ゆるくてイージーゴーイング ~神様の引退垢から最強の男の娘アバターもらったよ~

三次元豚

第1話 神の会議室

「……あれ? ここどこ?」


 12畳ほどの広さの部屋。床にはタイルカーペットが敷かれ、事務室か会議室のように見える。

 壁はオフホワイト一色で飾り気がない。その壁の一面にはスクリーンが掛けられており、いかにもオフィスらしさを演出している。

 そして僕はどういう訳か、その部屋の真ん中でパイプ椅子に座っていた。

 自分の対面には長机ともう一脚の椅子がある。

 これから就職面接でも始まるのだろうか?


 わけがわからない状況だ。途方に暮れてなんとなく手元を見る。

 見慣れた手のひら。30を過ぎた男の手だが、見飽きるほどに見てきたものを確認できて、気持ちが少し落ちついた。

 目線が下がれば自然と、上着やズボンも目に入る。白地のシャツにベージュのスラックス。

 日頃からよく着ているものだ。まさか普段着で面接を受けに来たのか? 謎は深まるばかりだ。

 そういえば最近の若者はズボンのことをパンツと言うらしい。だとすれば下着のパンツとの区別はどうするのか。

 彼らはパンツの上にパンツを履くことに葛藤を覚えないのだろうか。

 ──そんなふうに考えていた時期が僕にもあった。


 いつしか僕も気付いた。

 パンツオンパンツというアバンギャルドなファッション。それをスボンをパンツと呼び変えるだけで可能とした。その発想の柔軟性に。

 人は誰しも、珍妙な恰好でお外を練り歩きたいという欲求を、少なからず持っているものだ。

 ハロウィンの渋谷を見ても、それは明らかだろう。

 そんな人々のささやかな願いを、合法的かつ人知れず解決出来てしまう。こんなにも簡単な方法で。

 それは頭の固くなったおじさんからすれば、並大抵では至れないひらめきだった。


「なにやら難しい顔をしていらっしゃいますね」


「え! 誰っ!?」


 唐突な声掛けに、僕は思索を中断して顔を上げた。

 おじさんだ! さっきまで空いていた対面の席におじさんが座っている。気配などまるで無かったぞ。

 おじさんは痩せ型で、ワイシャツにネクタイ姿。すだれハゲと黒ぶち眼鏡が特徴的だ。

 僕自身おじさんではあるが、仮に僕がおじさんLV39としたら、彼はLV56くらいありそうだった。

 いやもしかしたら、すでに還暦を超えているかもしれない。とにかくそれくらい目上に見えた。

 彼に比べたら僕などまだまだフレッシュマンに過ぎない。ここは若手らしく敬語で受け答えするべきか。


「私が何者かは追って話すとして、まずはあなたが置かれた状況についてお伝えしましょう」


「あ、はい。よろしくお願いします」


 おじさんのありがたい提案に、僕は頭を下げる。それが知りたかったんです。話が早くて助かります。


「まずは率直に申し上げますと……。藤木蓮太郎さん、あなたはすでに亡くなられております。

 死して魂となった貴方が、私の管理領域に迷い込んで来たため、一時的に保護している状況です。

 現在私たちが居るこの空間は、あなたへの説明をするに相応しい場所として、あなたの記憶から構築したものです。

 ちなみに私の姿も、あなたのイメージから借り受けたものになります。ここまではよろしいですか?」


 よろしくない。よろしくないけど、そういう尋ね方をされると口を挟みづらい。

 さりとて、はいそうですかと流せる内容でもない。控えめに言って頭がおかしい人だ。一体どうすれば……。


「えっと、その……」


「にわかには信じがたい、という表情ですね。ですがそれも当然でしょう。私は何の根拠も示していないわけですからね。

 よろしい。まずはあちらのドアを開けてごらんなさい。

 その先を見て頂ければ、私の主張を笑い飛ばすわけにはいかなくなるでしょう」


「……はい。わかりました」


 妄想に取りつかれた人を刺激してはいけない。ここはおとなしく彼の提案に従おう。

 僕はのろのろと立ち上がると、ドアのある壁際へと向かった。

 そこでふと思う。そういえばこの部屋にドアなどあっただろうか。最初に部屋を見回したはずなのに、よく思い出せない。


「じゃあ、開けます」


 彼の言葉を信じていないはずなのに、その揺るぎない態度に今更ながら不安になってきた。僕は恐る恐るノブをひねる。

 ──ドアの先には虚無が広がっていた。


「ヒィッ!」


 どこまでも続く真っ黒な空間。そもそもこれは空間と呼んでいいのか。ただ見通せない闇だけがそこにあった。

 足を踏み出したら絶対に戻れない。そう確信できた。

 どこまでも落ちていくのか。はたまた闇に飲まれて消えるのか。終わりがあるなら、それはいっそ救いだろう。

 僕は不吉にフタをするように、大急ぎでドアを閉めた。


「ご覧のようにこの部屋以外は設定していないのです。

 いろいろと納得いかない部分もあるでしょうが、今は話を進めましょう。

 時間も押していますからね」


「はい。……ところで時間って?」


 元の席に座りながら、質問が口をついて出た。


「ああ、そうですね。これをお伝えするのは大変心苦しいのですが、肉体から離れた魂は徐々に崩壊が進むのです。

 藤木さんは記憶の欠落などありませんか? 傾向としては直近の出来事ほど、抜け落ちやすいのですが……。

 おそらくですが、ご自分の死因も覚えておられないのでは?


 ……そのご様子ですと、どうやら思い出せないようですね。

 ですが慌てる必要はありません。死の直前の記憶を保持している方は稀なくらいですからね。

 ただ、この状態を放置しては危ないという話であって、ただちに影響はないのでご安心ください」


 なるほど、それなら安心ですね。と言いたいところだけど、魂の崩壊とは聞き捨てならない。

 そんなのデタラメだと叫びたいのに、あらためて思い起こすと確かに記憶があやふやなのだ。

 覚えている最新の光景は、おそらく夏頃だったはず。しかしそれが何月だったのかまでは思い出せない。


 いくら夏場はエアコンの効いた部屋でゲーム漬けのニート生活だったとはいえ、人として月日感覚までは失っていない。

 だって梅雨の時期から歯医者さんに通っていたし、日付にはよくよく気をつけていたのだ。

 僕には一度だけ歯医者さんの予約日をド忘れした苦い過去がある。あれはとても気まずかった。

 誠心誠意ごめんなさいをする僕に向けた、受付のお姉さんの白けきった目は、今になっても夢に見る。

 ──あの失敗を繰り返さない。

 ひとえにその誓いを胸に抱いて、僕はこれまで生きてきたのだ。

 その僕が何月かを忘れる? そんなのありえない。


 というか、そもそも夏の大作ラッシュのおかげで、カレンダーは入念にチェックしていたのだ。

 詳細な日付なんて、どのゲームを買ってどこまでプレイしたかを振り返るだけで知れる簡単なタスクだ。

 プレイに熱中して忘れるような歯医者ごときとは、思い入れの強さが違う。

 新作カレンダーこそ、なにより信頼できる指標なのだ。

 ──そのはずなのに、事実として僕の記憶にはモヤがかかっている。


 ……わかってるさ。いいかげん認めよう。

 おじさんが僕を騙すつもりだとしても、どのみちなるようにしかならない。

 相手は明らかに人智を超えた存在。ただの人間の僕に、抗うすべなどありはしない。

 全てを真実だと受け入れて、流れに身を任せればいいんだ。

 難しいことは考えないに限る。そういうのは得意なんだ。

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