案山子

すでおに

第1話 くしゃみ

「本当だって。この耳で聞いたんだって」

 窓から差す日の光に、朝の喧騒が乱反射している。新しい一日が始まろうとしている教室で、ランドセルを背負ったままの幹太かんたが熱っぽく訴えていた。


「嘘つけ。そんなことあるわけねえって」

 机の上で胡坐をかいた吉男よしおが嘲笑った。


「そうだ。嘘じゃねぇっつんならただの空耳だ」

 椅子に座るやすしは、机上の吉男に相槌を打った。


「嘘でも空耳でもない。本当の本当だから」

 自分の話に偽りはないと誓うように、幹太は二人の目を交互に覗き込んだ。靖は気圧されたように吉男に視線を移す。


「そんな話、誰が信じるっつうんだよ、なぁ」

 吉男は靖と顔を見合わせた。


 そこへ清太郎せいたろうが登校してきた。清太郎の席は靖の二つ後ろ。教室に入ると紺のマフラーを解きながら席へ向かった。


「ちょうどいいところに来た。まぁた幹太が朝っぱらから大ぼら吹いてんだよ」

 机からひょいと飛び降りた吉男は、悪巧みを持ちかけるように清太郎の肩を抱き込んだ。


「『また』って俺がいつ嘘ついたんだよ」

 幹太はランドセルの肩紐を握る手に力を込めた。


「しょっちゅうついてんだろ。前も河童見たって言ってたし」


「見たとは言ってないだろ。見たことない変な足跡見つけたから河童じゃないかって言っただけだ」


「どっちにしてもお前の話は信用出来ねぇってこと。なぁ?」

 同意を求められても、まだ事情を知らない清太郎は返事をしない。靖だけが頷いた。


「それも嘘じゃないし、これも嘘じゃないって。本当に聞いたつってんだろ」

 幹太はようやくおろしたランドセルを荒っぽく置いた。留め金が机にぶつかる音が鳴る。


 登校した生徒たちは、暖房の効いた教室に入るとみな上着を脱ぎ、ランドセルを開いて始業に備えたり、おしゃべりしたり。一角で繰り広げられる見慣れた男子たちのいざこざには目もくれない。


「何を聞いたんだ?」

 誰とはなしに問うた清太郎に、張本人の幹太が口を開いた。

「さっきな、学校に向かって走ってたんだ。ちょっと寝坊して、班の奴らが先に出発しちゃったから走って追いかけたんだ。そしたら『はくしょん!』って」


「はくしょん?」

 話を飲み込めず清太郎は眉をひそめた。


案山子かかしがくしゃみしたんだ」

 幹太の返答に、清太郎の表情がいちどきに緩んだ。


「な。笑うだろ。本気で言ってるんだぜ」

 吉男はニヤケ顔で清太郎の胸をとんと叩いた。


 しかし幹太は真剣な表情のまま清太郎に向かった。

「俺も最初はわけがわからなかったんだ、突然のことで。でも絶対くしゃみだった。そんで誰だろう?って周りを見ても誰もいなくて。そばに案山子が突っ立ってるだけ。まさか案山子の仕業なんて思わないから、聞き間違えか空耳だって、通りすぎようとしたらもう一度『はくしょん』って。たしかに案山子から聞こえたんだ」


 河童の話は本人が言った通り、変わった足跡を見つけて奇怪な推理をしただけ。幹太が他愛もない嘘をつく性格ではないと承知している清太郎は緩めた顔を引き締めなおした。清太郎なら信じてくれるとの幹太の期待が通じたようだ。


「つうか12月なんだから、案山子なんてとっくに片付けてるだろ」

 清太郎の表情の変化を見て、吉男は新たな嘘の証拠を捻り出した。


「それが、他のは全部片付けてあるのにその一つだけ出しっぱなしなんだよ」

 間髪を入れない幹太の反論は、たしかな目撃談であることを窺わせる。


「なんで一つだけ出しっぱなしなんだ。そんなことあるのかよ」

 吉男に口を合わせる靖。


「そんなの俺に訊かれても知らないけど。でも本当に一つだけ突っ立ってるんだって。嘘だと思うんなら帰りに見に来いよ」


 幹太ひとり家の方角が違った。3人は田んぼを通らない。


「案山子が立ってるからってくしゃみした証拠になるわけじゃねぇけど、そこまで言うんなら行くだけ行ってみるか」

 吉男は誘うように靖を見た。


「案山子がいたからってくしゃみした証拠になるわけじゃないけどな」

 靖は吉男の台詞を繰り返して誘いに乗った。


 そこで始業の鐘が鳴った。おしゃべりに興じていた生徒たちも散らばり各々の席に着く。


「そんなら学校終わったらな。清太郎も行くだろ?」

 幹太は訊きながら手早くランドセルの中身を机の中に移した。


「こんなに噂してたら今頃本当にくしゃみしてるかもな」と清太郎は笑った。


つづく

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