第3話


 結婚式の最中、聖堂の天井を破って舞い降りたのは、大きな黒い蜘蛛だった。しかし、あのときに見たジャイアントウィドウよりは、少し小さい。

 このままでは大蜘蛛に潰される。左腕にしがみつくフェディエアを蜘蛛が落ちてくるところから突き飛ばす。だが、彼女を守るのが精一杯で、俺が逃げるには間に合わない。

 仰向けに倒れて黒い大蜘蛛にのし掛かられる。後頭部を床に打ち目眩がする。

 結婚式に乱入してきた人間よりも大きな蜘蛛に、聖堂の中はパニックになる。頭がクラクラする。走馬灯なのか、昔、似たようなことがあったことを思い出す。

 こうして蜘蛛にのし掛かられるのは、これで二度目になるのか。


◇◇◇◇◇


 五年前、俺が十六のときに王国をゴブリンの大進行が襲った。

 ゴブリン、コボルト、オークといった群れる魔獣にはごく稀に王種と呼ばれるものが産まれる。一度王種が誕生すればその魔獣は爆発的に増え暴走を始める。

 ゴブリンの王種誕生から増えたゴブリンの群れ。その群れの大進行を止めるべく、国王が軍を率いて討伐に向かった。

 数は増えても所詮はゴブリン。国の精鋭を率いて戦う国王軍はあっさりとゴブリンの王種の討伐に成功。

 しかし、統率する王種を失ったゴブリンの残党はあちこちで人を襲い始めた。

 そのとき俺は新米騎士として、村の住人の避難を援護する部隊にいた。王種を失ったものの数が増え、しかもゴブリンシャーマンやゴブリンアーチャー、ゴブリンジェネラルといった変異種まで揃った一団に狙われた村。

 防衛は難しく近くの砦まで住人を逃がす、その為に戦うことになった。俺のいた部隊がそこに居合わせたのは不運だったのか、それとも避難できた村人には幸運だったのか。

 曇り空の下、狼に乗って駆けるゴブリンライダーを剣でほふり、逃げる村人達を守っていた。


「だぁっ! 次から次へと鬱陶しい!」

「まったくだ! いい加減、諦めろ!」


 騎士エクアドと並び悪態をつきながらゴブリンを仕留める。一体一体はさほどでも無いが数が多い。その上、ゴブリンの王種に率いられることで身に付けたのか、ゴブリンのくせに連携などしてくる。

 後方から弓矢を射ってくる奴が忌々しい。


「ちっくしょっ!」


 エクアドの肩にゴブリンの矢が刺さる。


「退がれエクアド! 解毒を忘れるな!」

「援軍はまだか?」

「伝令が届いていれば、砦から来る! みんな走れ!」


 逃げる村人達の後ろを守るように、逃げながら戦う。あのときの俺はまだ、実戦にさほど慣れてはいなかった。曇り空から雨が降り、視界が悪くなる頃には目の前のゴブリン相手に集中し過ぎて、本体から離れてしまった。

 隣にいた先輩騎士がゴブリンの槍で肩を突かれ、倒れたときには俺ひとりになってしまった。

 息切れして、疲れで剣が重い。


「こうなったら、一匹でも多く道連れにしてやる!」


 俺が粘ればそれだけ逃げる人達へ向かうゴブリンの数は減る。グギャギャと喚く緑の小人に剣を振り回し、雄叫び上げて気力を振り絞って抗う。

 槍で足を刺され、背中に矢を射たれ、唸る棍棒が兜に当たり、留め具が外れて兜が飛ぶ。頭から流れる血が左目に入る。

 いよいよ終わりか、覚悟を決めたときに、目の前で斧を振りかぶるゴブリンがその姿勢のまま、左の方へとすっ飛んで行った。


 ――なんだ?


 驚いたゴブリン達も、一瞬動きを止める。突然乱入して来て、ゴブリンを一匹体当たりですっ飛ばしたのは、黒い大蜘蛛だった。

 子馬ほどの大きさの黒い蜘蛛。ブラックウィドウ。肉食の毒牙持つ魔獣。

 いきなり現れたブラックウィドウはゴブリン達を牙で爪で薙ぎ倒し、糸で絡めて動きを止める。噛まれたゴブリンには毒が回るのか、動きが鈍くなり足をもつれさせて倒れていく。


 俺は棍棒で打たれて痛む頭を左手で押さえ、右手ひとつで剣を振りゴブリンに切りつける。どういうわけかブラックウィドウはゴブリンだけを襲って、俺には向かって来ない。

 朦朧とする頭で槍に刺された足を引き摺り、ブラックウィドウと共にゴブリンと戦う。

 何故、蜘蛛と背中を守りあって戦うような事態に?


 ブラックウィドウの毒牙を恐れたのかゴブリンは背を向けて逃げ出した。俺は体力も気力も尽きて、何より頭が朦朧として仰向けに倒れた。

 ザアザアと降る雨が俺の鎧についたゴブリンの血と、俺の傷口から出る血を洗い流していく。

 倒れた俺の上にブラックウィドウがのし掛かる。ここで大蜘蛛に食い殺されるのか。しかし、この蜘蛛のおかげでゴブリンは逃げていった。それなら村人を守った礼に俺の身をくれてやるのもいいか。

 そんなバカバカしいことを考えていた。


 しかし、ブラックウィドウは俺を食おうとはしない。槍の刺さった足の傷口をまさぐられているような。傷口から流れる血を舐めているのか。

 その黒い大蜘蛛は俺に覆い被さるだけで何もしない。ザアザアと降る雨からその身で俺を守り暖めるように、仰向けに倒れた俺の上で大人しい。


「……お前は、なんなんだ?」


 聞いてみても何も応えは無い。棍棒で兜の上から殴られた頭の痛みか、傷口から血を流し過ぎたのか、降りしきる雨の中、黒い蜘蛛の身体の下で、俺は意識を手放した。


 砦から来た援軍に発見されて、俺は助かった。三日ほど、熱でうなされたが無事に回復した。援軍が来たときにはブラックウィドウの姿は何処にも無かったという。

 俺がブラックウィドウに助けられた、と言っても誰も信じてはくれなかった。


「頭を殴られた上にゴブリンの毒矢で幻覚でも見たんじゃないか? ゴブリンの群れの中に一匹で飛び込んで暴れて、無抵抗の人を襲わず食わないブラックウィドウなんて聞いたことも無い」


 落ち着いて思い返せば、友人のエクアドの言うことの方が正しいような気もする。ブラックウィドウと言えば家畜を襲って食らう話が多い。しかも俺が見たものは並のブラックウィドウよりは大きく、強かった。

 ゴブリンの集団をたった一匹で蹴散らせる程に。

 だが、朦朧とした意識の中で見たあやふやなものだが、のし掛かられて触れた蜘蛛の体毛の感触は妙にハッキリと憶えている。

 あのブラックウィドウは、右の一番前の足が一本、欠けていたような気がする。





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