コロ

 あたしはじいっと公子さんを見下ろしていた。驚きと、恐怖めいたなにかで、あたしはいま硬直しているのだと思う。……もっとありていに言ってしまうならば、引いている。



 案内されたのは、天王寺未来の寝室。広くて上品でお坊ちゃまの部屋って感じだ。


公子さんは、たしかにこの部屋にいた。両手を枕のようにして、すやすやと気持ちよさそうに眠っていた。それはもう無防備に。職場では考えられないくらいに。



 それだけならまだ、ああ、お仕事疲れてるのかな、で済むんだけど。



 公子さんは……大ぶりな赤い首輪をつけられていた。巨大な天蓋つきベッドではなく、床のカーペットで寝ている。首輪から引っ張られた冷たそうな鎖。鎖は、ベッドの脚に括りつけられている。ベッドと奥の壁のあいだには、檻もあった。檻は、人間がちょうどひとり入るくらいの大きさ。


 それだって充分すぎるほどおかしいのに、おかしいのはそれだけじゃない。


 公子さんは首輪のほかにも、ふだんとは違ういろんなものを身につけている。頭には犬の茶色い耳を模したカチューシャと、両手と両足には犬の肉球を模した手袋……のようなもの、そして太ももがぎりぎり隠れるくらいに短いショートパンツからは耳とおなじ色の尻尾が生えていた。上半身も薄そうなタンクトップ一枚で、ふだん思っていたよりも大きな胸が同姓のあたしでも目につく。



 あたしは思わず口を両手で覆っていた。

 言うべきことはあるのだろう……もちろん。たくさん。でもこんなときに、なにを言えっていうんだろうか。



 このあきらかにおかしい格好をしたひとは、でも、やっぱりあたしの同僚の天王寺公子さんなのだ、あたしだってそのくらいはわかるのだ。



 なんだろう。わからない。……うまく自分のなかで整理できない。




「んんぅー……」



 公子さんはかわいらしく声を漏らした。むにゃむにゃとだらしなくも嬉しそうな笑いを見せて、寝返りを打つ。寝返りを打つと長い髪がうねるだけでなく、鎖が、じゃらりと音を立てて揺れる。


 あたしはいよいよおそろしくなってくる。

 どう見たってふつうじゃない。


 なんだってこのひとはこんなことをされておいてこんなにも無防備に昼寝できるんだ。……これじゃまるで日常みたいじゃないか。



 呆然と立ち尽くすあたしに気づいているのかいないのか、天王寺未来はあたしの横をすっと通り抜けて公子さんのそばにしゃがみ込む。優男の印象からは考えられないくらいにぞんざいで荒い手つきで、公子さんを揺らした。



「おい。また気持ちよさそうに寝てんな。起きろ、起きろコロ」



 ……コロ? いま、コロって言った……よね。


 あたしだってもう子どもじゃない。犬のコスプレをさせて犬みたいな扱いをして犬みたいに呼ぶということ。……あたしにとっては理解できないし、申しわけないけどちょっと気持ち悪いと感じてしまう。

 でも、個人の趣味というのは自由なわけで。あたしの同僚は驚くべき趣味をもっていたということだけで。事件よりはまだましだったってことかな……。



 あたしが立ち尽くしながらぐるぐるとそう考えているあいだに、公子さんはどうにか起きたようだった。どうも寝起きが悪い性質のようだ。


 仕事のときと違って、ぱっちりと開かない目。顔をごしごしと腕で擦る仕草は――人間というよりは動物のものだ、と思ってしまった。



「……ん。んぁ。ご主人さまぁ……コロはまだ眠いのです、引き続きおやすみなさいぃ……」

「ばか。おまえの人間ごっこのお知り合いが来てるぞ」

「……だってコロがお家でも人間ごっこしたら駄目だって、おばあさまも厳しくコロにおっしゃっていたのです……だからご主人さまが出てくださったんでしょぉー……それに、ふぁ、コロまだ眠くって……」



 天王寺未来はぱしりと公子さんの頭をばしっと叩く。ひぅ、と公子さんは痛がるように目を閉じる。冗談みたいな感じではなく、いま、けっこう強く叩いた……よね。続いて天王寺未来は、寝転んでいた公子さんの首根っこを乱暴に掴み上げた。公子さんはぴくりと怯えたような顔をして、天王寺未来の手によってぺたりと座らされると、すぐにしゅんとして落ち込んだような顔になる。


 ……あれ。そういう趣味、ってことだよね。それしか考えられない……それ以外に、ひとに首輪をつける意味なんてなにがあるっていうの?




 おかしい、なにかが、なにかがすごくおかしい……。




 天王寺未来は公子さんの目の前にあぐらをかいて座って、あらためて、とでもいうかのようにもういちど、公子さんの頭を強く叩いた。ひゅん、と公子さんは変な声を出す。怯えたような上目づかい。こんな目線、職場で見たこともない。


 天王寺公子は天然だけれど仕事ができて自信はもってるあたしの同僚の、はずなんだ。




「コロ。おまえはいつもいつも足りないんだよ。俺は、客人が来るから相手をしろと、いまさっきさんんに言われたんだよ、ばあさまの伝言だってな。わかるか? おまえの人間ごっこのときの知り合いならそう言えっていつも言ってるだろ。いつまで経ってもしつけのなってない犬だな。俺の休日を奪いやがって、まったく」



 天王寺未来は、さらにまた公子さんの頭をぶった。公子さんは反論もせず、ただた小さくなってだうつむいている。



 ……あたしの相手をすることを、休日が奪われるとはまたよく言ったもので。こいつ、やっぱり男としてはクズらしい、と判断する。



 ……でも。そんなことよりも。でもさ、これって。



 やっぱりなにかがおかしい、よね……。たぶんこれって、そういう趣味のプレイってわけでもなくって、首輪つけられてベッドにつながれるっていうのは、ふつうに考えたら監禁事件だから、つまりあたしがずっと心配してた事件ってことだけど、でもなんかそういう雰囲気でもない。



 ――まるでこれが日常みたいなんだもん。

 あたしは自然とそう思って……自分で思っておいて、その直後にぞっとした。



 でも目の前のこのひとたちは、ほんとうにそういう感じなんだ。



 公子さんはあたしの同僚だし、あたしとおない歳の人間の女の子だし、それなのに天王寺未来に怒られて、犬みたいにぺたんと座ってしぼんでいるところを見ると、なんか、なんて言えばいいんだろ……すごく失礼なことあたし思ってると思うんだけど、そうしていることが違和感ないように見えてきちゃって……つまり、その。……公子さんはもしかしたら犬なのかもしれないって思っちゃう。これはもしかして、自然なことなんじゃないかって。



 あたしは呆然と立ち尽くしたままだ。でも思考はぐるぐるとめぐる。あたしは頭があんまりよくないけど、そのできの悪い頭がオーバーヒートするくらいに動いている、いま。



 自分のなかの常識をかき集める。

 なにそれ……だとしたら、おかしい。おかしすぎる。

 だとしたら、変態という域さえも超えている。変態だったら、おもに夜を中心にそういうプレイっていういろんなこと、ごっこ、っていう捉えかたでいいのかな、あたしはそっち方面のことはよく知らないんだけど……。



 でも、あたしだって彼氏の真と恋人どうしだけですることをいつするのかっていったらだいたい夜だ。たまにはだらだら休日の朝からお昼過ぎくらいまでうるさいテレビなんか点けっぱなしにしながらしてみたり、一週間も会えなかったあとには耐え切れずに床でそのままってこともなくはない。

 いちおう別々に暮らしてるんだし、二十四時間ずっと抱き合ってるわけもない。あたしは真とは相性がいいと思ってるけど、でもじゃあ一日じゅう休まずにできるかっていったらそれは無理だ。真とそうするのは好きだけど、それを生活にしたいかっていう問いの答えもまたノーだ。

 一日じゅうそうしたいひとがいるのなら、それはちょっとおかしいから、病院に行ったほうがいいと思う。



 ……あたしはぶんぶんと首を横に振っていた。


 考えすぎに決まってる。あたしのよくない癖だ。そこらへんでやめたらと真にも言われるのに、妙な見かたをしちゃうことがあるんだよね。思考の暴走、とかいって、真にもよくからかわれるのに。

 たぶんドッキリかなにかだ。ってことは、ほかの同期も呼ばれているのかもしれない。同期ひとりにつきひと部屋用意されてて。あたしは運悪くこの部屋とこのひとに当たってしまったってことだ。同期一同、かわいそー。ちょっと悪趣味ですよねって、そうだよ、同期一丸となっていっぱいいっぱい文句言ってやろ。そういう意味じゃ絆を深めてくれたのかも。ああ。……ああ。






 ――だからお願い、そういうことにしてほしいの。

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