[3] ベルリン攻略作戦

 ドイツ国家の崩壊を目標とする最後の総攻撃は4月16日、第1白ロシア正面軍と第1ウクライナ正面軍によって開始される。4月20日に第2白ロシア正面軍が北翼からこの攻勢に加わる予定だった。これら3個正面軍がベルリンを防衛するドイツ軍を分断し、各個撃破する。作戦開始日から12ないし15日でベルリンを攻略してエルベ河まで進撃し、連合国軍と合流することになっていた。

 第1白ロシア正面軍は7個軍とポーランド軍1個、2個戦車軍から構成されていた。まず4個軍(第3打撃軍・第4打撃軍・第8親衛軍・第47軍)がキュストリン橋頭堡から攻撃を開始する。これらの部隊はゼーロウ高地の強力な敵陣地を突破し、2個戦車軍(第1親衛・第2親衛)の出撃を確実にすることになっていた。この両戦車軍はゼーロウ高地から第9軍を縦断して直接ベルリンに進撃することになっており、それは作戦開始から6日目に達成することが期待されていた。第1白ロシア正面軍の出撃は暗闇の中で始められる。そこでジューコフは143基の探照灯によって地形を照射し、同時に敵を混乱させることを考えていた。この他、キュストリンの周辺から2つの副次的な攻勢も計画されていた。

 第1白ロシア正面軍の南翼に第1ウクライナ正面軍が布陣していた。5個軍とポーランド軍1個、2個戦車軍から構成されている。3個軍(第3親衛軍・第5親衛軍・第13軍)がコトブスに向かってナイセ河を渡り、第4装甲軍と第9軍の南翼に対して攻撃をしかける。先鋒は作戦開始から2日目までに、2個戦車軍(第3親衛・第4親衛)の出撃を援護することが定められていた。この両戦車軍はベルリンの南郊に向かって啓開する。第1ウクライナ正面軍もまた、副次的な攻勢を計画していた。第52軍とポーランド第2軍が南翼を援護するためにドレスデンを目指し、今後のチェコスロヴァキアへの進撃に備えるものとされた。

 理論上、第1ウクライナ正面軍は作戦開始から12日目にエルベ河とドレスデンに到達することになっていた。もしジューコフの進撃が停滞したならば、コーネフは麾下の部隊を北方に転じてベルリンを目指すつもりだった。

 第1白ロシア正面軍の北翼に布陣した第2白ロシア正面軍は5個軍から構成されていた。戦車部隊の支援を受けた3個軍(第49軍・第65軍・第70軍)がシュテッティンの周辺から陣地を突破し、第3装甲軍のベルリン救援を阻止する。そしてエルベ河畔で英軍と連結する。

 ベルリン攻略に参加するソ連軍の総計は兵員250万人(ポーランド軍を含む)、火砲・迫撃砲4万1600門、戦車・自走砲6250両、航空機7500機に達した。オーデル河に沿った前線に攻撃部隊を集結させる作業は、兵站担当者にとって大きな挑戦になった。3個正面軍麾下のうち計29個軍が配置替えしなければならず、このうち15個軍はオーデル河から385キロも離れた地点に展開していた。しかもこれらの軍は最後の総攻撃に十分な燃料や弾薬を集積し、部隊を再建している最中だった。

 攻撃に先立ち、大規模な特殊支援作業が実施された。偵察機が6回に渡ってベルリンの市街地に通じる接近路や防衛線の俯瞰写真を撮影した。この写真と押収したドイツ側の文書、捕虜の尋問などを基に、作戦の詳細なダイアグラムと敵の防御態勢が明記された地図が全ての指揮官と幕僚に配布された。

 指揮官たちは決戦に向けた準備に乗り出した。第8親衛軍はスターリングラード攻防戦を生き抜いた司令部として、市街戦に関する特殊な知識を蓄積していた。第8親衛軍の幕僚が作製したパンフレットをジューコフは第1白ロシア正面軍全体に配布した。今まではたとえドイツ軍の手中にある領土内でも、時にパルチザンから詳細な情報を提供されてきたが、今度はそうした可能性は全くなかった。しかしソ連軍は全戦線に渡って周到な準備を整えていった。

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