ろに叫びそこから走って家に帰った。
「……なんでいるんだよ、ゼラ?」
朝、目が覚めると腹の上にゼラがいる。何処から家の中に潜り込んだのか、見つからずにどうやってこの部屋まで来たのか解らない。
その度に前より遠くへとゼラを離した。そんなことを三回ほど繰り返した。
「いいか、ゼラは魔獣で、俺は人だ。人と魔獣は一緒に居られ無いんだ。解ってくれ」
ゼラの赤紫の目は妙にキラキラとしていた。宝石のように。八歳の子供の足で行ける所まで遠くに行き、ゼラを置いて家に戻った。
それがゼラを、足を一本無くしたタラテクトの子供を見た最後だった。
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