第15話 そして現在
【ふたたび、現在】
―― こっちは三人で相手は五人。人望は家老より笹子にありそうだ。
当初、家老から命ぜられた上意討ちの筋書きでは、笹子彦次郎一人を軍平たち三人が討伐するはずだった。だが、いつのまにか人数が逆転している。
のし掛かる恐怖感を払おうと、軍平が背筋を伸ばした。それだけで、ボロ切れを顔に巻いた相手がひとり、なんのためらいも見せずに襲いかかってきた。
–––– まあ、予想よりは戦力差は少ないぐらいだ。さっきだいぶ逃げたし。
そう考えては見たものの、軍平の目の前にいる相手は、おそらく他国者であろうが、相当な遣い手なのは対面しているだけでビリビリと伝わってくる。
敵は軽く背中を曲げ、爪先だった姿勢から小刻みに細身の刀を突いてきた。
迎え討とうとするが、相手は小鳥のように絶えず動いて的を絞らせない。
軍平が大きく踏み込もうとすると、器用に体を入れ替える。そしてそのどさくさにまぎれて軍平の体に刃を当てて、反撃される前に離れてしまう。
今のところ、軍平の負ったのはかすり傷ばかりだが、出血はだんだん馬鹿にならなくなってきた。痛みよりも焦りが増していく。もちろんそれを狙っているのだろう。道場よりも、喧嘩の現場で練り上げた技なのかもしれない。
とにかく、ボロ切れの隙間からこっちを見る目は冷静極まりない。かなりの場数を踏んでいるのだろうと思われた。
一方、軍平とともに上意討ちを言い渡された三浦の相手も、動きに無駄がなかった。三浦が突き出す自慢の槍を、長い刀を大きく払ってはねのけると、そのまま面を打ち込む。
功名心が先立ちやや動きの硬い三浦より、早い回転で技をつないで対戦相手を休ませない。下段、上段と連続して攻撃技を出す敵に、ついに臑を払われ体勢を崩した三浦は、頭を打たれた。
かん、といい音がした。
三浦はそのままひっくり返った。かぶっていた面鉢ごしに頭を叩かれ、気を失ったようである。
軍平は相手の突きを受け流して、返し技をねらった。だが敵は寸前に横っ飛びして刃を避けた。地面に倒れてしまったが、かまわずに軍平の顔をめがけて土を投げつける。
思わず刀を立てて防ぐと、今度は三浦の相手だった敵が斜め方向から臑をないできた。なんとか刃先で止めたが勢いに負け、刀を取り落としてしまった。
すかさず切り込んで来た相手の刀が軍平の肩口を裂いた。すると、最初の相手がまた突いて来た。
とっさに足で蹴り飛ばして脇差を抜いたが、こんどは太腿を浅く斬られていた。
–––– またたく間にぼろぼろだ。
短い気合が聞こえた。小磯は、巨漢の伝助と飽かずに肉弾戦を続けていた。
軍平の注意が外れたと見たか、敵の片割れがまた刀で臑をないできた。軍平はとっさに足を前に送ってその刀を踏み越え、間合いに入り込んだ。驚いた顔で長刀を振りかぶろうとした敵の胸元に軍平は刀をあて、首を引き斬りにした。男は左手で頸動脈をおさえながら、ずるずるとくずれた。
「あんた、やるなあ。こいつ、元はちっとは名の知れた剣客だったんだぜ」
そう言いながら、もう一方の敵が、身ごなしも軽く近づいてきた。
軍平はぜいぜいと荒い息をしながら刀を構える。口が渇いて呪文など出せなかった。肩も足も焼け付くように痛む。
敵は軽やかに腹を突いてきた。
鍔で押さえたが、相手は刀をひねって動きの鈍い軍平の腕を刀ごと固定すると、器用に空いた手へと刀を持ち替え、軍平の胸元を刺した。血が溢れた。慣れた手つきだった。
覆面がほどけ、頬のこけた三十ぐらいの男なのがわかった。
「すまねえな。これも仕事だ」彼はそう笑うと、さらに刀を押し込もうとした。
–––– おじい様、もうしわけありませぬ。軍平が諦めかけたその瞬間、
「となえろ」耳元で声がした。「いまこそ使え」
半ば無意識のうちに軍平は相手の耳元へ話しかけた。
「むかし、えらさるの街には」
一瞬、頬のこけた男は動きを止めた。
「なんだい兄ちゃん、末期の句かい」
「千匹の蛇がのたうつ穴があった。聞け」
「おいおい」男は刀身を再度押し込もうとして、全く動かないのに慌てた。
「これぞつみびとの審判の地である。お前もそこにいる。そしてかまれ、もがき苦しみ、死ぬ」
軍平の口からすらすらと言葉が出た。
刀を懸命にこじっていた男が、軍平の顔をまじまじと見つめた。
巨大な力のようなものが、男の全身を捉えたのが分かった。男は身体をぶるっと震わせた。そして表情を一転させ、驚愕の顔を軍平に向けた。
白目を剥いて頭をのけぞらせ、刀を取り落した男は、地面へと倒れた。
「痛い、痛い」ついに男は、叫びながらのたうち回りはじめた。
「ゆるじて、ぐれ」ごぼごぼと口から泡をこぼしている。
ようやく立ち上がった軍平の足もとで、男は胸を掻きむしる仕草のまま動かなくなった。すでに息が絶えていた。
闇に浮かんだ敵の顔は、まるで毒虫の群れに襲われたようにでこぼこだった。
気がつくと軍平の胸から血が滴り落ち、首から下げた袋にもしみ込んでいた。
―― 術が助けてくれた…
やっと小磯たちに顔を向けると、こちらの騒ぎに気をとられたのか、一瞬動きの止まった伝助の頭を小磯の分銅が打ち抜いた所だった。大男はどたりと倒れた。
しばらくあえいでいた小磯は、満足げな笑みを浮かべた。彼は軍平の方を透かし見て、足元に男が倒れているのを確かめると、うなずいた。
「お、ごくろうさん」そして笹子に言った。「またせたな笹子。御上意だ」
小磯は分銅を手に、笹子のすぐそばまで歩み寄った。
すると笹子は肩をすくめ、懐からさっきの小さな筒を取りだし、小磯の顔に突きつけた。惚けたような顔をした小磯の眼前で、破裂音が響き火花が散った。
眼と眼の間を打ち抜かれ、小磯は足から崩れ落ちた。
「この国の奴らは本当に阿呆ばかりだ」
笹子は倒れた小磯の頭を蹴った。動かないのを確認し向き直る。
「おお、誰かと思えば、宇藤木どのではないか。惨めな姿でわからなんだ」
そういって、上から下まで軍平を眺めると、
「しっかしずいぶん、背が高くなったな。姿だけはあの怖いじいさんそっくりになったじゃないか。それに、二人をやってくれるとは、予想外のご奮戦だ。こいつらにどれほど払ったか分かるまい。間抜けが。家老がなにを約したかは知らぬが、どうせ戻ったら適当な罪をでっち上げられて、殺されるだけだぞ」
言うだけ言ったあと、笹子はだめ出しでもするかのように首を振ってから、軍平に銃を向け、撃鉄を起こした。それを見て軍平は聞いた。
「ちょっといいかな」
「ん」
「最後に聞いておきたい。桑田家老とは、どうなんだ。我々は家老に裏切られたということか」
「ああ、それか」笹子は鼻で嗤った。「あの狸おやじには、裏切るなんて意識すらないはずだ。もともと、どっちつかずの男だ。まわりにせっつかれて、俺を始末することにしたが、逃げ道をつくっておこうとジタバタして、計画が知れ渡ってしまった」
「と、いうことはどういうことだ」
「はなから残った方を自分で始末するつもりだったのさ。おぬしたちが俺を倒せればよし、失敗すれば俺の仲間に俺を裏切らせて、内乱の罪でも着せて公に処罰する。わかるだろ、あいつの考えそうなこった」
「はー」軍平はあきれた。「じゃあ、いまあの家老はなにをしてるんだ?」
「さあな。戊亥の連中は、ただオロオロしてるだけとか言ってたな。みんな誤解しているようだが、あのお粗末な男に知略なんてあるわけない。せいぜいその場しのぎの積み重ね。そのうえ手下どもが勝手に動くし秘密を漏らしあうしで収拾がつかなくなってるんじゃないのか」
「しかし、おまえだって大変じゃないのか」
「俺か?ははは、心配するな。俺の方針ははっきりしている。お前たちの首を陣屋に投げ込んで、あやつらを糾弾し無力化する。仲間たちはいまひとつ頼りないが、家老の小細工の証拠はたっぷりあるからな。そのあとは江戸の殿に迫って執政を総入れ替えさせる。いうことを聞かなければ内乱を江戸表に訴えると脅して弟君に譲位させるつもりだ。どうだ、なかなかのものだろ」
「ちゃんと戊亥衆も引き入れたんだな」
「ああ、あいつらか。あいつらは頭のない蛇みたいなもんだ。ちょいちょいと上手に胴をつついてやれば、こっちの思う通りに動いてくれる」
「なるほど」軍平は構えた刀を下ろし、銃を見つめた。
「ほう、素直だな。じゃあな宇藤木」
笹子は楽しげに片目を閉じ、狙いをつけた。「悪いが、おれは忙しい。あの世でおやじとじいさんによろしくな。どっちも嫌いだったよ、おれより背が高かったし。お前もそうだ。見下ろされるのは、我慢ならん」
そう言って笹子は引き金をひいた。しかし、小さな金属音だけがして弾は発射されなかった。笹子はもう一度撃鉄を起こし引き金をひいたが、同じだった。
「くそ。こいつも高い割に役立たずだ。お前は運がいい」彼は視線を軍平の後ろにやって言った。「おう伝助、頼んだぞ」
振り向くと、起き上がった伝助がそばで六尺棒を振り上げていた。
傷だらけの軍平は思うように避けられず後ろに回り込もうとして、草に脚をとられた。その時、軍平の懐から何か落ちた気配がした。とっさに胸から下げた袋を手で確かめる。
小さいがはっきりと声がした。
「大丈夫か、おやかた」
「危ないぞ、おやかた」
軍平は地面に転がり、風切り音とともに飛来した六尺棒をやり過ごした。
思い切って伝助と反対の方向へと足を引きずりながら駆けた。声は付いてきた。
「加勢がいるか」
「ああ」と返事すると、
「手伝いたいが、腹がへって腹がへって」「なんかくれたら、手伝ってやる」
伝書の中身が頭の中で鳴り響いた。おのが物を与えるべからず。
軍平は駆けながら交渉した。「後ろのでかぶつが邪魔なんだ。倒してくれたら奴の持ち物を好きにしろ。それから、その辺に倒れてるやつらの懐の食い物とか金とか刀とかも」
「ぜんぶか」「あのでかぶつの身体、ぜんぶもらっていいか」
「えー、身体をほしいのか」軍平が恐る恐る聞くと、
「おお。いくらでも使い道がある」と言った。
「まあいいや。好きにしてくれ」
「なんて気前のいいやつだ」と弾けるような声がした。
「いいやつだ」「よし受けた」「受けた」
声は三人以上確実にいそうだった。そのうち、そろっておかしな拍子で唄いはじめた。
「いいおやかたのおかげでいい仕事ができる」
「得物は大物、宝もたっぷり」
見ると、手のひらに乗るぐらいの傀儡が、何体もぎくしゃくと彼の足下から駆けだした。小さな顔には簡単な目鼻がついている。
「皮と腱は三味線に、骨は笛に、血潮は煮こごりがいい」
気味の悪い唄は伝助には聞こえなかったようで、「逃げるな」と叫びよろめく軍平に追いすがった。
すぐに悲鳴があがった。
「どうした、伝助」様子をうかがっていた笹子も驚いた声をだした。
軍平の眼には、何体もの傀儡が巨体に取り付き、手に手に持った小さな武器で突き刺しているのが見えた。身体を振っても落ちない。傀儡の中には土を掘るように逆手で相手の身体を突いているのまでいた。伝助は地響きをたてて倒れ、寝転がったまま巨体を何度も苦しげにくねらせる。
やや浅くなった闇の中で、軍平はあちこち出血した凄惨な姿をして笹子の前に立った。
「ようやく一対一か」そう言うと、憎々しげに笹子が返した。
「気味悪い奴と思うたが、そこまでとはな。だが、妖しい目くらましは、おれには効かぬ。その野暮な剣術もな。まともに斬り合う度胸などないだろう」
誘いとわかっていても、軍平は刀で立ち向かうことにした。
近づく彼に笹子は美しい青眼の構えを取ると、鳥が飛び立つように仕掛けてきた。篭手、突き、下段からのすくい斬りと休まずに責め立てられ、防戦一方になる。ひとつひとつの攻撃は軽いが実に素早い。
いったん飛び下がって、その隙に地面に倒れたままの伝助を横目で見る。嵩がずいぶん減ったように思える。傀儡たちは手に手に小さな容器を持って、それを伝助にあてている。繰り返すと次第に伝助は縮んでいく。どういう仕組みかはわからないが、傀儡たちなりに忙しいようだ。しかし軍平も、そろそろ体力が切れかかっているのがわかった。息を荒げる彼を見て、笹子は声をかけてきた。
「おい、技はもう終わりか」
―― 妖術使いで戦に勝った話を聞かないはずだ。乱戦になれば術など、無理。
頭のどこかで冷静に考えている。笹子の着物も所々ちぎれているが、その下から鎖帷子がのぞいている。刀を構えなおした軍平の足下に、あちこちの傷口から落ちた血がしたたった。疲労感は、さっきからの出血のせいだ。
「痛いか。だろうな」
軍平が懐に入ろうとするのを笹子は切っ先で押さえる。それを外し、飛び違えて首筋を狙うが、動きは読まれていた。
「うっ」
思わず声がでた。さっき男に突かれた胸のすぐ下に刃が突き立った。
笹子は切っ先をねじり、傷を広げた。逃げようにも、うまく脚が動かなかった。頭もしびれてきて、傀儡たちを呼ぶ呪が出ない。
あたりはほの明るくなっていて、口元を楽しげにゆがませた笹子の顔がよくわかった。彼は一旦刀を引いて、今度は軍平の顔を切り上げた。わかっていても避けきれず、片目が見えなくなった。
軍平は負けずに刀を突き出したが、それをかいくぐった笹子は、
「とどめだ」と、左胸を突いてきた。軍平は膝をついた。
「ありゃ、えらいことだ、おやかたしっかり」傀儡どもの叫び声が聞こえた。
―― これは痛い。一夜漬けではここまでか。申し訳ありませぬ。
心の中で祖父に謝ると、最期に津留を思いだそうとした。
しかし、軍平の頭に浮かんだ彼女の顔は、彼の死を見取ろうとする穏やかな表情ではなかった。
津留は持ち前の大きな目を見開き、懸命に何かを軍平に伝えようとしていた。
「ああ、聞こえないよ、津留さん」軍平は、そうつぶやく自分の声を聞いた。
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