第4話 土砂降りと目撃証言



「カナンデラ。新郎ハウンゼントは何処」


フォークダンスでよほど跳ね回ったのだろう、後部座席でもかっちり纏まって乱れなかったカナンデラの、オールバックに撫で付けた黒髪が、一筋、額にエロっぽく垂れている。カナンデラはダンスの輪を見渡し、輪から抜けて辺りに目を配る。其れから「館に行ってみるか」と言って大股で西に向かった。林の向こうに古い石造りの館が頭を覗かせている。村の家と比べればかなりな大きさだ。


ハウンゼントは白いイブニングで、目立つ。其処らにいて目に付かないはずがない。伯母さんの具合が芳しくないと言ってたな。館に行ってみるか。ああ、此の道……何年ぶりか、此の村は……前に来た時は葬式だった。


歩き始めてカナンデラは直ぐに後悔した。徒歩で5分はかかる。


アルフォンソ13世なら1分だがなぁ。どうせハウンゼントの館に泊めてもらうのだから、ラナンタータとラルポアも一緒に……いやいや、結婚式なんて滅多にあるもんじゃない。ラナンタータ、うさを忘れて楽しめ。いつか結婚するんだろう。そうだ、俺だけ独りぼっち。シャンタン一筋だからなぁ、俺って。なんて良い子なんだ、俺……ああ、孤独な流浪の風よ、わかるかなぁ、俺ってコドクだよね……


孤独が余程気に入ったのか、鼻歌混じりでスキップでもしそうに歩く。



「どうした、ラナンタータ」


ラルポアもダンスの輪から抜け出した。髪はふわりと浮いたものの綺麗に纏まっている。


「ハウンゼントがいない。今日の主役なのに」


「お、そりゃ大変。しかし、何処を探す。ハウンゼントの館は何処だ。アルフォンソ13世を移動しておきたいんだ」


ラルポアからふいに甘い香りがする。広場から放射線状に広がる3本の道のどちらにも幾つもの家があり、森や山や谷に繋がる。自然の中で柔らかな若葉と花の香りがそよ風に運ばれたかのように、ラナンタータの鼻腔を掠めた。



此の匂いは好きだな……ラルポアが女性にもてるのは理解できる。カナンデラがもてないふりするのも理解できるけど……良い匂い。脳ミソが和らぐ匂いだ。



「カナンデラは館の方に行ったのではないかと」


森の間の道を指差す。


「取り敢えずアルフォンソ13世に戻ろう」


「私は待ってる。アンナベラと一緒だし、アンナベラからデリンジャー借りた。暴漢が出たら迷わず撃つ」


ラナンタータはポシェットを開いて見せた。洒落た流線型の小型銃がすっぽり収まっている。ラルポアは顔色を変えたが、ラナンタータがクンクンと鼻を鳴らして胸元に顔を近づけたので、ホールドアップの体勢になった。ソフトに拷問されているような顔になる。


「暴漢は脚を狙え、ラナンタータ」


「わかっている」


ラナンタータはしつこく匂いを嗅ぐ。ラルポアは「此の状況を神はどうご覧になるだろうか。僕はしがないショーファーです」と刹那牧師になって天を仰ぐ。


「ラナンタータ」


アンナベラが呼び掛けた。美しい女性を伴っている。ラルポアはほっとして腕を下ろし、アンナベラに会釈して然り気無く離れ「アルフォンソ13世を……」と呟いてラナンタータが指差した方向とは別の道に歩き出す。



「此方、ヨルデラよ。私の従姉。とても歌が上手いの。フランスのムーラン・ルージュの舞台に出たことがあるのよ」


ヨルデラの、ストンと落ちる筒型のシックなタフタのドレスは、深緑の身体の中央を真っ直ぐに幅広く金糸刺繍が施されてオリエンタルな雰囲気を醸し出す。頬骨を隠す辺りで短く切り揃えた黒髪に同じ素材のタフタのターバンを巻いて大きな輪の金色のイヤリングをしている。オリエンタルな雰囲気と、遠目にも派手な化粧が舞台人らしい。


「一度だけよ」


「それでも素晴らしいじゃないの。ね、ラナンタータ」


名前を呼ばれてラナンタータはちょこっと膝を曲げてお辞儀した。


「初めまして。アンナベラとは4年間クラスメイトでした。ラナンタータ・ベラ・アントローサです」


「ヨルデラ・スワンセンです。お噂はかねがね」


ラナンタータはヨルデラからアンナベラに視線をスライドさせた。4年間同席していたアンナベラからヨルデラの話しを聞いた試しはないが、ヨルデラの方ではラナンタータの噂を何度も聞かされていると証言したではないか。ラナンタータの目に避難の色が滲む。


「違うの、ラナンタータ。噂と言っても……」


「何も違わないでしょ、アンナベラ。あなたはいつも嬉しそうにアントローサさんの自慢話をしてたじゃない。アルビノって言うんだ、真っ白で素敵だって。本当に色白ね。目の色も薄いのね。ミステリアスでファンタスティックよ。アンナベラは大好きなお友達がいて良いなと思っていたわ」


ヨルデラは華やかに笑ってラナンタータに握手を求めた。


「よろしくね、美しい方。それに、私も探偵さんに興味があるの」


軽い握手を交わしてラナンタータは話題を変えた。


「アンナベラはハウンゼントを探している。何処にいるかわかりますか」


「ハウンゼントならお母様を館に連れて行ったわよ。お疲れになったみたいで。そうそう、アンナベラ。今夜の黎明祭の四人の旅人役は、もうくじ引きを済ませたのかしら。さっきこの村の結婚式の風習を聞いたばかりだけど、面白そうね。私でもできるかしら、旅人役……」


意外な情報だった。


「余所者も参加できるの、アンナベラ」


ラナンタータも聞いた。


「よくわからないわ。ただ、くじ引きと言ってもダンスを踊って曲が終わると順番に紐を引くのだって。印のついた紐を引いたら旅人よ。朝までかかりそうだわ」


アンナベラの返事は芳しくない。


村人と思われる華やかな民族衣装の女性陣が数名、アンナベラに近づいてヨルデラとラナンタータも賑やかに腕を引っ張られた。強制的にフォークダンスの輪に入れられる。ラナンタータはマントを奪われて初めてのフォークダンスに戸惑い、アンナベラとヨルデラは大笑いしながら何度も間違えては笑いこけた。ラナンタータも笑った。


広場の脇には白い布を掛けたテーブルが出て、ざっと50席はあろうか、奥さんたちの持ち寄った料理がずらりと並べられている。椅子に座った老人たちは既に酔っていた。皿を持ってテーブルを巡る人々の中には、カラーパープルもいた。フランス留学の流れ者は多い。中には第一次世界大戦が始まって移動してきた者もいた。




あれは、こんな黄昏時だった……

『君の肌を僕の母国語では白皙と言うんだ。いや、君は女性だから皙白だね。とても、其の……いや、今は西日の色合いが乗って、ペールピンクに見える。美しいよ』

『嬉しい。ペールピンク……好きな色だわ。憧れの肌色』

『憧れる必要なんてないよ。僕はカラーパープルだから白人に憧れて国を出たけれど、憧れる必要なんてなかった』

『あなたの国ではあなたの肌色が普通なのね』

『君だって、僕の国に来たらただの外国人さ。アルビノを知らないから、白人って色が白いから白人って言うんだなぁって思うだけさ』

『あなたの国に行ってみたい』

そう言って喜んでくれたのに……

直ぐに出るべきだった。




異変が起きたのは西の空が夕焼け色に染まり始めた時だ。ふっと空が暗くなり、地獄の釜の色と呼ばれる夕焼けが遠くで燃えた。いきなりザザザザと大きな雨粒が落ちた。


「「「きゃああああ」」」


ラナンタータは走った。脱がされたマントは奥さんたちの手を渡ってテーブルの椅子に置かれている。奪い取るようにして頭から被ったが、時、既に遅し。ラナンタータの髪からポタポタ流れ始めた黒い水が、繊細な硝子のドレスに黒い染みを作って広がる。


「ラナンタータ、こっち」


ラナンタータの手を引いたのは花嫁のアンナベラだ。雨に打たれながら一番近い家の軒先に走る。其処には数人の村人と共にヨルデラもいた。黒いドレスの夫人がエプロンをラナンタータに手渡した。


「頭を拭くといいわ」


「有り難うございます。ファイアッテン未亡人」


答えたのはアンナベラだ。遅れてラナンタータも礼を述べた。


アンナベラがラナンタータの頭をエプロンで拭く。ラナンタータは、アンナベラのウエディングドレスが汚れるからと身を捩ったが、アンナベラは「気にしないで」と笑う。


雨の中を遅れて走って来た家の住人がドアを開いて、雨宿りしていた花嫁と友人ふたり、黒いドレスの夫人、若い男性ふたりを中に入れた。


ラナンタータは黒い染みのついたエプロンをターバンのように巻いた。




おいおい、此の車は、スペインの王妃様が心から愛する国王アルフォンソ13世に贈った祝福された車だぞ。愛の車だ。僕の車ではないが。


ラルポアはイスパノ・スイザの名車アルフォンソ13世に雨避けの防水シートを被せるのに忙しく、ラナンタータの行方を確認していなかった。コンパーチブルの幌だけでは此の横殴りの雨はやり過ごせそうにない。後部座席の脇のトランクに3人分の着替えも入っている。濡らせば跳び蹴りはないにしても村八分だ。黙しても語るラナンタータの態度の雄弁さは身に染みる。今日は胸元を嗅ぎに来たが、コロンのハンカチーフが欲しかったらしい。


言えば良いのに……。

だが、参ったな、此の雨……今は動かせない。ラナンタータの絵の具頭は大丈夫だろうか。マントを脱がなければ直ぐに濡れることはないか。




カナンデラはハウンゼントの館で、フランスの老舗マリアージュフレールの紅茶をご馳走になっている。古い館は築100年を越す。目立った老朽化がないのはメンテナンスに金をかけたのだろう、内部は壁紙も新しく、新郎新婦のプチ・ホテルへの意気込みが伺えて嬉しくなった。お茶も芳ばしい。フランス贔屓の村民性か、村中でフランス文化を崇めてフランスからの輸入品を味わうことができる。


窓の外が暗くなり、雨に気づいてラナンタータの絵の具頭が心配になったが、それよりも目の前で語られた殺人事件に気が入って、席を立つことを躊躇った。


古いが其れなりの家具調度品はアンティーク価値の雰囲気がある。フレンチロココ調のベルベットの花柄が優しい3人掛けのソファーは、ベルサイユ宮殿をこよなく愛するカナンデラの美的センスを其の女性らしい流線型で擽くすぐる。カナンデラはシャンタンを誘おうなどとエロい妄想に走りかけた。



「カナンデラ兄貴、まだ犯人は捕まっていない。それどころか今夜は4人の旅人を迎え入れるなという警告の文が届いた。俺たちが狙われているかもしれない」


ハウンゼントの日焼けした顔に碧色の明るい目が翳った。


「待て、ハウンゼント。最初の死体発見者は誰だ」


「母さんだ」


ハウンゼントの母親アリカネラは顔を斜めにして頷いた。ハウンゼントと同じ碧色の目が不安気に曇る。髪をポンパドールに結い上げた薄化粧。淡いオレンジ系の口紅。時が時なら領主夫人だ。刺繍で埋めた民族衣装の豪華さは群を抜く。衣装の地色が黒なのは此の村の特色だ。


「アリカネラ伯母さん、何故、伯母さんが発見することになったんですか」


アリカネラは暗くなった部屋のテーブルにキャンドルスタンドを立てて、マッチを擦った。ほやあと明るくなった部屋の床に3人の影が落ちる。


「あの日はね、とても奇妙なことがあったの。私はファイアッテン未亡人のバイオリンの集いを楽しんでの帰り道だったわ。フオレステン家の前を通りがかったの。

この村にも自動車が来ることは珍しくなくなったわね。世界大戦中から、ワインやチーズを求めて街やフランスやドイツからもバイヤーが買い付けに来るのよ。ギルドを作って正解ね。

でも、ギルド商品の他にもザカリー家伝来の品もあるのよ。

だから、フォレステンの家にブガッテイが止まっていたのも、何処かのバイヤーだと思っていたの。珍しい車だけど、ブガッテイは分かりやすい車よね。

それで、何も気にしないでいたから、車のナンバーも覚えていないわ。うちにも其のうち来るだろうくらいにしか思っていなかったの」


「で、来たんですか」


「いいえ。いろいろ家事に取り組んでいるうちに忘れていたものだから、フオレステン家に行ってみてブガッテイが消えていることを知ってがっかりしたのよ。

うちにも旨いチーズがある、ジャムもある。ギルドの為に裏のチーズの倉庫を改装したのよ。地下のワインセラーも改装したいのだけど、ハウンゼントが其処は良いと言ってね……

あ、そうそう。それで、フォレステンを訪ねたの。次にバイヤーが来たらザカリー家伝来のチーズのことも宣伝してほしいと思って。そしたらドアが少し開いていて、何度も呼び掛けたのだけれど……」


「入ったんですね」


「いいえ、窓から見たのよ。そしたらフォレステン家のご主人が倒れていたの。頭から血を……」







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