第53章:首都に迫る

[1] 指揮系統の崩壊

 4月21日午前9時30分、第1白ロシア正面軍の砲兵部隊によるベルリンに対する集中砲撃が開始された。カザコフは麾下の砲兵部隊を152ミリ、203ミリ榴弾砲とともに前進させた。政治将校たちに督励された砲手らは立て続けに発射した。第1白ロシア正面軍は5月2日までに、180万発の砲弾をベルリンに撃ち込むことになる。

 ベルリン南西部ヘルマンプラッツでは、カールシュタット百貨店の外に並んでいた行列に砲撃が直撃した。バラバラになった市民の死体が何体も広場を越えて吹き飛ばされた。給水ポンプの行列にも多くの死者が出た。道路を横切るにも、頼りにならない遮蔽物から次の遮蔽物に全力疾走しなければならなかった。市民の大多数は地下室に籠らざるを得なくなった。

 第1白ロシア正面軍では同日、第1親衛戦車軍と第8親衛軍がリューダースドルフ真南のエクスナーを占領した。ジューコフはこの2個軍を統合部隊として運用することを決め、国道1号線から南に転じてシュプレー河とダウメ河を渡り、南からベルリンに突入させようと考えていた。この措置によって同じ方向からベルリンを攻略しようとする第1ウクライナ正面軍の出鼻を挫くことになることを期待したのである。

 第1ウクライナ正面軍はベルリン南方20キロの地点にあるツォッセンに迫った。同地の陸軍総司令部を防衛する小さな警備隊に敵戦車を阻止する手立ては何も残っていなかった。第3親衛戦車軍は陸軍総司令部の占領に成功した。午後遅くに歩兵が「マイバッハ1」や「マイバッハ2」と呼ばれる秘密施設群を占拠した。突然、ある電話が鳴った。兵士の1人が電話を取る。相手はドイツ軍高級将校だった。将校が状況を問い合わせてきたようだった。

「イワンがここにいるぞ」兵士はロシア語で怒鳴った。「地獄へでも失せやがれ」

 陸軍総司令部はポツダム近傍のアイヘ空軍基地に移転したが、第4親衛戦車軍が時を同じくしてポツダムに通じる接近路に到達していた。これによってドイツ軍はいかなる有効な指揮が執れなくなってしまった。

 ヒトラーはソ連軍のベルリン砲撃を自分個人に対する意趣返しと受け止めた。第56装甲軍団は北方からベルリンを包囲しようとしていたソ連軍(第1白ロシア正面軍)に押されて後退を続けていた。この後退をサボタージュとみなしたヒトラーは第56装甲軍団長ヴァイトリンク大将の逮捕処刑命令を出した。また、戦況図でベルリン北方の部隊配置を確認した後で次のような命令を下した。

「第3SS装甲軍団長シュタイナー中将の下に『シュタイナー軍支隊』を編成させ、そこに第4SS警察師団や第5猟兵師団、第25装甲擲弾兵師団を編入して、北方からベルリンへの救出作戦を行わせよ。西方への退却は、全部隊にこれを厳禁する。この指示に無条件に従わぬ将校は逮捕の上、即座に銃殺すべし」

 総統地下壕からの電話でヒトラーの攻撃命令を受領したシュタイナーは唖然とした。シュタイナーの手許にある兵力は第4SS警察師団に所属する2個警察大隊のみで、反撃に使える重火器などは全く装備していなかった。第5猟兵師団と第25装甲擲弾兵師団はすでに前線で消耗しながら戦闘中であり、第3海兵師団が交代に到着するまでは前線から移動できなかった。シュタイナーは自分の考えをまとめた上で、クレープスに電話をかけて実情を指摘した。しかし、クレープスもヒトラーに劣らぬほど頑迷だった。結局、第1白ロシア正面軍の北翼に対する攻撃を開始すべしという正式命令をシュタイナーは受領した。しばらく経ってからハインリキは総統官邸に電話を入れ、この命令に抗議した。すでに決定済みだ。総統は話す暇も無いほど多忙なので、私から話すわけにはいかない。クレープスはそう答えるのみだった。

 また、ヒトラーは同日の夜にベルリン防衛地区司令官からライマン中将を解任した。ライマンはポツダム守備隊司令官に降格され、その守備隊に「シュプレー軍集団」という名称が与えられた。ソ連軍が首都の郊外に進入しつつあるこの時、ベルリン防衛地区司令官は空席のままだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る