第五章

第80話 朝の目覚め

 ――12月31日 午前8時


 


 ――眠い。


 ……やはり、昨日の夜というか朝方まで江原と話していたのが原因だろうな。

 鳴り続けるスマートフォンのアラームを消すために手を伸ばすために右手を動かそうとするが、何かが邪魔をしているようで右手が動かせない。


 仕方なく目を開けると、江原が俺の右腕を枕にして寝ている。


「はぁー。江原、起きろ」

「むにゃむにゃ……、もう食べられないです」


 こいつは一体、どんな夢を見ているんだ?

 まったく……。

 それにしても、スマートフォンのアラームが鳴っているのに目が覚めないとは……。


「山岸さーん」


 江原の目がパッチリと開いて俺を見てきていた。

 どうやら、寝たふりをしていたようだな。


「江原、さっさとそこをどけ。スマートフォンのアラームを止められない」

「はーい」

 

 彼女は俺の右腕を枕にしたまま、俺のスマートフォンを手に取る。


「はい。消しておきました!」

「人のスマートフォンを勝手に弄るな」

「ごめんなさい」

「まぁ……。いい――。それより、そろそろ面接に行くための支度をしないと不味いから退いてくれ」

「…………あと、5分――」

「おい、そのセリフは寝ている人間が、起こしにきた者に言うセリフであって俺の腕を枕にしているお前が言うセリフじゃないからな」

「むー、腕枕をしても減らないのにケチです!」

「そういうのはいいから」


 仕方なく左手で江原の脇腹を突っつくと「ひゃっ!?」と、言う声を出して江原は横に転がっていく。


「山岸さんは意地悪です」

「何がだ」

「知っていますか? 棚から牡丹餅理論を」

「何の話だ?」


 棚から牡丹餅というのは、思いがけない幸運が転がり込んでくることを意味する。

 そこから考えると棚から牡丹餅という言葉が指し示すイベントなぞ江原と俺の間には一切合切起きてはいないはずだが……。


「男女が同じ部屋で寝たら、とりあえず襲うというのが古来からの仕来りですよね?」

「何の仕来りだ。そもそも、それは棚から牡丹餅とは言わないぞ? それを言うなら据え膳食わぬは男の恥だ」

「山岸さんって、必要のないところで細かいですよね」

「――それより、今日は借りる家を探しておけよ?」

「私としては、山岸さんの家に住み込みでもいいです!」


 俺が普段から愛用している枕を抱きしめながら、布団の上で女の子座りしながら江原がそう言ってくるが、俺としては自分のパーソナルスペースは持っておきたい。

 そもそも6畳一間の部屋で、男女二人で過ごすなど無理がありすぎる。


「それは却下だ」

「どうしてですか?」

「狭いからだ」

「広ければいいんですか?」

「まぁ、広ければな」


 禅問答のような問いかけに、スーツを着ながら答える。

 

「とにかくだ。今日からは、自分で家を借りて住むか宿泊施設を利用しろよ?」

「分かりました。あの、山岸さん? 本当に、部屋が広ければ一緒に暮らしてもらえるんですよね?」

「だから、そんなことは無理だと言っているだろう? ここの部屋のどこに部屋が広くなるスペースがあると思う?」

「いえ、それだけ聞ければ十分です!」

「はぁ、まったく意味不明なことを――」


 江原が何を考えているのか分からないが、一緒に過ごすなど普通に考えて無理だからな。

 まぁ、俺の言質を取ったのは何となく分かるが、物理的に部屋を広くするなど無理だ。


 空き部屋になっている隣の205号室を借りて壁を破壊して一つの部屋にしない限りな。

 まぁ、人様の物件で――、そんなことはしないだろう。


 スーツケースに履歴書を入れる。


「江原――、これを渡しておく」


 新しくした鍵の一個を江原に放り投げる。

 鍵は、江原が抱きしめている俺の枕の上にポトリと落ちると。


「これは、鍵を私にくれるということですか?」

「やらん。部屋を出るときは鍵を閉めるのを忘れるなよ? あと鍵は、ポストの中に入れておけ」


 まぁ、盗難されることはないと思うがな。


「分かりました!」


 これ以上もない満面な笑みで江原が「いってらっしゃい」と言ってきたが、アイツ……、このまま俺の家に住むつもりじゃないだろうな?

 そんなことはないか。


「はい、千城台交通ですが――」

「山岸です。車を回してもらえますか?」

「分かりました」


 スマートフォンでハイヤーを呼び出す。

 よくよく考えればバスでしか都賀駅まではいけない。

 それなら、面接会場のある海浜幕張のワールドビジネスガーデンまではハイヤーで向かった方が早いだろう。



 


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