第3話 青田風

 やがて田んぼに春が訪れた。苗が植えられ、季節と足並みを揃えるように、眩い太陽を浴びてすくすく生長した。梅雨を越えて真夏を迎える頃、田んぼには背の伸びた稲が生い茂り、青田風に揺られていた。


 4人は6年生になった。生徒の少ない学校にクラス替えはなく、今年も一緒の6年1組。来年は揃って地元の中学校に進学する。最上級生でも受験勉強に煩わされることなく、これまでと変わりない学校生活を送っていた。


「あの案山子って、いまどうしてる?」

 夏休みを間近に控えた教室で、靖は登校するなり幹太の席に来た。


「案山子?」

 唐突な質問に、幹太は団扇代わりにあおいでいた下敷きを止め、首を傾げた。案山子の話は5年生の教室に置いたまま。6年生になってから口にするのも初めてだった。

「ああ、あれか。あの案山子がどうかした?」

 ようやく思い当たり、下敷きで机の端をこつんと打った。


 そばで聞いている吉男も相槌を打つまでやや間があった。


「俺もずっと忘れてたんだけど、昨日夢に出てきたんだよ、突然」


「夢・・・どんな?」


「あの案山子がさぁ、唸ってたんだよ。田んぼの中でうーんうーんって。それでどうしてるかなって」


「唸ってた・・・。毎日横通ってるけど、全然気にしてなかったなぁ」

 幹太はぼんやりと宙を見詰め、下敷きの団扇を再開した。


「それがどうかしたか?」

 Tシャツの胸元を摘まんでパタパタ風をおくりながら吉男が言った。さほど興味を示してはいない様子。


「もしかしてだけど」

 靖はやや口ごもって言葉を継いだ。

「また俺らに会いに来てほしいのかなって」

 

「なにロマンチックなこと言ってんだよ」

 吉男が鼻から息を漏らし、靖は照れくさそうに俯いた。


 清太郎が登校してきた。一番家が遠い清太郎は登校が遅くなりがちだが、遅刻したことはない。遅刻しそうな時は走って来るが、今は呼吸に乱れはない。

 吉男は頬を緩めたまま清太郎にあらましを伝えた。

「会いに来てほしいのかもって、お洒落なこと言っちゃってんだよ」

 吉男がそう言って肩を組むと、靖は頬を赤くした。


 清太郎は神妙な顔で、何か思案するように吉男の話を聞いていた。

「もしかして・・・」

 はっと気づいたように窓に駆け寄り、遠くを見詰めた。



 放課後、4人は駆け足で学校を飛び出した。夏の午後、まだ日は高く昇っている。みな半袖に短パン姿だが、額からは汗がひっきりなしに流れている。行先はもちろん案山子。息を切らして到着した。


「やっぱりだ」


 冬の田んぼで北風にさらされていた案山子が、今は生い茂った稲に埋もれるように立っていた。真夏だというのに、毛糸の帽子にマフラー、手袋にカーディガンを羽織って。


「こんな格好じゃ、熱中症になるって」


 大慌てで帽子をとり、手袋をとり、マフラーを外し、カーディガンを脱がせた。脱帽して露になった顔は汗をかいたように滲んでいた。


「ごめんな」

 脱がせた衣服も心なし湿っていた。


「本当ごめん。悪気はなかったんだ。許してくれ」


 手ぬぐいと甚平姿に戻った案山子に手を合わせて謝った。


 4人もびっしょり汗をかいて、その場にぐったりと座り込んだ。日光を浴びるのが仕事の田んぼに日陰はなく、日にさらされた砂利がズボンを通して熱を伝えた。


「なんか俺、自惚れてたっていうか、いいことした気になってた」

 清太郎は足元のマフラーに目をやって、息を吐いた。


「な。いい気になってたな」

 吉男は拾った小石を手のひらで上で持て余していた。


 見上げた案山子も、うなだれているように見えた。軽装になったのはいいが、夏の太陽が頭上から降り注ぎ、体は熱を帯びたままだった。


「これどうする?持って帰る?」

 カーディガンを手に、ようやく幹太が立ち上がった。


「でもさ、持って帰ったら、また同じことの繰り返しだろ。寒くなったらまた着せてあげないと」

 清太郎もマフラーを取って腰を上げた


「だよな。冬になったらまた着せてやろうぜ」

 吉男は小石を道に戻した。


「じゃあ俺ん家の物置にでもしまっとくよ」

 幹太は一式を受け取って両手に抱えた。


 そこへ風が吹き抜けた。青く伸びた一面の稲が、風のゆくえを知らせるように、息を合わせて流れていた。清太郎は目を瞑って体をあずけた。汗もため息も流してしまうようなさわやかな風だった。風が止むと案山子が息を吹き返した気がした。


つづく

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