第二章・嵐の予兆(その7)
紫は潮音や暁子と一緒に電車で帰宅する途中も、とりとめもない世間話をしていた。しかし紫は潮音の秘密を知ってしまった以上、言葉の一つ一つに気を使っている様子がありありと感じられた。
潮音は電車を降りると、紫を坂の上にある自宅へと案内した。潮音が紫を家に上げるときはやはり緊張せずにはいられなかった。傍らにいた暁子も、やはり気づまりな表情を浮かべていた。
潮音の家ではちょうど、綾乃が大学から戻ってきたところだった。
「あら。さっそく友達を家に連れてくるなんて。ずいぶんかわいらしい子ね」
綾乃が目を丸くすると、紫も気恥ずかしそうな表情を浮かべた。紫が居間のソファーに腰を下ろすと、さっそく綾乃がお茶とお菓子を出した。そこで紫は、簡単な自己紹介の後でいきなり綾乃に話を切り出した。
「私が小学生のときから通っていた森末バレエ教室に、藤坂潮音という男の子が通っていたけど、あのときの藤坂君がまさか女子としてうちの学校に入学してくるとは思いませんでした」
その紫の話に綾乃もしばし戸惑っていたが、やがて気を取り直すと紫に言った。
「あの子から何か話を聞いたのかしら」
「藤坂さんは昨日の夜、私に全てを話してくれたのです。藤坂さんはだからといって自分を変に特別扱いしたりせず、自然に接してほしいと言ってたけど…」
「だったらそうすりゃいいんじゃないかしら。みんなと一緒に高校生活を楽しみたいという気持ちに、男も女もないはずよ。もしかしてこの子のことを心配して、わざわざこうして家まで来てくれたわけ?」
紫と綾乃が話すのを、潮音と暁子も固唾を飲んだまま傍らで聞いていた。
「はい、私も藤坂さんの話を聞いたときはちょっと心配だったけど、藤坂さんにこんな頼りになりそうなお姉さんがいてちょっと安心しました」
「何が『頼りになりそう』だよ…。姉ちゃんとはいつもケンカばかりしてるのに」
「実は私も、双子の妹がいるんです。名前は
紫も話しているうちに、いつの間にか緊張が解けて自然に話せるようになったようだった。紫の話を綾乃が興味深そうに聞いていると、紫はスマホを取り出して暁子たちに示してみせた。スマホの画面に映った、紫の双子の妹の萌葱と浅葱の写真を見て、綾乃と暁子は歓声をあげた。
「かわいいじゃん」
写真に写っている双子の姉妹は、おとなしくておしとやかそうな萌葱と、元気で活発そうな浅葱と、双子ながら対照的な性格に見えた。しかしそこで、暁子が声をあげた。
「あたしも弟いるけど、世話大変だわ。双子の妹の面倒見るなんて、峰山さんはやっぱりすごいよ」
そう話すときの暁子の口調は、どこかため息交じりだった。
「…石川さんの気持ちわかるよ。親から『お姉ちゃんなんだからちゃんとしなさい』と怒られるのは私ばっかりだし。私も藤坂さんみたいなお姉ちゃんが欲しかったな」
紫に言われても、綾乃はクールな姿勢を崩さなかった。
「私はお姉ちゃんとして、そんなにしっかりしてるつもりないけどね。ともかくこの子はこれからも松風の子にいろいろ迷惑かけると思うけど、そのときはよろしくね。変なことしたら、ピシャリと怒っていいからね」
綾乃に言われると、潮音も困惑したような表情を浮かべた。
「せっかくだから潮音も、この子に部屋を案内してあげたら? 峰山さんだっけ、そんなに緊張してないで家でちょっと遊んでいけばいいのに」
綾乃に言われて、潮音も照れくさそうにソファーから腰を上げた。
潮音に自室に通されると、紫はまずあまりしゃれっ気のない部屋だと感じた。紫は男の子の部屋とはこのようなものなのかと思ったが、それを口に出して言うのは遠慮せざるを得なかった。
「この子の部屋は散らかってるけど、まあ大目に見てよ。あたしも小学生の頃まではしょっちゅう潮音の家に来て、この部屋で一緒に遊んでたんだから」
いつの間にか暁子の方が、潮音よりも口が軽くなっていた。潮音が紫に対してどう接していいか戸惑っていると、紫はさっそく部屋を見回して、潮音の中学校の卒業アルバムに目を留めた。
「これが藤坂さんの中学の卒業アルバムなんだ。ちょっと見ていい?」
紫は卒業アルバムを潮音から手渡されると、ページをめくりながら、そこに載っている写真を興味深そうに眺めていた。やがて紫は、部活動が載っているページで手を留めた。
「藤坂さんや石川さんは部活どこに入ってたの?」
「あたしはいちおうバレーボール部に入ってたけど、いっぺんもレギュラーになれなかったし、中三になってからは勉強が大変になってほとんど部活には出なかったからね」
暁子は気恥ずかしそうに答えた。そこで潮音も口を開いた。
「私は…水泳部に入ってたんだ」
そこで潮音は、水泳部の集合写真を指差した。その写真の中の潮音は、男子用の水着を着て胸をあらわにしていたが、紫はその写真と今の潮音の姿を交互に見比べて、戸惑いの色を浮かべていた。
それから紫はしばらくして、水泳部の写真の中の精悍な表情で、がっしりとした体格の椎名浩三に目を留めた。それだけ浩三の存在は、水泳部員たちの中でもひときわ目立って見えた。
「峰山さん…椎名のことが気になるんだ」
紫が黙っていると、潮音はさらに言葉を継いだ。
「こいつは小学校の頃から一緒だったんだけど、中三のときに大会で優勝して、スポーツ推薦で南陵に入ったよ。女子からもモテまくりでさ…それに比べりゃオレなんて全然目立たなかったけどね」
潮音はいつしか自分のことを「オレ」というようになっていたが、紫はそれをとがめようとしなかった。それよりも紫は、南陵高校の名前はスポーツの強豪校として知っていただけに、浩三がその南陵高校に入学したことを驚いたようだった。そこで潮音は紫に質問してみた。
「峰山さんって部活どこに入ってるの?」
「私は中学の間、勉強とバレエと生徒会活動で忙しかったからね。私はバレエの方が大変だったから、学校の部活には入ってないんだ。帰宅部ってとこかな」
そこで潮音は、あえて顔に笑みを浮かべながら意地悪っぽく言ってみた。
「峰山さんなら共学の学校行ってたら、どの部活入っても男子からすごくモテてたと思うけど」
「バカなこと言わないでよ」
紫は当惑したような表情を浮かべたが、そこであらためてアルバムの中を向き直して言った。
「藤坂さんの中学の制服ってセーラー服だったんだ。松風の制服って、中等部もブレザーだったから、あたし前からいっぺんセーラー服着てみたかったんだ」
「中学のセーラー服だったら今でも持ってるけど…」
「私に見せてくれない?」
紫が目を輝かせるのを、潮音と暁子は呆気に取られながら見ていた。
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