第3話

 地表から吹き上がる高温のマグマの熱気が上空までも焼き尽くす勢いであった。


 ウィリアムは世界の運命が自分に託されていると、目の前にいる老人に唐突に告げられたばかりであった。


「残された時間もあと僅か、このまま考えていて仕方がないですね」


「そうだ。”時は有限なり”じゃな。この場で手をこまねいていても時間は待ってはくれん。事態は悪化する一方じゃ」


 大魔導師は遠くを見る目でそう言った。


 ウィリアムはトレバーの視線の先を追いかけたが何もなかった。


 あるのは灰色に淀んだ空である。


 これからの未来が見えないそんな不安がそこから感じ取れた。


 大魔導師は上位古代語の呪文を詠唱し始めた。


 体内の魔力の源であるマナが高まるにつれて、老魔導師の双眼に集中した。


 魔法の効力が発揮されると遥か遠方まで見渡せる事ができた。


 遠視の呪文によりトレバーの視界に広がっているのは、禍々しい赤色の球体に包まれた狼の紋章の城である。


 その城の中にある玉座には、若き日の狼の王ユアンに似た青年が座している。


 傍らには肢体に密着した真っ赤な祭衣に身を包んだ炎の神の女司祭である紅い女がいた。


 二人はトレバーの遠視の呪文で覗かれていることに気づいていた。


 不適な笑みを浮かべている。


 青年が何者かは分からないが、新たな器として炎の神の不滅の魂をその身に宿していることだけは確かであった。


 青年がそっと手を差し伸べるとそこから紅蓮の焔が迸った。


 明らかに大魔導師を挑発して楽しんでいる。


 炎の女司祭は美しい妖艶な声で、神聖語を高らかに詠唱し始めた。


 すると、玉座の間は赤銅色の霧に包まれた。


 やがて赤色の霧が散ると、そこには美しい女性である紅い女の姿はなくなっていた。


 炎の翼を持ち全身炎に包まれた山羊の顔した生き物が居た。


 それは人間のように二足歩行している。


 足には蹄があり、歩く度に床に炎の足跡を残していた。


 三本指には三ツ又の矛が握られている。


 炎の翼をはためかせて大空に向かって飛び去った。


 トレバーは紅い女が化け物に転じてたのか、化け物の姿が本来の姿なのかを考える暇もなく遠視の呪文の効力を消した。


 目の前には不安そうな表情を浮かべている若き騎士がいた。


「どうかしたのですか? 暫くの間声をかけても聞こえておられないようでしたが……」


「ウィル……皆を呼べ! 戦いの準備じゃ!」


 大魔導師は険しい表情を浮かべている。


 ウィリアムはただ事ではないことを理解し、直ぐに仲間を集めた。


「まさかこんな状況で戦いなるとは思いもしなかったわ。でも、ここは風の精霊力が強く働いているから精霊界の扉を開けやすい」


 そう言って森の妖精族の娘であり精霊魔法の使い手のユーリアは、高らかに精霊語の詠唱を始めた。


すると空である空間に歪みが生じる。


 しかし、精霊魔法で風の精霊を召喚してもウィリアムたちの目にはその姿は映らないのであった。


 心地好い風を浴びて、古エルフ族の娘の黄金色の長い髪は宙を游いだ。


 ドワーフ族の金細工のように洗練されたその容姿を目にして、ウィリアムは初めてユーリアのことを美しいと感じた。


 いつもは気位が高い傲慢なエルフ族の娘であり、種族が違うこともあって異性として接していなかった。


 ウィリアムは限りある命を生きる種族であるが、古エルフ族のユーリアには永遠の命があるのだ。


 森の神とまで称えられている古エルフ族は神話の時代より存在し”半神”と伝承されている。


 目の前のユーリアはまさに神々しい姿であった。


 彼女の瞳には宙を舞い踊る風の精霊シルフたちが映っているに違いない。


 ユーリアは風に身を任せてより集中力を高めていた。


 「風の乙女たちよ。この離宮に風の結界をお願いね」


 ユーリアは宙に微笑みかけてそう言った。


 すると自然の風の流れが止み、この浮き島全体を包む不思議な感覚がウィリアムにも分かった。


 暫くすると灰色の空に黒い点が目視できた。


 それは次第に大きくなり赤色であることがわかる。


「来おったか……紅い女」


 大魔導師が鼻を鳴らした。


 紅い女と呼ばれたその赤色の者が離宮の近くまで来るのに然したる時間はかからなかった。


 炎の翼をはためかせて宙で静止するように同じ場所に留まっていた。


 山羊の角からも赤色の炎が揺れている。


 紅い女の顔は山羊そのものであり、不気味な目でこちらを見ていた。


 何か悲鳴のような鳴き声をあげているがそれが何なのかさえ分からない。


「言葉まで失ったか……」


 トレバーは皮肉を込めて紅い女に言った。


「どういうことですか?」


「神聖魔法にも白魔法というものと黒魔法というものがある。あれは黒魔法じゃ!」


 大魔導師は吐き捨てるように言った。


 白魔法は神の奇跡である癒しの呪文や蘇生の呪文などがある。


 黒魔法は邪神や悪魔と契約を交わして得られる邪悪な力である。


 魔法使いたちの中にも黒魔法を使う者がいたが、異端者とみなされ罰せられた。


 魔法学院や魔法私塾などでは禁忌としていた。


 黒魔法は呪いや厄を扱うだけで悪魔と契約すれば、その魂は魔界とも冥界とも呼ばれる悪魔の世界へ堕ちてその魂は悪魔になるか悪魔に喰われるのだ。


 目の前の紅い女は悪魔になることを選んだのであろう。


 炎の蝙蝠の翼に人間のような体格だが全身は山羊である。


 炎の衣を纏った魔物は三本指に握られている三ツ又の矛を翳した。


 大気が振動しているのか三ツ又の矛の周りでうねりが生じるやがてそれは炎を伴う渦を巻いた。


「いかん!! 炎が来るぞ!!」


 剣指南役の老騎士バイロンは鋼の盾を構えて叫んだ。


 老魔術師二人は奇妙に歪んだ樫の杖を振るいながら呪文の詠唱をした。


 魔法学院のイーサン老師は魔法の盾の呪文により紅い女の渦巻く炎の攻撃を防いだ。


 大魔導師トレバーは悪魔の姿をした紅い女に向けて無数の雹の礫を浴びせる。


 炎の衣を纏った魔物は次々と拳程の大きさの氷の塊を解かした。


 宙には大量の水分と水蒸気が拡散した。


「エルフの娘! 今じゃ!」


 トレバーが叫ぶと古エルフの族の娘は精霊魔法の詠唱を終え呪文を行使した。


 大気に拡散した水蒸気や水を媒体にして水の精霊界から水の乙女を召喚した。


 風の乙女と違い水の乙女はウィリアムたちの眼にもその水の動きは見えた。


 水の乙女たちは獲物を捕獲する網のように魔物を包み込む水の幕となり、紅い女を拘束したのだった。

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