第4話 神様が見つめる少年

 翌日曜日の錦織村には雨が降り注いでいた。昨日の昼頃から村の上空に滞在していた雲はますます厚くなり、寝付く前にはポツポツと降り始めていた音を聞いた覚えがある。

「…………」

 暖かな日差しが恋しい。気持ちが晴れないのなら、せめて天気くらいは晴れてほしかった。

 布団から起き上がって着替えを済ませ、部屋を出ようとしたところで机に目を向けた。そこには、俺宛の感謝状が折り畳まれて置かれている。

 この手紙自体には何も無い。この手紙を通して、破かれてしまったほうの手紙が思い出される。

「まさか、あんなことになるなんてな……」

 俺の前ということだけでなく、あの場には和樹と天音がいた。

 峰倉に手紙を渡すタイミングを間違えただろうか。……いや、見せつけるように破り捨てるなんて想像も出来ないだろ。

 次いで俺は窓の向こうへ視線を向けた。そのすぐ先には、峰倉が通い詰めている例の山がある。

「……」

 あいつは今日も墓参りに行っているのだろうか。と、憂慮にそんなことを思った。

 …………俺は今、どうして憂慮なんて感情表現を使ったんだ? 昨日あれだけ言われれば、和樹のように苛立つのが当然じゃないか。

 なのに何で、気掛かりとばかりに心配しているんだよ。

「……」

 どうして俺はこんな気持ちなんだ?

 自分で自分にそう問いかけた。

 そりゃそういう気持ちだからだ。

 自分に自分がそう答えてきた。

 答えになってねぇよ。なら、こんな気持ちになった原因は何だ?

 今一度自分にそう問いかけた。

 そりゃ峰倉を思い出したからだろう。

 今一度自分がそう答えてきた。

 昨日メチャクチャに言われて落ち込んでるのか?

 さらに自分にそう問いかけた。

 そりゃ違う、言葉じゃなくて態度が気になっているんだよ。

 さらに自分がそう答えてきた。

 俺は、どうしたいんだ?

 最後に自分にそう問いかけた。

 ………………。

 最後に自分は何も答えなかった。

「…………」

 その代わり、昨日の別れ際に見た峰倉の顔が脳裏に投映される。

「……ちっ」

 俺は余計な思考をした自分自身に舌打ちをし、上着を一着掴み出して部屋を出た。

 気持ち足早に居間へと向かい、朝食の準備を進めていた祖母に声をかける。

「ごめん、ちょっと出かけてくる」

「今からかい? もうすぐ朝ご飯だよ」

「何も無かったらすぐに戻ってくるから」

 事情を説明する時間さえ惜しかったため、祖母の返事を待たずに居間を後にする。

「あぁ、これで早とちりに終わったら笑いもんだな」

 玄関で上着を着用して靴を履き、傘を一本掴んで家を飛び出した。



 雨降りの田舎道を駆ける。家の裏から件の山を登ることも可能なのだが、どの方向に進めば良いのか分からないため正規の道を目指した。

 傘も始めは差していたのだが、走りにくいと感じてからは畳んだまま手に握られている。おかげで雨が余す所無く俺の全身を攻め立て、ずぶ濡れになった服が余計な重量を身体に付加させる。

「はぁ、はぁっ」

 決まった目的がある訳ではない、ただ勢いで飛び出してきた。

 だけど、じっともしていられなかった。

 あいつに会わないといけない。

 昨日峰倉が見せたあの顔、涙を流して立ち去ったあの時の顔は、


 自殺しかねない表情をしていた。


 とは言っても根拠はほとんど無い。

 過去に自殺を図ったことのある俺だからこそ思った直感のようなものだ。

 思い過ごしで終わるならそれで良い。

 そもそも、峰倉が今何をしているのかなんて分からない。

 どこにいるのかさえも分からない。

 今日もあの山に行っていると思うのだが、その保証はまるで無い。

 雨が降っているから来ないのかもしれない。

 仮に行く予定なのだとしても、今この時間ではないのかもしれない。

 それでも構わず、走り続けた。

「はぁ、あぁっ」

 けれども、自殺なんてそうそう出来はしない。

 いざ死を目の前にすると胸の奥から恐怖が湧き上がり、生存本能が全力で生を訴えかけてくるのは実体験で立証されている。

 …………俺は、覚悟が足りなかっただけだがな。

 生きる道があるのにも関わらず、無理矢理死の道を選ぼうとして脳と心がバランスを崩した。

 人間の脳ってやつは、僅かでも生き残れる可能性があるならば最後まで足掻こうと躍起になるんだ。生存する為に身体へ考え得る限りの命令を下し、身体はそれに従って行動する。

 俺はその本能を無視出来なかった。

 いつも思うよ、自殺するやつは凄いと。

 正常な精神状態のままでの決行は不可能なので、そいつらは全員自棄になっていたに違いない。それでも生存本能を無視して行動出来るというのは、ある意味とても強固な意志を持っていたのかもしれないとも思う。

「くはっ、はっ」

 ちなみに、心と脳を一緒くたに考えるのは間違いだ。

 心は利害を度外視して脳に欲望を懇願する。

 脳は利害を重要視して心に妥協を提案する。

 この均衡が保たれており、状況を判断して最善手を計算するのが理性だ。

 俺が自殺出来なかった理由もここにある。

 心では死を求めたが、脳は生を訴えた。

 欲求と本能、勝つのはいつも本能だ。

 これは生命体における宿命でほぼ覆せはしない。

 いくら強い願望を持っていようとも、絶命してしまえば全てが台無しになるからな。

「はふっ、はぁ」

 自覚していないだけだが、一般人も生存する為の最善手を常に取捨選択している。

 日常生活を送る中で、欲と命を天秤に掛けなければならない、なんて場面は滅多に訪れやしないが、対人関係や物資購入の選定も充分当てはまる。

 だけど余程酷い選択をしない限り、突然死に追いやられることはまず無いだろう。

 多少のミスならば後でリカバリー出来るので、心の欲望を脳はそのまま許諾する。

 この事象を本能の赴くままと勘違いしている人も多い。しかし本当は、全ての事柄を脳は厳正に選別しているんだ。

 それをまだ知らなかった頃の俺は、浅はかな思案で自殺を目論み、失敗した。

「はっ、っ……」

 だが実は、狂乱せずとも割と簡単に自殺出来る方法がある。

 要点は一つだけだ、脳を味方に付ければいい。

 脳の身体に対する作用は生への執着のみではなく、生存を諦めた時は安楽に絶命しようと身体に協力する、らしい。

 こればっかりは経験するまでに至らなかったので、らしいと言わざるを得ない。そもそも身を以て証明した暁には、論文を書く前に現世からおさらばしている。

 脳が生存を諦める状況は、多種多様で例を上げればキリが無い。

 あるいは、両手両足を縛られて、重りと共に水中へ沈められた時。

 あるいは、ビルの屋上からアスファルト舗装された路面に自由落下する時。

「……っ」

 あるいは……、人間関係を全て断ち切ろうとした時。

 人は人と関わらずには生きられない。しかし、他人との触れ合いを苦痛に感じる人も中には存在する。

 極度に忌み嫌う場合は、自殺を決行するパターンも意外に多い。

 分かりやすい事例は虐めだな。俺の自殺未遂もこれに影響される部分があるから、心身共に痛みを理解出来る。

 他にも、何らかの事情で人付き合いを拒絶しなければならないのに、執拗に付きまとわれた場合は苦痛を感じることもあるだろう。

「峰倉の……、ように」

 昨日感じた種類も分類も分からない感情、この正体が今なら分かる。

 あれは峰倉は自殺願望を持っていると気付いた危機感だ。

 そういや、転校してきてから毎日のように声をかけていたな。

 それがあいつの心を苦しめていたのかもしれない。

「頼むぜ、早まってくれるなよ……」

 今更ながらその事実に気付いた俺は、思いを呟いてより一層速く走り続けた。



 山の麓に辿り着き、侵入を拒むチェーンを飛び越えて通過する。肺と足腰の負担を無視し、煌森先輩の墓石を横目に映して土砂の川を駆け進んだ。

 もう少しで土石流の切れ目、一昨日の放課後にも訪れた山崩れの反対側に到達する。

 そこに峰倉は………………、

 いた。

 「峰倉!!」

 俺は見つけるやいなや、傘も差さずに立ち尽くしている少女の名前を叫んだ。

 胸が痛い。ただでさえ走り詰めでここまで来たのに、いきなり大声を出したから肺が限界を訴えているんだ。

「はぁ、ぜぁっ」

 膝に手を付き、肩で呼吸をして肺に酸素を送り込む。

「現れたわね、ストーカー……」

 峰倉は特に驚いた様子も見せず、首だけを動かしてこちらに振り向く。昨日来ていたものと同じ黒のワンピースが、雨に濡れて身体にピッタリと張り付いていた。

「何やってんだよ、お前……」

「休日の……、しかもこんな天気の悪い日にまで現れるなんて、一体何なのよ……。もしかして、あれなの……? エムってやつ? ただのストーカーじゃなくて、変態だったのね……」

「違うって……、ぜぇ、言ってるだろ」

 言葉はいつも通りの強気な台詞だが、声に威勢が無いので別人のように感じた。

 呼吸を整えるのもそこそこにし、手遅れとは思いながらも近付いて傘を差してやる。

「ここに来たのは偶然……? それとも、私の動向は全て筒抜けなのかしら……。変態の行動力は侮れないわね…………」

「何で傘も差さずに突っ立ってんだよ、風邪引いちまうぞ」

「申し訳ないのだけど……、変態さんと仲良くはなれないわ……」

 峰倉は顔を下に向けてポツポツと声を出しているが、先ほどから会話は全く噛み合っていない。

「家はどこだ? 是が非でも連れて行くからな」

「ここよ……。もう流れちゃったけど」

「どうして自虐的な返答は素直にするんだよ。そうじゃない、今住んでる場所だ。祖父母の家だったか? とりあえず山を下りるぞ」

「行かない、行きたくない……、もう、どこにも、私の居場所なんて無い……」

 腕を掴んで歩き出そうとしたが、それを頑なに拒否してこの場から動こうとしない。

「くっ……」

 是が非でも連れて行くとは言ったものの、このまま腕を引っ張ると引き摺り回す羽目になりそうだ。不本意ではあるが、言いたい事を全て言い終えるまで待つとしよう。

「私は、誰とも関わらない……。いなくなったって、誰も困らない。……なら、私がどこにいようと、あなたには関係無い…………」

「……」

「周りの人を見てみなさい……。誰も、私に、構わない……」

「……」

「最近は少しだけ……会話をしたけれど、あなたがきっかけ、なのよね…………。なら、あなたが諦めれば……、元に戻る、わね……」

「……」

「最初は慣れないでしょうけど、私のことは、無視しなさい……。そのほうが、幸せな人生を送れるわ…………」

「幸せな人生か。そんなもんに興味は無い」

「えっ……」

 予想外だったのであろう返事を聞いた峰倉は疑問の声を漏らし、顔を上げて虚ろな眼差しで俺を見上げた。前髪から滴り落ちた水滴が、ポタリと地面に着地して染み込んでゆく。

「言いたいことはそれで全部か? なら、次は俺の番だ」

「……?」

「一昨日の放課後に少し話したよな、俺は死にたいんだって。理由はな、生きる意味が分からないからだ。人間なんてのは数十年程度生きた後、いずれ死を迎える。いつか必ず死ぬのなら、人生を精一杯努力して生きる必要は無いと考えたんだ」

「……」

「今はもう無為に生きようとは思っていないが、それでも人生は無意味という結論に揺らぎは無い。楽しく生きようが苦しく生きようが、無難に死去出来ればそれでいい」

「……」

「俺は前の高校でさ、いくつか事件を起こしたんだ。クラスに嘘の情報を流したり、先生の机に脅迫状を忍ばせたりな。そんでこれらが見つかって生徒指導室に呼び出され、先生や生徒、果ては生徒の親御さんにまで怒鳴られたよ」

「……」

「その時に思うんだ。よし、これでまた周りの人に嫌われたって。自分で自分をつらい状況に追い込み、どんどん居場所を無くしていった。動機は割とシンプルだ。嫌な気持ちで満たされ、自殺の糧にしたかった」

「………………」

「お前……、自殺したいと思ってたんじゃないのか?」

「!」

「周りとの交流を断ち切りたいのなら、上手く受け流してかわせばいい。それをわざとらしくキツい言葉で突っぱねたのは、自分を追い込む為だったんだろ」

「違う……」

「でも、いざ自殺を想像すると恐怖が湧き上がり、なかなか出来ずにいた」

「違う」

「つらい状況にありながら、恐怖で自ら命を絶つことも出来ない。そんな不甲斐なさに苦しんでいるから、昨日泣いてたんじゃないのか」

「違う!」

「違わねぇ! お前自身が言ってただろ、好きになったから大切な人が亡くなったのだと。新たな犠牲者を生んでしまう前に、自分が死んでしまおうと思ったんだ!」

 こいつは、誰とも友達になれないと言っていた。

 これは、友情という好意で相手が死んでしまうと思ったから。

 更に、相手は友人だけに限らない。

 優しく気遣ってくれた人を、感謝という好意で殺してしまうとも思った。

 こいつは錯乱している訳ではない、常に正気なんだ。

 正気だからこそ、ただただ人を拒み続けられる。

 皆を守りたいから。

 不可避と思しき不幸を防ぐ為に、周りの人と距離を取る。あわよくば、先に自身の命を断ってしまいたい。この二つの願望を両立可能な方法として考えられたのが、村人の拒絶だったんだ。

 感謝状を俺達の目の前で破り捨てたのが分かりやすい例だ。

 反感を買うことまで織り込み済みで、自殺願望の後押しに一翼を担った。

 峰倉自身にとってもつらい言動を続けられたのは、強靭な精神で自我を保っていたからだ。

 強い心を持ち、今日まで折れること無く頑張ってきた。

 だけど、それはどれだけ過酷な所業なのか。

 家族が亡くなった事。

 少年が亡くなった事。

 周りに嫌われなければならない事。

 嫌われなければならない、自分自身のこと。

 僅かな幸福も得られず、それら全ての不快感を正面から受け止める。

 並大抵の意思では、到底果たせない。

 いっそ狂ってしまえば楽だったかもしれない。

 少なくとも、周囲に対する罪悪感は軽減されていただろう。

 でも、彼女は自暴自棄にならなかった。

 

 村の人達が、好きだから……。


 皆を守る為に、皆を拒絶する。

 そんな残酷な人生を、峰倉は一人で生きてきた。


「もういい、もういいんだ」

 あやすように静かな声をかける。

 こいつは何も悪くない。悪者がいるとすれば、それは運命だ。

 もしこの運命を神様が定めたと言うのなら、運命によって作られたこの世界を呪い尽くしてやる。

「お前は充分、頑張ったよ」

「あなたに……っ」

「!」

 雨の中でも明確に、ギリッと歯軋りの音が聞こえた。

「あなたに私の何が分かるって言うのよ!!」

 ずっと腑抜けていた峰倉が怒りの感情を解放し、右手を振り払って俺の手から傘を払い飛ばした。傘は峰倉のすぐ隣へ無惨に落下し、俺達は再び雨風に身を晒す。

「私の気持ちを、私の人生を、他人が理解出来るはずが無い! 人は誰だって、相手の心を正確に把握なんてしていない。しているつもりになっているだけ! あなただって、ちょっと自分と重なる部分があるからって、同情していい気になっているだけよ!」

「違う! 俺は本当に、お前の気持ちを理解している!」

「その違うと言い張る強情が間違いだと言っているのよ!」

「それこそ違う! お前が間違いだと思い込んでいるんだ!」

「違う! 私が思い込んでいるとあなたが思い込んでいるだけ!」

「違うって! 自分の空想に引き籠るな!」

「あなたの幻想を押し付けないで!」

 否定に否定が積み重なる。本当に、お互いを分かり合うのは難しい。

「どうして、信用してくれないんだよ……」

「言葉では何とでも言えるもの。体裁を取り繕って上辺だけヘラヘラ笑うなんて、よくある話じゃない」

「俺が今、笑っているように見えるか? 体裁を取り繕う為だけに、お前と雨の中で口論してると思うのか!?」

「思わないわね」

「じゃあ……!」

「でも」

 峰倉は俺の発言を遮り、怖気がするほどの冷酷な笑みを浮かべた。

「そう思わせることまで含めて計算された行動。かもしれないわよね」

「なっ……!」

 それは、俺の心を一撃で砕いた言葉だった。

 真剣な気持ちを根本から否定され、怒りや悲しみといった感情が胸の内を乱雑に駆け巡る。

「……人の本心を踏みにじって、楽しいか?」

「ええ、とても愉快だわ」

「そんなふうに嘲笑えるお前を、可哀想に思うよ……」

「その言葉も嘘かしら?」

 言葉では何とでも言える。峰倉は、どうあっても他人を信用しないのだろう。

 いや、信用をしないのではなく、信頼をしないのだろう。

 誰にも心を開かない。他人を遠ざけ続けると、過去に峰倉は誓った。

 相手の言葉の是非は関係無く、他人を自分の世界から排除する。

 その結果、自分がどれだけ嫌われようとも構わない。

 自他両方の不快な言動は全て、自殺への助力になる。

 自殺さえ出来れば、他の事がどうなっていようと関係無い。

 多少強引にでも他人を引き剥がせさえすれば、それ以上の不幸な事態は訪れないのだから…………。

「!」

 ……あぁ、そうか、そうだよな。大きな不幸よりも、小さな不幸のほうがいいよなぁ。

 言葉だけなら何とでも言える。それは、峰倉だって同じだ。

 こいつは嘘をついている。

 俺は拒絶するだけでは降参しないと判断し、嘘を混ぜての説得に切り替えたんだ。

 峰倉はこの期に及んでまで、俺の身を案じて突っぱねようとしている。

 どこまでも、いつまでも、どんな状況でも、相手の拒絶が最優先事項。

 嫌われながら、疎まれながら、黙殺されながら、相手を生かす人生を選ぶ。

 …………なぁ、そんな人生はもう、疲れただろ。

 もちろん、好きでやっている事ではないのは分かっている。

 だけどさ、それでお前が不幸になる理由は無いと思うんだ。

 ましてや、自殺しなければならないなんて道理も無い。

 つまりは、相手に好意を抱くとアウトなんだろう?

 だったら、俺が一緒にいてやるよ。

 使い方に困っている命だ。絶命しようとも構わない。

 人生は無意味と考えている俺が、お前の人生に楽しさを与えようじゃないか。

 捨てるのでなく、生かす為に命を燃やそう。

「……仮に、あくまで仮にだ、俺の言葉が全て嘘だったとしよう。そしたら、全身ずぶ濡れになってお前をたぶらかして、俺には何のメリットがあるんだ?」

「それは……分からないわ。なら、仮に言動が本心によるものだとしましょう。そうなると、あなたは何のメリットを求めてこんなことをしているの?」

「そんな打算的な事は何も考えてない。やりたい事をやっている、それだけだ」

「そのやりたい事が、雨の中で私と会話をする。なの? 頭のネジが抜けているんじゃないかしら。一度、脳外科で検査してもらうのをお勧めするわ」

「雨が降ってんのはともかくとして、会話をしたいってのはその通りだよ」

「錦織村に大きな病院は無いから、街の病院を頼りましょうか。救急車が来るまでの間、安静にしていなさい」

「話をはぐらかそうとするな」

「…………」

「…………」

「……会話の先に、望むものは何?」

「お前と友達になりたい」

「まだそんな妄言を言うのね。冗談抜きに、本気で頭の心配をするわ」

「安心しろ、観念がズレているのは認知している」

「それは知っているわ。そうでなくて、何度も断られているのに諦めないのは、学習能力が無いからなのかと疑っているのよ」

「学習したから、諦めずに話しかけているんだ」

「何を学習したと言うの?」

「お前が本当は……、優しい人間だってことをさ」

「なっ!? ……どこをどう解釈したら、私から優しさを感じるのよ」

「徹底された冷たい態度にだよ」

「やっぱりあなたって……」

「最後まで聞け。先にはっきりしておこう、お前の冷たい態度は演技だ」

「…………そうよ、それが何」

「他人を冷たくあしらい続けるのは、相当疲れることだと思う」

「そうね、あなたの相手をするのは相当疲れるわ」

「ましてやお前には、悩みを打ち明けられるような相手がいない」

「いらないもの、そんな存在」

「ストレスは溜まる一方だろう」

「えぇ、現在進行形で溜まっているわ」

 ここで俺は、少しだけニヒルな笑顔を浮かべた。

「そんなにつらいなら、やめちまえばいいじゃねぇか」

「馬鹿言わないで!」

 そんな俺の態度に怒り、峰倉は声を大にして叫んだ。

「前にも言ったじゃない、温情も、友情も、愛情も、好意になるものを抱くわけにはいかないのよ! 人付き合いをして、また私のせいで死んでしまったらどうするの!? どうにもならないのよ!! 失われた命は戻って来ない。だったら、一人の人間を嫌ってでも生き続けたほうが幸せになれるじゃない!!」

「それだ」

「!?……」

「お前の冷たい態度は、皆を守りたいという優しさから来るものだ」

 思い返せば、村民に向けて大嫌いと公言したのが始まりなのだろう。

 当時、峰倉の境遇に対して意見が対立していた村人を、自分が共通の敵になることで纏め上げたんだ。

 汚れ役を孤独に背負い、苦悩にまみれた人生の第一歩を踏み出した。

「自分の評価など二の次とし、皆の為を想って拒絶する。目的を見失わず、一途に努力をし続ける……。そんな優しくも強い心を持った、お前の友達になりたいんだ」

「!!」

 峰倉は驚きと照れを半々に混ぜたような顔をした。急にそんな反応をされると、真顔でキザったらしい台詞を言ってしまった事を自覚して恥ずかしくなる。

「…………信頼は、出来ないわ」

「つまり、出来るならしたいってことだろ。俺はこの世に未練なんて無いから、好きなだけ頼ってくれよ」

「家族や友人達の事はどうでもいいの?」

「酷い言い方になるが、皆ともいつかは別れる時が必ず来るんだ。それが遅いか早いかの違いでしかない」

「本当に死ぬかもしれないのよ?」

「これも同じだ。遅いか早いか、それだけさ」

「私と一緒にいると、あなたまで村人から反感を買ってしまうわ」

「お前の不幸から目を背けてのうのうと生きるより、ずっと良い」

「その言葉……、信じてもいいのね」

「あぁ」

「…………そう」

 峰倉は確認の言葉を呟き、屈服したと言わんばかりに項垂うなだれた。

 よし、どうやら根勝ちしたようだな。

 何だか、得も言われぬ達成感に満たされている。

 これで一件は落着だ。

 この先はもっと沢山の問題が起きるだろうが、余生と思って気楽に受け止めていこう。

「さぁ、ひとまず家に戻ろうぜ。マジで風邪を引いちまう」

 峰倉は落ちている傘を拾い、朗らかな表情で俺を見つめる。

「あなたに言いくるめられるなんて、想像もしていなかったわ」

「ほとんど勢いで話していただけだがな」

「誰かが声をかけてきたなら、無視すればいい。深入りしてくるなら、突き返せばいい。だけど、それが可能なのは感性がまともな人だけなのね。あなたのような、人生に価値観を持っていない人の対処法は考えていなかったわ」

「役に立ったのなら、こんな感性で良かったと思えるよ」

「毎日ここに来てたのはね、家族やコウが迎えに来てくれるかもしれない。と、淡い希望を抱いていたからよ。そう、あなたの言う通り、いつも絶命を願っていた。けれどやっぱり、自殺は怖いのよね。出来ない内に六年も経ってしまったわ」

 今さっきまでの落胆が嘘のように、とても明るい声音をしている。

 長年抱え込んでいた苦悩が解決され、安堵に満ちているのだろう。

「それに加えて、過去の事を他人に話しただなんて、相当に焼きが回っているわね。正直、あなたがここまで強引なのは誤算だったわ。だけど、一応感謝しておこうかしら。そのおかげでようやく、決心がついたのだから」

「おう、これからはーー」


「さようなら」


「ーー…………えっ?」

 峰倉が発した五文字の言葉の意味を、訊いた直後は理解出来なかった。

 しかし俺はすぐに、この後に起こるであろう事態に気が付く。

「みねくうわっ!?」

 制止を求めて叫ぼうとした矢先、峰倉が俺の眼前に傘を投げつけてきた。

「ちっ!」

 反射的に右腕で顔を庇う。ほんの一瞬だけ視界が奪われ、

「くそっ!」

 ほんの一瞬の間に峰倉が姿を消した。

 急いで辺りを見回し、森の中を駆け下りて行く人影を目で捉える。

「待てっ!」

 雨に濡れて足場が悪く、滑って転倒しかねない。

 だが峰倉はそれを気にも止めず、一心不乱に木々の間を突き進む。

「待ちやがれっ!」

 声を張り上げながら後を追う。が、無論そんな言葉で立ち止まる訳も無い。

 走り続けている少女の背中をがむしゃらに追いかける。

「ぐっ!」

 とんでもない勘違いをしていた。

 急激な様子の変化は苦悩が解決したからではなく、吹っ切れたことによる開き直りだったんだ。

 その苦悩とはつまり、自殺への恐怖。

 根勝ちしたのが、言いくるめてしまったことが裏目に出た。

 俺は救いようの無い大馬鹿野郎だ。

 村人の為に自己犠牲を貫いてきた優しい彼女が、お前の為に俺は死ぬ、と言われて従順に受け入れる訳が無いだろ。

 自分と相手の命が選択対象となった時、躊躇わずに自分の命を差し出そうとするのは容易に想像出来たじゃないか。

 それが頑固な峰倉の選ぶ結論だ。

 それが、最期まで己を曲げない峰倉の生き様なんだ。

「!!」

 猛省しながら走り続けていたが、前方に終わりを告げる存在がやってきた。

 俺達の向かう先、俺の前を走る峰倉のすぐ先には、地面が無い。

 それの正体を端的に表すならば、崖。

 転落すると命を落としかねない、絶望の象徴。

 そこに峰倉は足を踏み入れ、身を投げ出した。

「峰倉ぁぁぁぁ!!」

 目に映ったその光景を脳が確認する前に、俺は彼女の名前を叫びながら全力で地面を蹴った。

 一緒に飛び降りてどうするんだとか、本当に死んでしまうとか、そんな些細な事は一切気にせずに跳び跳ねた。

   ーーーーーーーー

 なぁ神様、これがお前の望んだ展開なのか?

 一人の男が死んだように生きて、一人の女を死に追いやってしまう。

 これがお前の、俺に与えた人生なのか?

 確かに俺の人生は、俺自身で選択して生きてきた。

 だけどお前は、俺が峰倉と出会うことも知ってたんじゃないか?

 俺が峰倉を追い詰めることまで、全て知っていたんだろう。

 だとしたら、何でこんな人生を与えたんだよ。

 これなら、始めから何も無かったほうが幸せだったよ。

 俺なんて産まれてこないほうが、皆幸せだったろうよ。

 少なくとも、一人の少女を死なせずに済んだはずだ。

 もしそこで見ているのなら、閻魔のところまで道連れしてやる。

 次はお互いに、もうちょっとマシな物語を紡ごうぜ。

「  好き勝手言ってくれるなぁ  」

 ……なんだ?

「  この未来を選んだのはキミじゃないか  」

 何を言っている?

「  確かに、ぼくが貰ったからキミは分からないよね  」

 話すなら分かるように言ってくれ。

「  このままというのはぼくも望まない。だから、これは返してあげる  」

 何を?

「  ほら、オマケもしてあげるから、もう少し頑張ってみなさい  」

 お前は誰だ?

「  またね  」

   ーーーーーーーー

「ーーーー!!」

 遠くなりつつあった意識を持ち直し、精一杯の気力を込めて右腕を伸ばす。しかし、俺達は落下速度が同じなので手が届くはずが無い。

 駄目なのか、そう諦めかけたその時、

「  」

 トン、と背中を押され、峰倉との距離が縮まった。

「ああぁぁぁぁぁぁ!!」

 言葉にすらなっていない想いを叫び、身体を捻り、峰倉の左手を……、


 掴んだ。


 握ったと同時に身体を引き寄せ、両腕を背中に回して抱え込む。

 気を失っているのか全く抵抗せず、柔らかなその身は容易く俺に預けられた。

 無表情に瞳を閉じている顔、華奢な体躯、雨に濡れた髪の毛からワンピースまで、峰倉を構成する全ての要素を手放しはしないと力を込める。

 必死に……、必ず死なさないと、強く抱き締めた。

「ーーーーがはっ!」

 落下地点にクッションが置かれていたなんてこともなく、俺は地面に背中から激突した。

 それでも決して峰倉を放り出さず、懸命に抱き留める。

 地面に到達してもしばらくは斜面を転がり、土と草の手荒い歓迎を全身で受け続けた。

「ぅ、うぁっ……」

 ようやく回転が止まったところで呻き声を漏らし、自分の声を聞いたことで己の生存を確認する。

 身体のあちこちが痛い。擦り傷はもちろんあるだろうし、これは骨が折れていてもおかしくはない。そう思えるほどに痛い。

 朧気な意識で目を開くと、たった今飛び降りた崖が見えた。

 高低差は十メートルも無いくらいか? なんだ、意外と大したことのない高さだったな。こんなんじゃ自殺スポットにもなれないぜ。

 次いで目を動かし、峰倉を視界に入れる。

 共に崖から落ちて斜面を転がり落ち、俺の身体に覆い被さる体制で落ち着いているこの少女。

 先ほどから指先の一つも動かしていない。大丈夫なのだろうか。

「ぉぃ……、ぃぇぅ……」

 声をかけようとしたのだが、背中を強打した激痛で上手く発声出来なかった。

 さて……、どうしたものか。

 この場に至るまでさんざん走り回ったので、強制的に退かせられるほど体に余力は残っていない。

 だからと言って少女がいつまでも胸の上で俯せに寝転がっているというのは、一応健全を謳う男子高校生の身には考えるものがある。

 うーん、困った。

 やむを得まい、ここは峰倉に自力で目覚めてもらおう。

 背中が痛まない程度に深呼吸をし、右腕に走る痛みを堪えて峰倉の肩に手を添えた。

「うっ……」

 しばらく適当に揺すっていると、泥にまみれた髪の毛を全て顔面にかけて上半身を起こした。貞子も顔を真っ青にして逃げ出す惨憺さんたんな光景だ。

「…………」

 峰倉は上体を起こしただけで俺の上から降りようとはせず、半開きの目を左右に動かして現状の確認をしていた。やがて、

「…………て」

 何かをポツリと呟いた。

「どうして……、助けたのよ……」

 とりあえず無事みたいだ。ひとまず安心して身体から余計な力が抜ける。

「私なんて、生きていたって何も……」

「そんなこと言うなよ」

 無駄な力が抜けたおかげか、至って自然に声を出せた。ついでに髪の毛を掬って後ろに流してやる。

「私を救う価値がどこにあるのよ……」

「さっきも言っただろ。価値とかメリットとか、そんなもん関係無い。やりたいと思ったからやったんだ」

「それで崖から飛び降りるだなんて……、馬鹿なんじゃないの? 今回は運良く助かったから良かったものの、打ち所が悪ければ怪我だけでは済まなかったわよ」

「仕方ねぇだろ、考えるよりも先に身体が動いたんだから」

「疑うまでもなく、馬鹿だったわね……」

「そのおかげでお前を助けられたなら、俺は馬鹿で結構だ」

「……こんな人生、もう、嫌…………」

 己を律し続けていた峰倉が、ついに弱音を吐いた。

「死にたくても、怖いから死ねなくて、嫌われたくても、みんな優しいから嫌われない……。そんな中あなたが現れて、やっと、やっと……、最期だと思ったのに、救われて、あなたを傷だらけにして、生き延びて……」

「…………」

 俺は峰倉が少しでも落ち着くようにと背中をさする。右腕の痛みで自分の存在を感じ、右手の感触で峰倉の存在を感じる。

「気遣ってくれるのは、ありがたいと思ってる。でも、つらい……。感謝をしてはいけないから、恩を受け取れない。受け取らないから、心配してくれた人の気分を害してしまう……。酷いことをしたと、自分を非難しても、怖くて、死ねない……」

「峰倉……」

「善意がつらい。厚意がつらい。温情に苦しめられる惨めな自分が、つらい……。つらいけど、優しさからくる苦悩だから、嫌な気分にはならない。死にたいと思うような、暗い苦衷くちゅうにはならない。ただただ、つらいだけ…………」

「峰倉」

「本当は感謝してるのに、本当は凄く、嬉しいのに、誰にも感謝の言葉すら返せず、胸中も打ち明けられず、一人で煩悶と悩み込むなんて……、どうして、こんな生き方をしなければならないのよ。どうして、ねぇ、どうして…………!」

「絢乃!」

「!……」

 峰倉は突然下の名前を呼ばれて言葉を止めた。戸惑っているこの隙に俺は言葉を続ける。

「もうそんなつらい思いはしなくていいぞ。さっき崖から飛び降りた時に、思い出した」

「……?」

「お前の記憶の死んだ男の子ってさ、俺なんだ」

「!!」

「まぁ、俺は生きている訳だから、正確にはお前の記憶の男の子だな」

「い、言い方なんて何でもいいわよ! ちょっ、ちょっと待って、証拠は? あなたがコウだという証拠は!?」

「証拠って言われてもな……。じゃあ、そのコウって偽名が俺の名前、《弘人》の《弘》を音読みしたものだと言ったら信じてくれるか?」

「ぁ……!? ぇ…………?!」

 とは言ったものの、こいつが俺の名前の漢字までを記憶しているとは到底思えない。口答だけで上手く伝わっただろうか?

「山崩れの起きたあの日どこにいたの? 何があったの? あれからどうしていたの!?」

 峰倉はずいっと顔を近付け、真意をその目で確かめようとばかりに俺をマジマジと見ていた。顔にかかる髪の毛に懐かしさを感じる。

「落ち着け、ちゃんと説明するから少し離れろ」

 両肩を掴んで上半身を押し戻し、つい先ほど蘇ったばかりの記憶を整理して語り始める。

「雨が降ったあの日、俺はお前の家の軒下にいた。そしたら知っての通り山崩れが起きて、俺もそん時は死んだと思ったんだが助けてくれたやつがいたんだ」

「助けてくれた……? 誰に?」

「それは…………、あれ、分からない……」

 山崩れに巻き込まれたなんて、普通は助かるはずがない。引き合いに出すのは気が引けるが、実際に煌森先輩は命を落としている。

 助けてもらったのは間違いない。のだが、誰が助けてくれたのかを思い出せない。

 さっき思い出したばかりの記憶だから、まだ混濁しているのだろうか。

 ……さっき? 俺はさっき、何があった?

 崖から飛んだ直後、いくつかの記憶が何故か・・・唐突に蘇った。

 不可思議な現象に心当たりがあるとすれば、やはり煌森先輩だ。

 あの人が何か手助けをしてくれたのだろうか。

 記憶は定かではないが、今度会った時にでもお礼を言っておこう。

 とりあえず今は峰倉への説明が先だ。

「まぁとにかく、次に目を覚ましたのは丁度この辺りだった。起き上がれもしなくて雨に打たれ放題だったんだが、しばらくしたらじいちゃんが助けに来たんだ」

「ちゃんと助かっていた……? 何で……、何で生きているのよ?」

「俺が生きてちゃ駄目なのかよ」

「だって、私が好きになった人は皆亡くなっているのよ」

「それは結果から逆算した憶測にすぎない。だいたい、好意を持った相手が死ぬなんて非現実的過ぎる。まぁ、かく言う俺も信じてはいたがな」

 俺は言いながら考える。

 煌森先輩の存在はオカルトではあるが、だからといって他のオカルトが全て存在する訳ではない。けれど、神様も呪いも否定はしきれない。

 峰倉が呪いのような不幸に見舞われたのは小学生の時だ。神様の意地悪だとか、自分のせいで家族が亡くなったとか、そういった幻想を信じてもおかしくはない。

 と言うより、意図的に信じ込んだのだろう。

 万が一自分の考えが正しい場合を恐れて、億が一にも相手に好意を持たない生き方を選んだ。

 その頃から峰倉は峰倉だったんだな。

「何で急にいなくなったのよ」

「助けられてすぐ病院に向かったんだ。外傷は無かったらしいけど、念のためってな。しかもその時には既に、お前と遊んだ四日間の記憶が無かった」

「記憶がって……、そんなことありえるの?」

「ありえてるんだから信じてくれよ。たぶん、災害とそれに繋がる記憶を忘れたかったんじゃないか? あれはそれぐらい怖かったぜ」

 ……などと言いながら、本当は少し違うのだと心で理解していた。

 たぶん、記憶を忘れていたのではなく無くしていた。先ほど唐突に蘇ったのは、思い出したからではなく返してもらったから。

 何のためかは分からないが、煌森先輩が意図して行ったことなのだろう。

 とはいえ確証は無いし、そんなことを言っても信じてもらえるかも分からない。

 だからこのことは、俺の胸の内にしまっておこう。

「忘れていたけど、さっき崖から落ちた時に同じような怖い目にあって思い出した。それで納得しといてくれ」

 本当とも嘘とも言えない言葉で峰倉に説明する。不思議な力で……などと言われるより、よほど信憑性はあるだろう。

「けれどそうだな、ここまではお前の過去話に合わせて嘘の話を作ることも出来る。だが、証明になるものを一つ見付けたよ」

 俺は左手を伸ばし、傍らの木から花を一輪摘んで峰倉に見せる。

「最後に遊んだ日にくれた花はこれだろ」

「!」

 峰倉は驚きに目を見開いた。

「持って帰ったら、ばあちゃんが教えてくれたよ。この花の名前はスイカズラだって。確かに木にその姿はあるが、木に咲く花じゃない。正確には、木に巻き付いて伸びるつるから咲く花、だ。お前は昔話で花の名前やこんな特徴とかを一切言わなかったよな。つまり受け取った俺にしか、受け取ったコウ少年にしか花が何なのかは分からない」

 峰倉はスイカズラを受け取り、大切なものを抱くようにそっと胸に当てた。

「貰ったやつは……すまねぇ、どこにあるか分からない」

「どこかにあったのだとしても、生花だもの。とっくに枯れてしまっているわ」

「大切な思い出と共に無くしたんだ。悔やみもするさ」

「そうね。思い出を全部忘れるなんて、薄情な男だわ」

「言い返す言葉もございませんよ」

「嘘じゃないのね。本当の本当に、あなたがコウなのね」

「本当だ。正真正銘、嘘偽り無く、少女絢乃の友達である少年コウに間違い無い」

「よ、良かった…………」

 峰倉は安堵の声を漏らし、強張っていた肩をガックリと落とした。

 ただ単に、俺の生存に安心しただけではないだろう。

 幼い頃の友人の存在が確認出来たことによって、背負い続けていた呪いが存在しないものだと確認出来た。その情報が最大で最高の収穫だ。

「そうだな……。まぁ、その、一言も言わずにいなくなったのは、すまん、悪かった」

「許さない。絶対に……、許さない、ん、だから……」

 言葉を詰まらせて身体を小刻みに震わせている少女を、俺は何よりも愛おしく感じていた。

 果たして、目元から流れているのは雨だろうか。それとも、涙か。

「ごめん」

「許さっ……、許さないっ……」

「泣きそうなんだろ」

「そんな訳、無いじゃ、ないっ」

 途切れがちの声で否定されても説得力が無い。

「今は雨が降ってるからさ、涙を流しても分からないぞ」

「うぅ……!」

 峰倉はあからさまに眉をひそめた。その表情を見られたくないのか、倒れ込んで俺の胸に顔を埋める。

「今までつらかったろう、よく頑張ったな」

「うっ……、うわぁっ……! うわあぁぁぁぁぁぁ!」

 込み上げる感情を堪える必要は無い。峰倉は、気丈に振る舞っていた今まで全ての人生に終止符を打って涙を流した。

 たとえ呪いが自分の思い込みだったとしても、村人の為に過酷な道のりを辿って来たんだ。解放された今この時くらい、弱音を吐露してもいいだろう。

 俺は頭を撫でて峰倉を安心させてやる。

 すると満足するまで泣き終えたのか、身体を震わせながらも上体を起こした。

「まったく……、昔のあなたが偽名なんて名乗らなければ、呪いなんて無いともっと早くに分かっていたわ」

「そいつはすまなかったな」

「名前を言わなかった理由、今なら教えてもらえるのかしら」

「あぁ。お前は御崎事件って知ってるか」

「御崎事件?」

「御崎市の当時まだ幼かった子供が、親や親戚を殺し回った話だ」

「……知っているわ。愚かなことをするものだと、勝手に呪っていたのを思い出したわ」

 望まずに家族を亡くした峰倉の気持ちを考えれば、理解出来なくもない。

「その子供の名前は、木了弘人きりょうひろと。俺の名前とほとんど同じだったんだ。そしたらもう、自称正義の味方共には恰好の餌さ。身に覚えの無い言いがかりで、俺は悪者扱いされるようになった」

「酷い……」

「お前を信用してなかったとかじゃなくて、自分の名前が嫌だったんだよ」

「そんなことがあったのね……。確かに、それは偽名を名乗りたくもなるわ」

「今はもう気にしてないけどな」

「あなたも、つらかったわね」

 峰倉は先程のお返しとばかりに、左手で俺の頭を撫でる。

「……俺は泣かねぇぞ」

「べつに良いわよ。私がしたくてやっていることだもの」

 朗らかな笑顔で言われては、手を払い退ける気にもならない。

 気恥ずかしさを誤魔化す為に、もう一つの記憶を口にする。

「ところでさ、このスイカズラだけど」

 峰倉が右手で優しく掴んでいる花をそっとつまみ上げ、俺達の視線が混じり合うちょうど中間にかざす。

「あの日は他にも花が咲いていたのに、お前はわざわざこれを探して摘んできたよな。つまり、この花に拘る理由があったんだ」

「!」

 峰倉は驚いて頭を撫でる手を止めた。おそらく、この先の会話を切り出される想定をしていなかったのだろう。

「花言葉は、愛の絆。ばあちゃんが名前と一緒に教えてくれたよ。ずいぶんとまぁ、お前らしいじゃないか」

「なっ、なっ……! なぁっ!」

「呪いのせいで死んだと思い込むほどに、俺のことが好きだったのか」

「……そ、そうよ、そうだったわよ、悪い!? けどあくまで、小学生の私が、小学生のあなたを、よ。そこを勘違いしないでよね!」

「そんなムキになって小学生を強調しなくてもいいじゃねぇか」

「駄目よ! でないと、私が今も好きみたいじゃない!」

「なら、好いてもらえるように努力しますかねぇ」

 お互いに状態の確認も済んだところで、俺には言わなければならないことがある。

 過去の清算を済ませないと、俺達は前に進めない。

「峰倉、六年も待たせちまってすまないな。小学生の時に破っちまった約束を、今、果たそう」

 目をしっかりと見据え、はっきりとした声で言葉を続ける。

「また一緒に遊ぼう」

「!!……」

 峰倉は露骨に驚いた表情をした後、その顔を見られたくないのか後ろを向いてしまった。

「な、何よ……。ついさっきまで忘れていたくせに」

「そうだな。じゃあ改めて約束しよう。俺と一緒に遊んでくれ」

「遊ぼうだなんて、幼稚な誘い文句ね……。子供じゃないんだから……」

「高校生なんざ、世間的に見ればまだまだ子供だ」

「約束を破って、あまつさえ忘れてしまうような人とは約束なんて出来ません」

 言葉こそ否定的だが、声音には確かな信愛を感じていた。

「だから、その……」

 峰倉はこちらにゆっくりと顔を戻し、潤んだ瞳で俺を見つめる。

「忘れた罰として、私の命令を一つ聞きなさい」

「おう」

「その前に、今度こそあなたの本当の名前を教えて」

「弘人、希條弘人だ」

 あの時と違う名前を名乗る。

「弘人」

 あの時と違う名前で呼ばれる。

「なんだ、絢乃」

 あの時と違い、峰倉が何を言いたいのかは分かっていた。

「また……、私と一緒に遊んでください」

「もちろん」

 あの時と変わらない笑顔で、そう言った。

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