光鋏の魔術師

ななほしとろろ

光鋏の魔術師

プロローグ

 広大な草原に風が吹いた。

 草々を波打つように揺らし根元に溜まった空気を乗せて森の入口へと運ぶ。

 陽は強いが嫌味を照らしてはこない。

 草原には一本の土道があり真っすぐ森へ向かっている。


 そんな土道を歩く男と少女がいた。


 男は高身長でほっそりとした体つき。先の丸い茶色の革靴。黒い七分のパンツを履いており、サスペンダーが風によって膨らみそうな白いワイシャツを抑える。

 右手首には五本の黒い紐が余裕をもって巻かれている。

 左手は黒いボーラーハットが風で飛ばないよう押さえている。


 そして腰元に掛けられた革製のシザーケース。

 ケースは筒を潰したような楕円型をしており、口は開いたままの物。

 そこから覗く四本のハサミと二本のコーム。

 サスペンダーには四つのダックカールが留めてある。


 少女は男の後ろを早歩きで付いていく。

 身長は男の三分のニ程。黄色のカッパを着ていてフードをかぶってる。フードからは水色の髪が覗く。

 足元は黒色の革製長靴。


 そして体に合わない大きさの木箱を背負っている。木箱は両開きの扉が付いており、天蓋部分が特殊な形をしている。

 その形は頭が三つは入る広さのお椀型で、縁の一部がU字になっている。

 木箱自体高さがあるので、背負われた木箱は少女の頭より出ている。

 さらに、木箱の両横括り付けてある木製の折り畳み椅子。


 少女は木箱に風を受けてよろめきはするが一所懸命に進む。


 二人はそのまま森の中へと進み、半時ほど歩くと拓けた集落にたどり着いた。


 まず目に入るのは畑。10メートル四方の畑が木の柵で囲まれており、同じような畑が六つ。

 中心部は大きな広場になっていて、広場を囲むように木造の平屋がいくつも並んでいる。

 脇には小川も流れていて水車小屋から小気味のいい音が聞こえてくる。


 男と少女は慣れた足取りで広場の端に腰を下ろした。


 二人に気付いた住民は慌てて集落中に呼び掛ける。

 10分としないうちに二人の周りに人だかりができた。


 木陰で倒れ込んでいる少女を他所に男は木箱から折り畳み椅子を取って広げた。


 ボーラーハットを脱いで額の汗を拭く。

 木々の間を抜けてきた風が男の黒いマッシュスタイルの髪をなびかせた。

 気合を入れるように息を吐いてハットを被り直す。


「お待たせいたしました。一人目のお客様はどなたでしょうか?」


 男は丁寧に頭を下げ、両手を広げて人だかりの顔を確認していく。


 すぐに一人の女性が手を挙げて一歩前に出る。


「あの。私からでもいいでしょうか?」

「ええ。それではこちらのお席へどうぞ」


 男は広げた椅子の上を軽く手で払い彼女をエスコートするように招いた。

 彼女は下を向いて恥じらいの表情を浮かべているが、ずっとこのときを待っていましたという感情が顔に出ていた。


 男は座っている彼女の右後ろに立って指を『パチン』と鳴らす。

 すると彼女の前方の空間が歪んでいく。数秒で歪みは無くなり段々はっきりとした空間に変わる。

 変化した空間部分は鏡となり座っている彼女と男を映し出した。


 この不思議な光景を見た彼女や周りの人々は特に驚くことなどなかった。


「だいぶ伸びましたね。前回こちらに伺ったのが二ヶ月ほど前なので、大体2センチくらいですね。今回はどういたしましょうか?」


 男は彼女の髪を手のひらに乗せながら問うた。

 彼女の黒髪は胸の辺りまである。


「あの……その……」


 彼女は恥ずかしさから言葉が出てこない。

 男はすぐさま腰を曲げて目線を合わせた。


「最近は肩位まで切るのが流行ってきていますね。お客様にもお似合いかと思いますよ。暑くなってきたので短くしたいとおっしゃるお客様も多いです」

「ほ、本当ですか!? よかった……短くしてみたいと思っていたのですが、それがどうなのか分からなくて」


 彼女は肩の荷が下りたようにスラスラと言葉を出し始める。


 男は笑顔で様々なスタイルを提案しつつ彼女の求めるイメージを模索した。

 数分のカウンセリングを終えると、木陰で倒れている少女の方へと彼女を案内した。

 そしてすぐに順番待ちしていた次の女性を席へ案内してカウンセリングをする。


 二人ほどカウンセリングを終えると、最初の彼女が頭にタオルを巻いた状態で戻ってくる。

 男は彼女を再度席に案内すると、大きな布を彼女の首に巻く。

 布を巻かれた彼女はテルテル坊主のようになった。

 頭のタオルを外し濡れた髪を丁寧に梳かしていく。


 彼女の濡れた髪からは清々しい花の香りが漂う。


 男は腰に下げている革製のシザーケースからハサミを取り出し髪を切っていく。


「最近向こうの森のゴブリン・・・・たちの間では髪を脱色して金髪にするのが流行ってきているんですよ。黒髪だと陽の光を吸収しちゃって暑いですよーっておススメしたら気に入って頂けたみたいで」

「まあ、金色ですか。私も憧れていました。以前見かけたヒト族の方が透き通るような金髪の方で。……でもゴブリンの私に似合いますでしょうか?」


 彼女は不安げに言葉を吐いた。

 男は手を休めることなく笑顔でカットを進めていく。


「似合いますよー。むしろ今の黒より金にした方がその綺麗な緑色の肌にマッチします。今なら初回カラーは無料でお試し頂けます。やってみますか? お時間も数分で終わります」

「本当ですか!? ずっと憧れてましたしやってみようかしら」


「かしこまりました。絶対可愛くなるので期待していてください」

「まあ」


 彼女は顔を赤らめる。


 カットは十数分で終わり、再度少女の方へ彼女を案内した。

 彼女と入れ替わるように頭にタオルを巻いた二人目が男の元へ来る。

 そして男は休みもせずに二人目のカットに移る。


 二人目のカットを終えると最初の彼女がまた頭にタオルを巻いた状態で戻ってくる。


「お疲れさまでした。シャンプーどうでした?」

「気持ちよかったです。少し寝てしまったのがもったいないです」


 男はタオルを外してそのまま髪を丁寧に拭いていく。


「ありがとうございます。あの子も最近張り切ってシャンプーの練習してますから。それでは乾かしてからカラーしていきますね」

「はい」


 男はタオルを自分の右腕に掛ける。そして、右手の人差し指と中指をを伸ばしてピストルの形を作った。


「熱かったりしたらすぐに言って下さいね」


 そう言うと指先から暖かい風が出て髪を乾かしていく。

 ブラシを使ってツヤを出しながら丁寧に仕上げた。


 ブローの終わった彼女は毛先が内に綺麗に収まったミディアムボブ。


「それではカラーを行っていきますね」


 男は両手を広げて彼女の頭を包むように手を当てていく。

 するとみるみるうちに真っ黒だった髪が金髪に変わっていく。

 彼女が言っていた透き通るような綺麗な金髪。


「わぁ、それどうやってやったんですか!?」

「秘密です」


 男は尻ポケットから手のひらサイズの木製コンパクトケースを取った。

 中には半透明でとろりとした練り物が入っている。

 これを少量手に取り彼女の髪全体に揉むように付けていき、形を整える。


 練り物からはフルーティーな香り。


 ただつるんとしていたシルエットに動きが出てエアリー感が加わった。

 ゆるふわミディアムボブの完成である。


 男は指を鳴らす。

 彼女の後頭部にくの字で鏡の空間が出てくる。前方の鏡と合わせ鏡になり後方部分が映った。


「お客様。仕上がりはどうでしょうか」


 彼女は両手で口を押えて目を見開く。


「とっても素敵です。私じゃないみたい」

「とてもお似合いです。それと、先ほど髪に付けたこちらはワックスといいまして、最近開発した整髪料です。お試し用の小さいサイズを差し上げてますのでお会計の際にお受け取り下さい」


「カラーもタダでそのワックスというのも貰えるのですか?」

「ええ。まだ量産は出来ていないので販売はしておりませんが、気に入って頂けたなら次回からご購入もいただけます」


「そうなのね。とてもいい香りがしたから頂こうと思ったのに、残念です」

「ありがとうございます」


 男は手帚で彼女の肩を丁寧に払う。

 衣服に刺さってしまっている小さな毛くずも逃さないよう指も使う。


「はい。お疲れさまでした」

「ありがとうございました」


 彼女は立ち上がり深々と頭を下げた。顔を上げた彼女は笑顔。

 男はこの笑顔を見て安心と感謝を胸に感じる。


 こうして男はこの後集落の女性15人、男性7人の施術を行った。


 空はすでに赤く染まり、涼し気な優しい風がふわりとなびく。


 来たときと同じように少女は折り畳み椅子を括り付けた木箱を背負う。


「よし! 帰るか!」

「はい!」


 男と少女は来た道を戻っていく。

 森を抜けて広い草原にでる。


 深緑だった草原は沈み向かう陽によって黄金に見えた。

 土道を進むのっぽの陰と木箱に足の生えたの陰。


 男のことを知る者は彼をこう呼んでいる。


 光鋏こうきょうの魔術師。と。

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