第一章・潮音の誕生日(その5)
誕生パーティーの日取りは決まったものの、潮音にとってはそのパーティーに誰を招待するかも頭の痛い問題だった。そこで潮音はパーティーの何日か前になって、学校の休み時間に暁子に相談してみた。
「誕生パーティーをやるとして、誰を呼べばいいか迷ってるんだ。オレの家は紫の家ほど大きくないから、前に紫の家であったパーティーほど大勢の人は呼べないからさ…」
潮音がため息をつくのを、暁子はなだめるように言った。
「迷うことないじゃん。人が大勢来ればいいってわけでもないんだし。あんたが来てほしいと思う人を呼べばいいと思うよ」
「とりあえず暁子と優菜は外せないとして、紫と尾上さんは呼びたいんだ。あと漣も招待したんだけど…来てくれるかちょっと心配なんだ」
「漣って…ああ、この前の秋祭りのときに潮音と一緒にいた子よね。なんかおとなしくて引っ込み思案そうな子だけど、秋祭りのときにもうあたしたちに会ってるんだから、大丈夫じゃないかな。でもあの漣って子、布引に通ってるんでしょ? 潮音はなんかあの子のことが気になってるみたいだけど、どこで会ったのよ」
「いや、それを話すと長くなるからさ…。でもこれで流風姉ちゃんを入れると六人か。これが限度かな…」
潮音は招待したい顔ぶれとして、ほかに光瑠や琴絵、キャサリンや恭子なども心の中に浮んでいたが、そこはあきらめるしかないと思い直した。潮音が迷った表情をしているのを見て、暁子は冷やかすように言った。
「これだけいろんな人を招待しようかどうか迷うなんて、あんたもけっこう人気者じゃない。それならいっそ、あんたの隣の家にいる、尚洋のかっこいい彼氏を誘ってみたら?」
「何言ってるんだよ。暁子のバカ」
潮音はニコニコしている暁子を見ていやそうな顔をしたが、内心では昇が潮音の誕生日を祝ってくれるのを期待する気持ちもかすかにあった。そこで暁子は潮音にぼそりと言った。
「椎名君…やっぱり水泳の練習で大変なのかな」
「ああ…あいつは誘っても来られないかもしれないな」
潮音は窓の外を見つめながら、中学生のときには自分と一緒に水泳の練習を行っていた浩三が、自分から遠くの世界に行ってしまったことをあらためて感じていた。
そして潮音の誕生パーティーが行われる日曜日が来た。この日は晩秋の空も青く晴れわたり、穏やかな日差しが窓辺を照らしつけていた。
潮音の誕生パーティーを開くにあたって、すっかり盛り上がっていたのは潮音の母親の則子と姉の綾乃だった。則子はすっかり上機嫌になって、腕によりをかけてパーティー用のオードブルを作っていた。
「去年はあんなことになって誕生日どころじゃなかったから、今年の誕生パーティーはちゃんとやらなきゃね」
その間に綾乃はケーキを焼いていたが、潮音は六月の暁子の誕生日に自分もケーキを作ったときには慣れないことばかりだったことを思い出すと、綾乃がてきぱきとケーキを作るのを見てやはり自分は綾乃にはかなわないと思った。潮音の父親の雄一は、そのムードに居づらいものを感じたのか、むっつりした表情を浮べたままどこかに出かけてしまった。
潮音は暁子たちには、本格的にパーティーが始まるのは正午過ぎになるから、このくらいの時間に来てくれたらいいと連絡しておいたが、その時間よりもずっと早く、朝の十時ごろになって流風が潮音の家に来た。流風はフォーマルな感じのするワンピースでおしゃれに装っていた。
「お母さんがせっかくの潮音ちゃんの誕生日なんだから、これ持たせてくれってさ」
潮音はモニカが流風に持たせた包みは何かと思って、さっそくラッピングをほどいてみると、お菓子や簡単な手料理のほかに、英語の参考書が混じっていた。潮音はもっと勉強をがんばれというモニカのメッセージだと思って思わず苦笑いを浮べたが、潮音は幼い頃にモニカから英語の歌を教えてもらったり、英語の絵本を読んでもらったりしたことを思い出すと、悪い気持ちはしなかった。
「松風だって勉強大変なんでしょ? 潮音ちゃんはちゃんと勉強についていけるのか、大学はどうするか、うちのお母さんも心配してたよ。もっとちゃんと勉強しないとね」
流風にまでそう言われて、潮音はやれやれとでも言いたげな顔をした。しかしその場ですぐ、流風は笑顔を浮べながら潮音に顔を向けた。
「で、今日の主役もちゃんと準備をしなきゃね。こんな部屋着のままじゃパーティーが始まらないでしょ」
その傍らには綾乃の姿もあった。こうなると潮音は例によって、この二人の着せ替え人形にされることからはもはや避けられないと覚悟を決めると、ため息混じりに言った。
「お手柔らかに頼むよ」
そして綾乃は、かわいらしい感じのする服を何着か持ってくると、それを潮音の前に示してみせた。潮音はその中から、流風の着ているワンピースと比べても遜色のない、シックな感じのするパーティードレスを選んだ。潮音が部屋着からそのドレスに着替えてみると、綾乃も自分の判断に誤りはなかったとでも言いたげに、にんまりとした笑顔を浮べていた。流風も潮音がかわいらしく装ったことに対して満足そうな表情をしていた。
続いて潮音は鏡台の前に坐らされると、綾乃にナチュラルメイクを施されていった。まつ毛にはマスカラが塗られ、唇には淡い色合いのルージュがひかれていった。そしてブラシで髪をとかされて結び目にはシュシュをとめて、髪型のセットが一段落すると、潮音はやや遠慮気味に綾乃に話しかけた。
「姉ちゃん…やっぱり大人になったら、自分で毎日化粧できなきゃいけなくなるのかな」
「たしかにそうかもしれないけど…自分に合ったメイクの仕方なんて、そのうちに自分でわかるようになるよ」
しかし流風は、メイクを施された潮音の顔を眺めながら、ふと息をつきながら感慨をもらした。
「潮音ちゃんもなんか変ったよね。今年のお正月のときなんかは、女の子の服着るときはオドオドしていてぎこちない感じがしたけれども、今はこうしてかわいい服着ておめかししたって、全然いやそうにしてないじゃない。身ぶりや表情だって、あのときのような不安でおどおどした感じが全然なくなって、堂々としっかりしてるし」
「流風姉ちゃん…もしオレがあのとき蔵の中で鏡に手を触れたりしないで、今でも男のままだったら、そんな風に言われてたかな」
「そんなの誰にもわかるわけないでしょ。そんなことばかりクヨクヨ考えてたって何にもならないじゃない。潮音ちゃんはこの一年の間に、たしかに悩んだことやつらいことだってたくさんあったかもしれないけれども、そこから逃げたりせずに正面から向き合って頑張ってきた。その結果として今の自分があるんじゃないかな。そのことについては、潮音ちゃんはもっと自信を持っていいと思うよ」
流風に優しく諭されて、潮音の顔もいつしか柔和になっていた。そこで綾乃も口を開いた。
「はっきり言って去年の今ごろは、私もあんたのことがどうなるか心配でしょうがなかったよ。でもあんたがこの一年で、ここまで成長するとは思わなかったね」
しかし潮音は、その綾乃の言葉を素直に置け止めず、伏し目がちに言った。
「姉ちゃん…オレは今でこそこんなかっこしてるからといって、女として生きることを決めたとか、そんなのじゃないんだ。オレはただ、男とか女とか関係なしに、自分のできること、しなきゃいけないことをやってきただけだよ」
潮音のこの言葉には、綾乃は黙ったままだった。潮音はさらに言葉を継いだ。
「姉ちゃんはあのとき言ってたよね。『ありのままの自分』であるってこと、そして『自分らしく生きる』ってことこそが、本当は一番つらくて厳しい道なんだって。正直に言って、今のオレにも、『ありのままの自分』ってどんな自分なのか、今のオレは自分らしく生きているかなんてことはわからない。でもこの一年間、オレはほんとの自分から逃げたくない、そのためにはつらい道を歩むことになっても構わないと思ってここまでやってきたんだ」
そこで綾乃はため息混じりに言った。
「あんたってほんとに意地っ張りなんだから。でもそれがあんたのいいとこだけど」
「オレが今着てるこの服だって、ほんとに女の恰好するのがいやだったら絶対着てないよ。姉ちゃんだって、それを無理強いしたりはしないってことだってわかってる。むしろ今のオレは、こういう服着てるとかえって強くなれるような気がするんだ」
そこで綾乃は、ふと息をつきながら言った。
「あんたがそうやってがんばろうとするのはいいけど、あまり無理しすぎない方がいいよ。…ちょっとじっとしてな」
そこで綾乃は潮音をその場に立たせたまま、そばにあった箱から何かを取り出した。それは青い色をしたイヤリングだった。潮音が戸惑う間もなく、綾乃は潮音の耳にそのイヤリングをつけた。
「これが私からの誕生日のプレゼント。バイト学生の小遣いで買ったものだから、そんなに高いものじゃないけどさ」
綾乃は照れくさそうにしていたが、潮音はむしろ初めてのイヤリングのつけ心地に戸惑っていた。流風もその、青く澄んだ海のような色合いのイヤリングに目を奪われているようだった。
「ありがとう…姉ちゃん」
潮音ははにかみ気味にお礼を言った。
ちょうどそのとき、部屋の中にインターホンが鳴った。則子が玄関に出ると、そこには暁子と優菜が二人で並んで、笑顔で手を振っていた。
則子が暁子と優菜を潮音たちのいる居間に通すと、二人とも潮音の装いに目を丸くしていた。
「潮音…すごくかわいいじゃん」
暁子は今の潮音の姿に対して、どこか戸惑いと気恥ずかしさを覚えているようだった。そのような暁子の様子を見て、優菜は軽く優菜の肩を叩きながら言った。
「アッコもそんな辛気臭い顔しとらんで、もっと楽しそうにすればええのに。せっかく潮音かておしゃれしたんやから。でもそのイヤリングどないしたん? なかなかきれいやけど」
暁子と優菜も、綾乃がプレゼントしたイヤリングのことは気になるようだった。
それから程なくして、紫と玲花、漣も潮音の家に姿を現した。この二人がおしゃれで華やかにコーデされた服をきちんと着こなしているのを見て、潮音はやはり今の自分はうわべだけ紫や玲花を真似たところで、その服を自然に違和感なく着こなすことはまだできないと感じていた。
しかしそれよりも、潮音は漣のことが一番気がかりだった。漣は女の子たちに囲まれて気後れしているように見えたので、潮音は漣にそっと声をかけてやった。
「漣、よく来てくれたね。そんなに遠慮しなくていいよ。せっかくの誕生パーティーなんだから、もっと楽しくやらなきゃ」
その潮音の言葉を聞いて、漣は多少なりとも緊張を解きほぐしたように見えた。そこで綾乃が、みんなを集めて元気よく声をあげた。
「今日はこの子の誕生パーティーに来てくれてほんとにありがとう。みんなで盛り上がって、楽しいパーティーにしなきゃね」
その綾乃の言葉で、場の雰囲気も一気に盛り上がったようだった。
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