中華

 意識を取り戻した途端見慣れた天井が目に飛び込んできたので「ああ僕は自室で仰向けに寝ていたのだな」と雅人は合点した。

 習慣に従って雅人は上体を捻って枕元の置き時計を見ようとした。が、動かない。体が重いというレベルではない。「動け」と命じても一切反応しないのだ。己の体の筋肉を随意に動かせなくなってしまったらしい。

 廊下を移動する足音が聞こえる。聴覚に異常はないらしい。嗅覚と触覚もどうやら問題ないようだ。だが体が動かない。体だけが正常に作動しない。

 突然、部屋の扉が開く音が聞こえた。続いて何者かが入室する足音。その人物は雅人の右脇で足を止め、雅人を見下ろしているらしい。家族かあるいは友人か。誰にせよ我が身に起こっている事態を説明し助けを求めなければ。だが体を動かせないのに喋れないのにどうすればいいのか。

 思案を巡らせていると不意に視界に顔が現れた。キムタクの顔だ。

「昨日のビストロスマップ観てくれた?」

 雅人はどう答えていいか分からない。

「美味そうだったでしょ、中華丼。こんな風にとろみがついてて」

 キムタクの口から半透明の泡立った粘性の液体が一条、雅人の顔面を目指して低速で降下し始めた。「唾液だ」と思うと同時に先端が雅人の鼻の下に着地し、鼻溝を滑って唇の合わせ目に溜まった。唾液特有の臭いが鼻孔に侵入する。唇を拭いたい。助けてと叫びたい。だが雅人は体を動かせない。

 キムタクはおもむろに上半身裸になると、雅人の唇の合わせ目に溜まっている唾液を塗り広げ始めた。雅人の顔面は瞬く間に唾液まみれになった。雅人は思う。唾液ってなんでこんなに臭いのだろう。

「クサナギも呼ぼうかな。ついでにゴローも」

 なおも唾液を塗りたくりながらキムタクが呟いた。雅人は考えるのを止めた。

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