第5話 005 朝日と泥棒と……そこはかと無いカホリ

 

 歩き続けて暫く。

 空が白んできた。

 もうすぐ日も登りそうだ。

 そして今歩いているのは草原だった。


 街が唐突に終わってしまったのだ。

 闇夜でわかり難かったのだが。

 地面がアスファルトから土に変わったのはすぐにわかった。

 それも線を引いた様に変わっている。

 その線は街そのものにも適応されていたのか、そこでビルも切れてしまっていた。

 何処かの田舎の新興住宅地?

 何かの実験都市?

 それでも、町外れになれば徐々に建物が小さく成るものだと思っていたのだがそうでも無いらしい。

 適当な都市計画の産物なのだろうか。

 だがそれでも進んだ。

 人の居ない、停電の街にそのまま居ても意味も無いし、何よりあそこで会った人間には関わりたくない。

 人殺しに、わけのわからない事を言う……一人と二人。

 俺の欲している人とは、普通の人の事だ。

 話のわかる人間。

 相談出来そうな人間。

 有無を言わさずに襲ってこない人間。

 それは当たり前の事だと思っていたのだが……案外難しいと初めて知った。


 そして、ここまで俺と花音は無言で歩いて来た。

 俺は花音にどう声を掛けて良いのかを迷っていたのだ。

 母親の死を告げるべきかどうかを。

 いや、それはもう理解しているのかも知れない。

 良く喋る小さな女の子が、ジッと押し黙っているのだから。

 そうだとしてもやはり掛ける言葉がない。

 母親の死に対して取り乱さない強さも、それを突き付けられても保てるかどうかはあやしいだろう。

 今ここで泣き叫ばれてもそれをどう対処すれば良いのかは、赤の他人の俺にはわからない。

 強い娘で良かったと……改めて花音を眺めた。

 

 「なに?」

 そんな俺に気付いた花音。


 「いや……別に」

 長い沈黙を最初に壊してくれた花音に少しだけ感謝だ。

 「結構、可愛いと思ってね」


 「うわ……変態」

 嫌な目で見る。


 「小さい子供を見て可愛いと思っては駄目なのか?」

 

 「駄目だよ……それは変態」


 「ふむ……じゃあ、辞めとくよ」

 別にその容姿に可愛いと思ったわけでもないし。

 お母さんを見れば将来は美人に成るだろうけど、そんな先の事は知らない。

 一緒に居る時間もそんなに長くない。

 本当の所、その性格も知らない。

 名前すら聞く気も無かったのだから、情が移ったとかでもない。

 今、一緒に居るのも受けた恩を返すため、それだけなのだが……少しだけ寂しい気もする。

 それを言われたのが赤の他人で良かった。

 もし自分の娘だったら泣いてしまうかも……そんな俺の性分を初めて知った気がした。 

 そうか俺はそんな感じの男だったのかと。

 少しだけ笑ってしまう。

 将来、結婚しても娘は産まない様に頼ばねば駄目だな……そんな宛もないが。


 「そうだ、これ」

 黄色い鞄を差し出した。

 「忘れ物」


 「あ! それマリーちゃんのだよ……持ってきちゃったの?」


 「え! そうなのか?」

 見た感じマリーには似合わない物だと思って勘違いしたか。

 明らかに幼すぎる持ち物だし、その場で一番小さい花音の物だとてっきり。

 「しまったな」


 「返しに行かなきゃ」

 立ち止まる花音。


 いやそれはまずい。

 「ちょうどいいよ、借りておこう」

 適当に誤魔化さねば。

 「借りてるのだから、そのうちに返しに行かないと駄目だろう? それは今度会うための口実に為るじゃないか」


 「泥棒だよ」


 「うん……に成るなあ」

 少しだけ考えて。

 「でも、もう俺は泥棒だしな」

 そう言ってポケットから懐中時計を取り出して見せた。

 

 「あ! それも」


 「これも返しに行かないといけないから……その時は一緒に行こうか」

 鞄を花音の肩に掛けながら。

 「で、その時に泥棒はこの人って俺を指せばいい」

 

 「またマリーちゃんの所か……」

 少し考えている。


 「そのうちに……落ち着いたらね」

 頷いて。

 「まずは家に帰ろう」


 「そうだね……私は泥棒じゃあないし」

 俺を見た。


 少しだけ女の打算ってヤツを見た気がした。

 八歳といっても年齢は関係無いのか……やっぱり女なのだ。


 その頃には日もすっかり登って朝に成っていた。


 


 また、暫く歩く。

 今度は適当な会話がチラホラ。

 一方通行で空返事しかしていない俺の記憶には一切残らなかったが。


 「あ! 川」

 花音が指差す。


 「川か……そう言えばトイレがしたいな」

 これは、半分は花音を気遣ってだ。

 我慢はしていないだろうかと。

 チラリと見てみる。

 何も反応は無い。

 ふむ、まだ大丈夫のようだ。

 「チョッとここで待ってて」

 俺は一人、そこを離れて適当な場所を探す。

 立ち小便なのだから何処でも良いのだが、何故か良い的を探してしまう。

 それは何故だかはわからない。

 実に不思議だ。


 用を終えた俺は花音の所へと戻ろうと踵を返す。

 出すとき背中からブルッと震えるのは何故なのだろう?

 特に寒い時の立ち小便……不思議だ。

 どうでも良い事だが、つい考えてしまう。

 つまり……暇なのだ。

 今の状況。

 逃げるという緊張感も薄まり。

 変化の少ない草原をただ歩くだけ。

 退屈し始めていた。


 ふと目線を上げると花音が見えない。

 離れすぎたか!

 一瞬で緊張が戻った。

 「花音! 何処だ!」

 声を張り上げた。


 「ここー」

 川の淵から顔を出す花音。


 「良かった……見失ったかと思ったよ」

 安堵と共に。

 

 「魚が居るかと見てたの」

 少し気まずそうな顔。

 怒られるとでも思ったのか?


 「ほう、居たか?」

 怒りはしないと示す為にも会話に乗っておいた。


 「うん! 小さいのが泳いでた」


 「そうか居たか」

 その魚を取って食べれる程に器用でもない。

 確かに腹は空いたが街の側の川の魚なんて不衛生だとも思うし、少し我慢だ。

 

 「寒いのに良く泳いでいられるね」


 「秋の朝だしね」

 そう言えば、秋にしては冷えるな。

 今年は季節が早いのか?


 「さて……行くか?」

 何処かで暖かい飯を喰おう。


 歩き出そうとする俺を見る花音。


 「なに?」

 

 「手……洗った?」


 「いや……水道も無いし」

 立ち小便なのだからそれは仕方ない事だ。


 だが、花音は黙って川を指差した。


 そこで洗えってか?

 まあ、いい。

 それに従いましょう。

 ヘイヘイと頷いて川へと向かった。


 「あ! そっちは駄目」

 何を慌てたか、数歩歩いた俺の手を掴む。


 「ん?」


 「もう少しだけ……川上へ」

 川の少し先を差した。


 「わかった」

 理由はわかっていない。

 だが従うと決めたのだから、それにも頷く。


 川上へと少し進んで川面を覗き込む。

 魚が逃げる影が見えた。

 綺麗な透明な水。

 それが少しだけ高台の土手の下に見える。


 足場を確認するようにユックリと降りた。

 別段、跳べない高さでも無いのだが、川縁のゴロタ石が不安定そうに見えたのだ。

 こんな所で怪我はしたくない。


 側まで寄れば朝日が瞬き水の流れる音とで、のどかな平和を演出しているようだ。

 平和はいい。

 人殺しなんぞと関わりたくも無い。

 

 ふと土手を見上げた。

 小さいのに……力強く立つ花音がこちらを見ている。

 この状況で、あんな風に笑っていられるのが不思議でならない。

 羨ましい程の強さだ。

 まるで魔法か何かを掛けられたようだ。

 そんな魔法が有るのなら……俺も欲しかったのだが。

 あり得ない話。

 元の強さの差なのだろう……肩を竦めて諦めるしかない。

 

 今一度、川に目線を移して。

 しゃがんで手を突っ込む。

 川底で、蟹が岩影の中に走るのが見えた。

 「カニ、沢蟹か」


 「え! カニが居るの?」

 俺の何気無い一言に反応して、側に寄る。

 「何処? 何処?」

 川面を覗き込む花音。


 「その岩の下に逃げたよ」

 そう告げた。

 

 さわりと柔らかい風が吹く。

 川下からの風。

 と、同時に……そこはかと無いカホリ……。


 鼻を摘まむ程では無いが……この臭い。

 チラリと花音を後ろから覗く。

 顔は見えないが、耳が真っ赤だ。

 

 ……。

 成る程……大きい方ね。

 

 気付かない振りを決め込もう。

 「見付からないだろう? もう行こうか」

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