[3] 「冬至」作戦

 ソ連軍の主攻撃軸はポーランドを横断していたが、その両翼におけるドイツ軍の抵抗は頑強を極めた。ベルリン東方のオーデル河畔では第五SS山岳軍団(クリューガー大将)が到着し、ベルリン攻撃軸の上空で作戦中のソ連空軍機はドイツ空軍によって大きな損害を被った。ベルリンへの進撃に必要不可欠な第1白ロシア正面軍はシュタールガルトで北翼から増大するヴァイクセル軍集団の反撃に対処しなければならなくなった。

 東プロイセン西端に通じる回廊の確保を決意したグデーリアンは2月第1週の作戦会議において、野心的な反攻作戦が必要であると述べた。ベルリン南方のオーデルから出撃すると同時に、ポンメルンからも出撃してソ連軍を挟撃する。十分な兵力を集結させるため、クールラントやその他の戦域で孤立している師団を海路で撤収させ、ハンガリーにおける反撃は延期する考えを示した。だが、ヒトラーはまたしてもグデーリアンの提案をはねつけた。

 この時期にグデーリアンが何よりも心配していたのは、東プロイセンとポンメルンの連絡路を保持しようとする第2軍が孤立の危機に瀕していることだった。そこで代案として「バルト・バルコニー」から南翼への単独出撃を主張した。第1白ロシア正面軍の北翼に対して反撃することで、ソ連軍のベルリン進撃も抑えられるはずである。

 2月13日、反攻作戦を検討する最後の会議が総統官邸で開かれた。ヒトラー、ヴァイクセル軍集団司令官ヒムラー大将、第6SS装甲軍司令官ディートリヒ上級大将が会議に集まった。グデーリアンは陸軍参謀次長ヴェンク中将を伴って出席した。グデーリアンは反攻作戦を2日以内に開始したいと言明した。ヒムラーは燃料・弾薬の集積が完了していないことを理由に異議を唱えた。ヒトラーはヒムラーに同調し、グデーリアンとの間で再び論争になった。グデーリアンはヴェンクが反攻作戦の指導に当たるべきだと主張した。ヒトラーはこう答える。

「SS帝国指導者(ヒムラー)は攻撃を独力で実施できる人物だ」

「SS帝国指導者は必要な経験も、単独で攻撃を実施するのに有能な幕僚も持ち合わせておられない」グデーリアンは言った。「ですからヴェンク将軍の口添えが絶対必要です」

「そんな言い方は許さん。SS帝国指導者に責務遂行の能力がないとは、何たる言い草だ」

 論争は長々と続いた。激しい口論の末、意外にもヒトラーはヴェンクに対して「特別の委任」を持ってヴァイクセル軍集団に行くように命じたことでグデーリアンの提案を認める形になった。

 2月16日、ヴァイクセル軍集団はシュタールガルトで第1白ロシア正面軍の北翼に対する反撃―「冬至ゾンネンヴェンデ」作戦を開始する。この作戦には4個SS装甲擲弾兵師団(第11SS「ノルドラント」・第23SS「ネーデルラント」・第27SS「ランゲマルク」・第28SS「ヴァローニエン」)と装甲師団「ホルシュタイン」が投じられ、オーデル河の真東から第47軍(ペルホロヴィチ中将)と第61軍(ベロフ中将)の陣地を叩いた。しかし、燃料と弾薬が3日分しか用意されていなかった。

 2月18日、雪解けで地面が泥濘と化した。攻撃部隊は最大でも5キロほどで前進が止まってしまい、第2親衛戦車軍の反撃で手痛い損害を被った。現地で作戦を指導していたヴェンクは自分の司令部に戻る途中で重傷を負った。後任の陸軍参謀次長にはクレープス大将が就任した。

「冬至」作戦はドイツ軍の指揮官自身が「敵は我々が反撃したことに気づいてくれただろうか」と危惧したほど尻すぼみに終わってしまった。しかし、この反撃は期せずして第1白ロシア正面軍の戦略を大きく転換させることになる。

 ジューコフが事態の危険性を認識したのである。伸びきった側面を強化すべく兵力の再配置を行うのと同時に、第1白ロシア正面軍に所属する各軍の作戦目標をオーデル河の東岸に残る敵部隊の掃討に変更した。ベルリン進撃を主張していた第8親衛軍司令官チュイコフ大将はジューコフの決定に反感を覚えたが、両者の対立は2年前のスターリングラード攻防戦から続いていたのである。

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