第四章 生と死の狭間
第1話
北部は度々、激しい揺れに襲われていた。
雪と氷に覆われたこの地は、大地の底から地獄が現れようとしているかの如く、熱く焼かれていた。
地中の永久凍土は溶けだし、その水分が地表の姿を変貌させていた。
大地に根を張っていた樹々の根は、無惨な姿を地表に露にしていた。
溶けた永久凍土の中では、しっかりと根を張り幹を支える事ができず、泥沼と化した土壌で幹の重さに耐えりれず横転したように倒木していた。
最大寒波を捩じ伏せるように、大地の奥底から燃えていた。
積雪は姿を消し、深い森の地表には堆積した落ち葉の絨毯が姿を表している。
しかし、水面に布を広げて浮かべているように、大地が波打ち歩くことが困難であった。
老騎士バイロンと北の賢者トレバーは、この現状に暗い表情を浮かべていた。
先日、西の海岸には大陸からエルフの船が三隻停泊していた。
古エルフたちは北部だけではなく、この大陸からも去ろうとしているのだ。
エルフの女王イザベラは風を司る精霊シルフに命じて、大魔導師へと言葉を届けさせていた。
「わたしたちはこの大地を去ります。神がこの世界に再び甦った以上、何処へ逃げても滅びは避けられません。」
「そうじゃな。神の力を前にしては我らは虫けら同然じゃ」
「ならば、親しい者たちと最期の時間まで共に過ごしたい。そのため、わたしたちは故郷の大地へ帰ります」
「故郷の大地……唯一、妖精界と物質界が交わる場所だな」
「そこで、この物質界の滅亡と共にわたしたちの永遠の命に終止符が打たれることを待ち続けます」
北の賢者トレバーは目に見えない精霊の風の乙女をとおして、古エルフ族の女王に別れの言葉を送った。
大魔導師の嘗ての住まいであった黒大理石の廃廃墟砦は、地中に沈み続けていた。
トレバーはこれを事前に予期していたため、大切な魔法道具や価値の計り知れない魔法の書物は、この建物の外へと運び出していた。
この天空には幾つかの浮き島が存在しており、その一つをトレバーが所有していた。
小さな浮き島であるが、そこには小さな宮殿があり、宮殿内の書庫へと魔法の書物などを運び入れたのだ。
天空にあるこの浮き島には、高位の魔法使いしか訪れることができない。
瞬間移動の高度な魔法を使える者に限られているのだ。
例え、竜の紋章の王国騎士である竜騎士が騎馬である成竜と共に大空を飛び続けたとしても、これらの浮き島は厚い雲に覆い隠され探し出すのは容易ではない。
トレバーは右手に握る樫の杖を天にかざし、左手は老騎士バイロンの肩に手を置いた。
トレバーは上位古代語の詠唱を終えると、二人の姿は一瞬にして消え去った。
黒大理石の廃墟砦はその建物の半分ほどが地中に呑み込まれ、そのまま沈み続けていった。
見渡す限り辺り一面、樹氷の樹々が広がっていた。
最強寒波はここ南部に位置する暗い森にまで、その猛威を奮っていた。
黒エルフ族の娘は凍てつく風を忌々しく思いながら、目の前の軍勢から目を離せずにいた。
数日前から暗い森に進軍しようとしている軍勢と、小規模の小競り合いが度々行われている。
しかし、敵陣営の隊列を見る限りでは、今回は総力戦になりそうであった。
「アデーレ様、あちらの兵力は我らの数倍。正攻法では勝つ見込みはありません。幸いにしてダマスカス鋼で鍛えたエルフの剣でのみあの忌まわしい物を葬ることができます」
アデーレと呼ばれた黒エルフの娘の側にやって来た軍師らしき黒エルフは言った。
「あの溶岩とマグマの塊はいったいなんなんだ! 炎の精霊力を内に宿しているのは分かるが、あれは精霊ではない。どちらかというと、魔法使いが使う魔法の操り人形の生命なき存在であるパペットやゴーレムに近いのだが」
「我らの扱う精霊魔法は利かないので、消耗戦になります。はっきり言ってこの戦いは我らの滅びを意味します」
「分かった。もう言うな。我らはこの暗い森を護ることが使命である。たとえこの暗い森が焼き尽くされ黒エルフ族が滅びようとも、誇りだけは失うわけにはいかないのだ」
アデーレはこの暗い森の姿を目に焼き付けるように、背後に広がる樹氷の樹々を見詰めていた。
ダマスカス鋼の鎧に身を固めた黒エルフ族は、暗い森の黒エルフ族の娘の覚悟を受け止めた。
先の小競り合いで犠牲が出たため、今や黒エルフ族は王を含めても三十人しかいないのだ。
皆、優秀な戦士であるが剣よりも弓矢が得意であり、敏捷性に長けてはいるが持久戦は不向きな種族である。
敵は溶岩石の肌と体液は灼熱のマグマである。
狼の王ユアンが率いているのは炎の兵だけではなく、人間の騎士団もいるのだ。
エルフ族は、人間相手ならひけを取らないが、今回は完全に分が悪かった。
最近、大地震が頻発していた。
大地を司る精霊で上位精霊であるベヒモスが騒いでいるのも、もしかしたら目の前の敵が関係しているかもしれないと思った。
「アデーレ様、敵からの使者が到着したようです」
「使者を遣わすとは、和平でも結びたいとでも言うのか」
アデーレは蔑むように言った。
狼の王の使者を名乗る騎士は馬に騎乗したまま、一人で敵陣までやって来た。
「我が王は全土統一し、この大陸に統一国家を建国する。それを阻むことは死を意味する。降服すれば新しい国家の民として受け入れるが、この申し出に拒めば滅亡を意味する。これ以上の議論の余地はない」
黒い鎧に身を包んだ狼の紋章の騎士は、表情を変えることなく淡々と伝えた。
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