天性の残虐性

 当主っていうのは優しそうで品のいい小柄なおばあさんだった。意外だった。




 ちゃんとした和室なんかふだん入ることもないから、入ったときには緊張した。掛け軸もあるし、縁側からししおどしが見えてかぽーんかぽーんと鳴り続けてて、ドラマで見るような和室だったから。あたしの実家のボロい和室とはわけが違うのだ。


 でも、着物をばっちりと着こなした当主のおばあさんは、にこにことあたしのことを歓迎してくれたから、ちょっと緊張が解けた。


 さっきはおかしな目にあったけど……このおばあさんは、ふつうのひとなのかも。日本茶とお茶菓子をいただいて、仕事のこととか学歴のこととかふつうのことを質問されて話すうちに、あたしはちょっと楽しくもなってきてた。会社の上司みたいに否定とかしないし、話しやすかった。あたしのおばあちゃんは気難しいひとだから、優しいおばあちゃんだったらこうなのかなって思ったくらいだ。


 おじいさんとかおばあさんの世代って話しづらいって思ってたけど、そうでもないのかもしれないって思いはじめてた。



 ひと通りこちらの話をしたあとで、おばあさんはにこやかに言い出す。


「それで、ほら、須藤さんもきっと、うちの子たちを奇妙に感じられましたでしょう」

「うちの子、ですか?」

「ええ。未来とコロのことです」



 コロ、という呼びかたがまたしても違和感となって耳を撫でる。


 おばあさんも、そう呼ぶのだ。

 現実的な世界に戻ってきたかと思っていたのに……そうでもないのかも。

 まだ、この変な夢みたいな時間は、続いているのかも……。



 腕時計をちらりと見た。まだ、二時にもなってない。ここに到着したのが一時すぎなんだから、一時間も経っていないのだ。

 それなのにあたしはどんどん知らないことにぶち当たっていて、戸惑う。



「あら、お時間はだいじょうぶなのかしら。わたくしったら気が利きませんのですよ、いつもね、若いかたとのお喋りがついつい楽しすぎて。ごめんなさいねえだいじょうぶなのかしら。でもわたくしのほうからも、あなたにすこしお話してもよろしいかしら?」

「……はい。時間はまだだいじょぶです」

「そう、よかったわ。……わたくしのねえ、未来のことなんだけど」

「……はい」

「あの子にわたくしは立派な人間になってほしいのですよ。立派に、この家を継いでほしいのです」

「あの……やっぱり、天王寺……さんのお家って、有名なあの、CMとかにも出てくる、あのお家、なんですか……?」

「ほほほ、嫌ですよ、お恥ずかしいです、あんなのは。わたくしはですね、広告ですか、あんなことなどしなくてもね、天王寺家を伝統的に支えてくださるかたがたこそが宝です、そのかたがたこそをだいじにしますれば、自然と家は栄えていきますよと申しましたのですがね、まったくうちの娘というのがお恥ずかしいんですよわが娘ながら不出来なものでございましてね、ああやってどんどん手を広げていくのです。わたくしの判断も鈍ったものですよ。娘は天王寺家の器ではございません。根っこを無視して葉だけを広げようとしますれば、痩せ細っていくことはそこらの木を見たって道理なことでございますでしょ?」



 ……いま、あたし、なんかすごい話を聴いている……んだろうな。お金持ちの経営者の話、っていうか、それ以上の話? こんなすごい話、一般人のあたしに話してもいいのかな……。



「あの、なんか。……すごいんですね」

「そんなことはございません。身内の醜い話でお恥ずかしゅうございますよ。……でもね。この話をしないことには、あの子たちの説明ができませんのですよ」


 あの子たち……たぶん、天王寺っていう名字をもつあのふたりのこと……だよね。


「須藤さんもあの子たちの変なさまを見てしまわれたのでしょう」

「はい、……まあ」


 それはもうばっちりと……。


「……それだとね、いちおうのお話を聴いていただいてからお帰りになってほしいのよ。……よろしいかしら?」



 はい、とあたしはうなずく。ここまで来たら、説明があるなら聴いていかなきゃすっきりしない。お帰りになって、って言葉はちょっと気になったけど。




 おばあさんは一瞬だけ目を閉じた。よく見れば、皺の深いその顔。




「――未来は天王寺の正統な後継ぎです。娘ではなく、わたくしはゆくゆく、未来に家督を譲るつもりです。あの子はその器です、あの子の母親よりもずっと」


 家督って……要は後継ぎ、ってことだよね。長男問題とか……そんな俗っぽい感じじゃないんだろうけど、真も長男だし、そういう話はあたしにとっても身近だ。


 で、おばあさんが当主ってことは……おばあさんに娘さんがいて、そのひとはつまり天王寺未来のお母さんで、でもおばあさんはそのひとが気に入らないから、孫にいろいろ譲ろうってことなんだよね。



「帝王教育、などと、古い言葉ですが存じてらっしゃる?」

「漫画とか、で、見たことあるような……」

「ほほほ、古い言葉でございますからね。わたくしたちの時代にはよくそう申したものですよ。未来はこの家の主人になるだけでなく、やがてはグループのトップの経営者になるのですから、王になるための経営が必要なのですよ。……幼少のころより未来は娘と違いまして、帝王の器でしてね。わたくしはね、あの子が三歳のときにあの子を後継ぎをすることにいたしましたのよ」

「はあ……」


 三歳……。そんな小さなときに、器なんかわかるものなのだろうか。あたしは三歳のときなんか口を開けっぱなしで女の子向けのアニメを見ていた記憶しかない。弟と妹の三歳のときなんか、あたしよりももっと馬鹿っぽかったような気もするし。


「ひとつ意地悪なクイズをさせてくださいな。おばあさんの戯れだとお思いになって。……三歳の、それも天性の残虐性を有する男の子のその素質をもっと伸ばすためには、あなた、どのような教育をしたらよろしいと思う?」

「……天性の残虐性?」


 あたしはその言葉を、自分なりに噛み砕く。


「あの、あたし、頭悪くて、間違っていたらすみませんなんですけど。……えっと、それってつまり、天王寺未来……さんが、残酷っぽい性格をしてて、それが三歳のときにもうわかってて、もっと残酷な人間に育てるにはどうしたらいい……って、ことですか?」

「ええ、おおまかにはそういった捉えかたでかまいませんわ」


 よくわからない。残酷な性格なら、それを直すように育てなければ駄目なんじゃないのかな。どうしてもっと残酷にしようとするんだろう。っていうか、だから天王寺未来はああいうおとなになっちゃったんじゃないのかな。お金持ちの考えることはわからない……。


 でも、おばあさんはにこにこしてあたしの答えを待っている。……いろいろとすごすぎるおばあさん。そんなひとがあたしの答えを聞きたいなら、あたしは答えたほうがいいんだろうな。……こんな機会、これから一生ないかもしれないんだし。




「……うーん。あたしは、もし子ども産んだら、自分の子どもにはそういう教育はしない……っていうか、できないですけど。でも、そういう話なんだったら、あたしは……蟻を与えるかなあ」




 おばあさんが、わずかに顎を引く。その目がきらりと光ったように見えた。



「――蟻。虫の、蟻んこですか。なぜ?」

「あたし、小さいころよく蟻で遊んでたんです。あたしが三歳のとき、弟と妹が生まれて、あたしほっとかれて。寂しいとかじゃなかったんですけど、ひまだったんです。で、うちの庭けっこう広くて、あ、もちろんこんな広くはないんですけど、田舎の家なんで、自然ばっかりあったんで、虫とか、木とか葉っぱとかもけっこうあって」

「すてきなお庭でしたのね」

「いえ……そんなことはないんですけど。ふつうの家なんですけど……でも、そうやっていつも遊んでたんです。蟻の巣を潰すのが好きで……変なことしてたなって思うんです。ホースが庭にあって、ホースで水を入れたりとか、あと、父のマッチをこっそりもってきて、火をつけたりしてました。バレて危ないって怒られて、火をつけることはできなくなっちゃったんですけど、蟻の身体をこう……むしったりとか……。そんなことしたのは、あのときだけですけど……えっと、うん。だから、その」



 おばあさんは相変わらず、にこにこにこにこしている。



「……透明な蟻の巣キット、っていうのがデパートで売ってて、すごくびっくりしたんです。もちろん、いじめるためじゃなくて、自由研究とかで観察するためなんですけど。そのときもうあたし小学生だったんですけど、幼稚園のときにこれがあれば、ぜったいにお湯を……注ぎ込んだのにな、って思って悔しかったです。でも、そう思った自分にびっくりしちゃって……家族で来てて、隣にいる母になんだか申しわけない気持ちになりました」

「よい子でいらしたのね。……それで?」

「はい、うん、だから……あたしは、子どもを残酷にしたいなら、あの蟻の巣キットを買い与えると思うんです。それで、好きなようにしてみなって言います。……お湯を注ぐのを、ほんとにやっちゃったら、それが三歳とかそんな小さなときだったら、たぶん……病みつきになっちゃうんじゃないかな、って」



 あたしはなにを言っているんだろう。……よくわからなくなってきた。

 こんな話は……したことない。当たり前のことだけど。あたしは……ふつうの人間なのだ。



 おばあさんは、大きくうなずいた。



「――ありがとうございます。大変勉強になりましたわ」

「いえ、こんなあたしの、下手な話で……」

「そんなことありませんよ。とてもいいお話でしたわ。――つまり、わたくしが未来に教育として与えたものも、理屈としてはそういうことですから」

「……なにがですか? どういうこと、ですか?」

「ねえ、あなた。どうして人間をペットにしてはいけないのだと思う?」




 ……あたしは絶句する。




「……どうして、って……当たり前のこと、だと、思うんですけど……誘拐とか、監禁とかってことですか? だとしたらそれ……犯罪ですよね」

「もちろんのことです。犯罪をしてはいけませんよね。――でもたとえば、古代には奴隷制などもあったでしょう?」

「それはむかしのことだし――」

「むかしもいまも人間は人間です」



 おばあさまは、笑っている。このひとはあたしが会ってから、ずっと……笑う、ということをやめない。



「わたくしはね、若い時分より疑問でしたの。ある種の人間が、モノであった時代があるのなら。人間が人間を飼うこともまた、ありうべきことなのではございませんこと?」



 あたしはなにも言えない。

 このひと。……どう考えてもおかしいことを言ってるのに、まったく平気みたいだ。



「未来を教育するという、わたくしの人生最後にして最大の仕事をすることになりまして、わたくしは人生で最高の思いつきを得たのです。……あれはわたくしの天啓のひとつでした」




 ほほほ、と扇子で口もとを隠し、上品に笑う。おばあさんがしているのは、それだけのことなのに。――どうしてこんなにあたしは、ぞくっとするんだろう。




 こんなに優しいはずのおばあさんの瞳は、ぎらり、と光った。




「――未来に人間のペットを与えればよい、と」

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