第36話 Everybody's fool(7)

(1) 


 再びカウンター席に腰を下ろしたシャロンは、隣の席に座ったグレッチェンにラカンターに訪れた理由――、ハルがウォルター・ケインについて知っているか、もしも知っていたならば、彼に関する情報を聞き出したかったのだ、と説明した。


「……もしかして……、あの……」

 シャロンの、未だ青白い顔色を気にしてか、グレッチェンは言葉を詰まらせている。

「何だね??まぁ、君が言いたいことは何となく予想がつくけれど……」

「…………」

「大丈夫だ。君が休ませてくれたお蔭で落ち着きを取り戻すことができたから、遠慮なく続けてくれればいい」


 グレッチェンは少しの間迷う素振りを見せていたが、やがて遠慮がちに言葉を発した。


「……あの、さっきの浮浪者の男性……、の言っていたことを気にして……、でしょうか……」


 シャロンは一瞬だけ苦々し気に渋面を浮かべたが、「……まぁ、そんなところだ……」と答えると、次にハルの方へと向き直る。


「…………実は、グレッチェンをアパートへ送る道中で質の悪い乞食に絡まれてね……。そいつがどうも、ウォルター・ケインがかつて経営していた阿片窟、『銀の鎖』の客だったようで……。そいつが言うには……、私の父のせいで銀の鎖が取り潰しになった、とのことなんだ……。そして……、そのきっかけとなった事件が起きた日……、私は……、父によって強制的に……、銀の鎖に連れて来られていたんだ……」


 女装姿でウォルター・ケインの慰み者として差し出される為に――、とはどうしても言えなかった。否、言える筈などないし、口にすら出したくもない。


 胃の腑から込み上げてくる、もう何度目かになるだろう強い吐き気に耐えながら、シャロンは平静を装って更に続けた。


「……だが、私はその日の記憶が曖昧でよく覚えていないんだ……。ただ……、父がその日を境に完全な廃人と化してしまった。たった一日の内で一体、何が父をそこまで変えてしまったのか……、今更だが真相を知りたくなった。母や叔母は全て知っているだろうが……、恐らく彼女達は私を気遣う余り、絶対に教えてくれないだろう。それに、今の今まで私がその事実を一切知らずに過ごしていたのは、マクレガーの本家が財力を駆使し、父が引き起こしたであろう事件を揉み消したのかもしれない。だから……」

「……ウォルター・ケインの秘密俱楽部に潜入して、奴と接触を持ちたい……ってことか??」

「……そんなところだ……。だから……、これはお前にしか頼めない」


 今度はハルが沈黙する番だった。

 新しく煙草に手を付けることもせず、顎鬚を撫でさする仕草から、彼が相当悩んでいるのは明白。


 大方、ウォルター・ケインの俱楽部にシャロンを潜入させる方法を考えているのか、はたまた、断り文句を考えているのか、そのどちらかに違いない。


 逡巡すること数分――、ようやくハルはゆっくりと口を開いた。


「……ウォルター・ケインは、ドン・サリンジャーが経営する高級娼館の常連だ。ちなみに、その娼館はただの娼館じゃない。……男娼専門の特殊な娼館だ。奴は根っからの男色家なだけでなく、ちょっとばかし極端な性的嗜好の持ち主で……」


 ハルはグレッチェンを気にしてか、一瞬だけ彼女の方にちらりと視線を向ける。

 その視線の意味に気付いたグレッチェンは「かまいません、続けて下さい」と、促した。


「奴は……、変声期前の幼い少年、もしくは三十歳以上の熟年者で女装の似合う男を好むらしい。で、表向きは降霊会と称してはいるが、実際は阿片パーティーを行っている秘密俱楽部に、必ずドン・サリンジャーの店の男娼を呼び寄せている」

 ハルは意味ありげな目つきでシャロンに視線を送る。

「……まさかと思うが……」

「……あぁ、そのまさかだ。奴の屋敷に潜入するには、女装した男娼に化けて出向くのが一番手っ取り早い」

「…………」

「店の商品である男娼に奴や参加者が阿片を薦めたりしないよう、店の方からはいつも腕利きの用心棒を付けているし、女装すれば身元をごまかせる。ドン・サリンジャーには俺の方から頼み込めば、必ず尽力してくれるだろう。だが……」

 ここでハルは、煙草を箱から一本取り出して火を付ける。

「気位が人一倍高いお前に、女装して男娼の振りをするなんて真似が出来るかどうか、だ」

「…………」

「降霊会の参加者として紛れ込む手もあるが……、そうすると身元も割れやすいし、ドン・サリンジャーの協力を仰ぐのは正直難しくなる。何より、いざという時のお前の身の安全の保障は無いに等しい」


 ハルの説明が進むごとにシャロンの表情に陰りが帯び始め、グレッチェンやハルに悟られないよう、シャロンはさりげなく顔を俯かせた――



(2)


「…………あの…………」

 それまで無言を貫いていたグレッチェンが急に口を挟んできた。

「……シャロンさんの代わりに私が男娼の振りをして、その秘密俱楽部に潜入すればいいのではないでしょうか……??」


 シャロンは即座に顔を上げ、グレッチェンの肩を掴んで激しく揺さぶった。


「君は自分が言っている意味を分かっているのかね?!軽率な発言はやめたまえ!!」


 シャロンの剣幕に、「おい、シャロン。何もそこまで怒らなくとも……」と、ハルが横から口を挟む。

 シャロンに怒鳴られながらもグレッチェンは顔色一つ変えず、淡々と言葉を続けた。


「……ですが、シャロンさんが抱いている不安を解消しない限り、またあのような酷い症状がこれからもずっと続くかもしれないじゃないですか??私は、貴方を苦しみから解放したいだけなのです。私には貴方以外に大切なものはありませんので、その為なら何だってします。勿論、お義母様やシェリル小母様、エドナさん達を巻き込むつもりは毛頭ないですから、場合によっては私を薬屋から解雇し、小母様との養子縁組を解消して下さい。そうすれば、私は天涯孤独となりますから、万が一失敗したとしても、私一人の犠牲で済みます……」

「馬鹿野郎!!!!小娘が浅はかな考えで下らねぇ事を抜かしてやがるんじゃねぇ!!!!」


 ハルも聞き捨てならないとばかりにグレッチェンを本気で怒鳴りつける。圧倒されたのか、グレッチェンは一瞬にして押し黙った。


「……おい、シャロン!この愚かな灰かぶり姫の躾をどこでどう間違えたんだ?!」

「……少なくとも私や母は、しっかりと教育してきたつもりなのだが……」

 一向に治まらない吐き気に加え、グレッチェンの発言のせいで強烈な眩暈にまで襲われ始めたシャロンは、額に手を押し当てて低く唸り声を上げた。

「……ったく、毒薬販売なんて裏稼業を始めた理由といい……。グレッチェン、お前の、シャロンが一番大事な気持ちは少々……、いや、かなり行き過ぎだ。大体、お前がこうして生きていられるのは、シャロンのお蔭なんだぞ??シャロンが多くの犠牲を払ってまでしてお前を救ったことを、ゆめゆめ忘れるんじゃねぇ」

「……はい……」


 先程とは打って変わり、穏やかに諭すハルの言葉でグレッチェンは大人しく反省し、頭を項垂れた――、のも、束の間――


「…………ですが…………」

「あ??まだ言うか、お前は……」

「ハル、悪いが、少し黙ってくれないか……。とりあえず、グレッチェンの言い分を聞くだけ聞こうと思う……」

 グレッチェンを黙らせようと睨みを利かせるハルを制し、眩暈を堪えながら、シャロンはグレッチェンに最後まで続けるよう促す。

「…………シャロンさんは、女性の恰好をするのが生理的に受け付けないのでは、と思うのです…………」

「そりゃ、大抵の男なら嫌に決まっている」

「……いえ、その……」


 グレッチェンはシャロンの面目を慮っているため、ハルに上手く説明できずにいる。

 そうかと言って、シャロンもその理由をハルに説明する気には到底なれなかったし、正直なところ、シャロンは迷っていた。


 サリンジャー一家の協力を得られるのは非常に心強くはあるのだが、やはり女装をしなければならないことが、彼にとって気位の高さなど関係なく、辛すぎる記憶を刺激されるのでどうしても抵抗を感じてしまうのだ。


 そんな彼の複雑な心境を察したのか、グレッチェンがそっと彼の掌を握りしめてきた。


「……シャロンさん。もしも貴方が……、無理を押してでも女装をして、ウォルター・ケイン氏の秘密倶楽部へ潜入するのであれば……、私も付いて行こうと思います……。万が一、貴方がさっきみたいな恐慌状態に陥ってしまったとしても、私が貴方に代わって役目を果たすことができると思いますから……」

「……君ねぇ……」


 性懲りもなく、まだそんなことを言って……、と、叱りつけようとしたが、グレッチェンの固い決意に満ちた、淡いグレーの瞳に見据えられると言葉を飲み込まざるを得なくなった。



(……私が、ウォルター・ケインに犯されていたことを知っても……、それでも、こうして狂信めいた思慕の情を私に抱いていられるのか??)



 グレッチェンはあの時、シャロンが乞食から浴びせられた言葉――、『ウォルターの旦那にカマを掘られた』の意味を正しく理解していなかった。

 ただ、とてつもなく酷い暴言だったに違いない――、と、何となく認識しただけであろう。



 ふと、グレッチェンが自分に向けてくる、痛い程の真っ直ぐな想いが本当に揺らぐことはないのか、彼女の自分への愛情の深さが一体どれ程のものか、いっそ試してやりたいーー、とシャロンは漠然と思ったーー。




 我ながら何て歪んだ性格の持ち主なのか、と、心の中で自身の愚かさに嫌悪感を覚えた。

 けれど皮肉なことに、腹をくくる決心がついたのも事実であった。




「……ハル、ウォルター・ケインが次に降霊会を開く日取りを調べて、私に教えて欲しい……」

 四本目の煙草を吸っていたハルは、煙草を一旦口元から離し、天井を仰ぎながら煙を吐き出した。

「……分かった。日取りが分かり次第すぐに教えてやる。それと、奴の屋敷に潜入する日、ランスが店に来る前にグレッチェンと共にラカンターに来い。お前達二人の身元がばれないよう、上手く化けさせてやる。だから……」

 ハルは金色が入り混じったグリーンの瞳で、カウンター越しに座るシャロンとグレッチェンを交互に見つめた。

「後は、お前達の気が済むように自由に動けばいい。後始末はサリンジャーの連中が何とかしてくれる。そうしてくれるよう、俺が仕向けさせる」


 それだけ告げると、ハルはシャツの胸ポケットから懐中時計を開いて時間を確認する。


「とりあえず、今夜のところは……、すでに三時半を回っちまったから、明け方までお前ら二人をここに泊めてやる。俺はいつも通り、店の中の椅子を適当に集めてそこで寝るから、お前らは奥の部屋で寝ればいい。あぁ、そうそう……、シャロン、別にグレッチェンといちゃついていても構わんが、出来るだけ声とか物音は控えてくれよ」

「そんなことしません!」


 シャロンが言い返すよりも早く、耳朶まで真っ赤に染めたグレッチェンが叫び、グレッチェンの年相応の初心な反応にハルは声を立てて笑ってみせたのであった。

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