生後80日目

 男の敵は男であり、女の敵は女である。同性であるからこそわかりあえるけれど、同性であるからこそ気になってしまう。


 異性であるならば、自分と違う存在ならば、そういうものかと許せることであっても、同性ならばそうもいかない。違うことにいら立ってしまう。


 だから救いなのであろう。違うということは。


 犬が喋れないことに人間は腹を立てないし、魚が陸を歩けないことに犬は腹を立てない。


「おいキュナイー! お馬さんになれよ!」


 俺は今、敵と対峙している。


 敵は人間。


 それもその肉体は明らかに俺よりも大きく逞しい。


 安定した自立、生えそろった毛髪が自分よりも明らかに上位の生物であることを連想させる。


 俺の目の前に立ちはだかるのはギュスターブ(5歳)、レナの息子である。

 

 現在、俺はレナの家にお世話になることによって寄生的に生計を立てている。


 レナには息子がいる。


 それ自体別に問題はなかった。家にはいつもニートのジョセフがいたからである。


 先日ジョセフをオッパブに連れて行ったことをきっかけにジョセフは就職活動を始め、ついに大工見習いの職を見つけた。


 そして今日は記念すべきジョセフの初出勤の日。それ自体はめでたいのだが、俺は今非常に困っている。

 

 今俺は広い家にギュスターブと二人きり。レナやジョセフの前ではおとなしかったギュスターブだが、今はまるで別人である。


「おいキュナイ! きーてんのか! おい!」


 言いながらギュスターブはその大きな掌で俺の頭を叩いた。


 あまりの衝撃に脳が軽く揺れる。


 生前、一日だけ行ってみた空手道場で5つも年下の中学生から側頭部にもらったハイキックを思い出す。


 このままじゃ、殺される。


「……てめぇは一体なんなんだ? どうして俺がてめぇに殴られなきゃならない?」


「口答えすんなー!」


 決死の思いで冷静な話し合いを試みるも、野生的な5歳児の脳は俺の和平交渉を敵対行為とみなしたらしい。


 ギュスターブは鬼の形相でこちらに猛進し、素早くヘッドロックをキメる。


「ぐっ、痛ぇ……」


 5歳児の成熟した筋肉から放たれるヘッドロックが、俺の頭蓋骨に悲鳴を上げさせる。


 ――このままじゃマジで殺される。


 しかし、俺は人間歴25年、身体は赤ん坊でも人生の経験値では負けちゃいない。


「ぐっ、この、ヤロ……、おらっ」


「ぎゃあ!」


 俺は力いっぱい握りしめた拳をギュスターブの下腹部(チン●のちょっと上)に叩き込む。


 本当はチン●もしくは金●を直接狙った方がダメージは大きいのだが、仮にも世話になっているうえにいつかはエロいことをしたいと思っている女のご子息のご子息を、将来的に不能にする可能性なんてあってはならない。


 俺の記憶が正しければ奴はここ数時間トイレに行っていない。


 腕力でかなわないのならば、辱めるまでだ。


 幸い奴はイバリンボウである。


 自分よりも年下の、見下している相手におもらしのシーンは絶対に見られたくはないはずである。


「うぅ~、う~」


 予想通りギュスターブは、呻きながら左手で下腹部を抑え、同時に右腕でなされているヘッドロックがゆるむ。


「っせい!」


「うぅー、……あっ」


 そのチャンスに俺はすかさずやつの腕から全力で頭を引き抜く。


「うぅ~、キュナイー!!」


 逆上したギュスターブが顔を真っ赤にして突進してくるがこれも予想通り。


 俺はわざとしりもちをつき、その上にまるで雪崩のようにのしかかってこようとするギュスターブを、身体を捻り寸前のところで避ける。


「ぎゃぁ!」


 さきほどまで俺がいた場所には木彫りで作られたアヒルのおもちゃ。その屈強なクチバシが奴のデコにヒットする。


「痛いよー、痛い~」


 屈強な肉体を持ったモンスターが額を抑えて地面をのたうち回る。

 

 ぎゃんぎゃん泣きわめく5才児を見て、少しばかりの罪悪感にとらわれるが、戦いとは元来そういうものである。


 負けるということは傷つくということだ。


 全身を迸る勝利の余韻に俺はその場で静かにガッツポーズをとる。


「クナイちゃんが心配で戻ってきちゃった、……く、クナイちゃん? ……何、してんの?」


 ガッツポーズのまま視線を上げると、そこにはレナがいた。


 アイボリー色の綿で作られた素朴なワンピースが健康的で柔らかな雰囲気の彼女によく似合っている。


「おお、レナか、仕事は大丈夫なのか?」


「いや、そんなのいいから、何してんの?」


 そして低身長(58センチ)の俺の目線で見上げるとちょうどギリギリレナの白いパンツが見える。

 

 戦いとは負ければ傷つくと同時に、勝者には褒美があるもの。未だ額を抑えながらむせび泣く敗北者には悪いが、これはじっくりと堪能させてもらおう。


「レナよ、今日も一段とかわいいな」


「――いやいや、そんなのいいから、大事なギュスちゃんに何してんのって聞いてるんだけど?」


 レナは屈んで俺に顔を近づけてくる。改めてその表情を見ると、そこにはまるで屈強な悪鬼が飼いならされているようで、いつものはつらつかつ温和な魅力は感じられない。


 ……どうしてだ?


 ふむ、考えてみよう。


 レナが現れたとき、レナの目に入った光景。額を抑えながら泣き喚く可愛い我が子ギュスターブ、そしてその隣でガッツポーズで仁王立ちして勝ち誇る居候の他人の俺。


 そこから導き出される、レナから見た今の俺の姿。


『可愛い我が子をイジメて怪我させて喜んでいる他人』


 ……ヤバいな、殺されるかも知れん。


 そのことに気づくと同時に、俺に離乳食を持ってきてくれたジョセフの傷だらけの顔がフラッシュバックする。


「……いや、ち、違うんだ、これは、これは~……」


 もしも神がいるのならば、たった一つ願うこと。


 明日も生きていられますように。

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