人間であることを表彰します
ある日突然スーツ姿の美女三人組が私の部屋に押し入って「人間であることを表彰します」と告げた。何を言っているんだと思ったが金をくれるというので三十年ぶりに外に出て驚いた。そこは私の知らない場所だった。目の前に整列している棺のような黒い立方体は何だろうと思い美女の一人に尋ねるとそれはどれも家や店や会社などで彼女たちの目には色鮮やかな広告とともに存在しているように見えているらしい。現実の物質は出来うる限り意味を失い必要な情報はメタ情報として記述されそのコードを読み取ることで意味のあるものとして存在する。時代に取り残された私にはそのような情報を読み取るための機器がインプラントされていないので何の意味も持たない棺が整然と並んでいるようにしか見えないのだ。その光景はどこかぞっとさせるものがあった。シンプルに死が蔓延していた。というよりも、生の鼓動が失われていた。美女の一人から受け取った眼鏡をかけるとようやく私はそこにある賑やかな街を認識した。何の親しみも感じない喧騒がそこにあった。
眼鏡越しでも黒塗りの車に乗り込むと一人が運転席に座り二人の美女に挟まれて私は膝が触れ合わないように縮こまった。彼女たちが言うには私は東京在住の最後のピュアな人類、彼女たちの言葉を借りるなら「オーガニック・ヒューマン」だった。私以外のほとんどの人類の脳には何らかのインプラントがあり、ソフトウェアのアシストを受けているそうだ。そして彼女たちは個人であると同時により強固に国の公共物であった。命は誰かのものではなく、はっきりと国のものと定められていた。そして「自由」などという危険思想は全世界から嫌悪されていた。
眼鏡越しには立派な城に見える建物に入ると豪華な応接間でコーヒーを飲まされた。実に美味いコーヒーだったので眼鏡を外すのが怖くなった。恰幅の良い小男から何やら大仰な賛辞を受けてから私でも知っている新聞社の記者だという男からインタビューを受けた。
「あなたは何のために生きているのですか?」
「何のために?さあ、わかりません」
「生に目的がない?驚いたな。どうしてそれでエラーを起こさず生きていられるのですか?」
エラーなら三十年前から起きている、と私は思った。
「あなたは何のために生きているの?」
「私は表彰された人にインタビューするために生きています」
私が記者の隣に視線を送ると恰幅の良い小男は「私は表彰されるべき人を表彰するために生きています」と笑顔で答えた。
「ではあの人は?」
馬鹿にしやがってと思いながら窓の外を歩いている女を適当に指さすと記者は目を一周させて
「マツモトカオリ氏は年老いた体をリサイクルするために生きています」
と大真面目に答えた。何を言っているのかわからないが彼らがふざけているのは明らかだった。
銀行口座への入金手続きを終え眼鏡を取り上げられて城を出て振り返るとそこにはやはり黒い棺が鎮座していた。はやく帰ろうと思ったがここがどこだかわからなかった。目の前を歩いていた人たちに道を尋ねてみても「それは私の仕事ではない」の一点張りで埒が明かない。私は城のメタデータを被った棺に引き返したがそこは表彰者のみが入ることを許されているらしく表彰を終えた私は通してくれなかった。
どうしようもないのでとりあえずあてもなく歩いていると無人タクシーを見つけたので手を挙げたが停め方がわからない。前に飛び出すとようやく停まったが「IDが確認できません」とのたまい扉を開けようともしない。無駄だとわかりながら扉をこじ開けようとしていると警告音とともに白いガスを噴き出して行ってしまった。しばらく涙が止まらなかった。
賞状の切れ端で鼻を噛んでいると後ろから「何かお困りですか」と声をかけられた。しかし振り返ってもそこには誰もいなかった。黒い艶やかな壁に情けない私の姿が写っているだけだ。そして壁からもう一度「何かお困りですか」と声がした。
「人類は何のために生きている?」
「存在するためです」
「何のために存在するんだ」
「進化するためです」
「何のために進化する?」
壁はしばらく黙ってから「何かお困りですか?」と尋ねた。私は家の住所を告げようと思ったがすっかり思い出せなくなっていた。黒い私が私を見つめていた。
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