物音がするから

 今日こそ居なくなってやる。


 深夜0時。俺は、カッターナイフをブルゾンのポケットに忍ばせ、部屋から出ようとしていた。その時、機械音が部屋に響いた。携帯電話の着信を知らせる音だった。


 立花と喧嘩したせいで、なんとなくすぐに電話に出るのを躊躇った。着信相手は、和馬だった。和馬からの電話は、出ないわけにはいかない。


「……もしもし。」

「もしもし、滉一?」


 きっと和馬は、立花からさっきの件を聞いて、電話をかけてきたのだろう。


「ああ。どうした?」


 俺はできるだけ冷静な声を出すように努めた。


「いや。立花がかなり怒って俺に電話をかけてきたからさ。」


 やっぱり。思った通りだ。


「……立花、なんて言ってた?」

「あんなやつとは絶交だって言ってた。」

「そっか。」


 絶交されたってどうでもいいと思った。どうせ絶交しなくても絶好するようになるんだし。


「なに?なんかあったのか?」


 和馬は優しい口調で俺に問いかけた。和馬はいつもこうだ。どうしたらそんな風に優しくできるんだろうと思うほどに、じっくり最後まで人の話を聞いてくれる。


「なにもない。立花が無神経なことを言ってくるから苛々しただけ。」

「無神経なこと?」

「俺を励ますために飲み会開いてやろうと思っているって上から目線だったり、その上俺に幹事やってくれって言ったり。本当に励まそうとしているのか疑問だし。」


 思い出すだけでも腹が立つ。大学の時にどれだけ俺があいつを助けてやったのか、それを恩に感じもしないで大きな顔をしてんだから。


「まあ、立花は昔からそんなやつじゃんか?」


 ちょっと前までの俺なら、和馬のその言葉で「ああそうだな」って納得していただろう。無神経な立花でも、受け入れてやることができたはずだ。


 だが今日は、それができない。


「なんだ、それ。なんで俺の方が立花を受け入れてやらなきゃいけないわけ?むしろ、立花が俺に気を遣うべきだろ。」


 今まで和馬に対してしたことがない口調で、俺は捲し立てた。


「なに?それとも、和馬は立花の味方?」

「は?」


 すると、和馬の声色も変わった。


「なにくだらないこと言ってんだよ。」

「くだらなくないだろ。なんで立花の方が悪いのに、いちいち、いちいち、受け入れてやんなきゃならないんだよ。あんな友達ならいらねえよ。」


 なにもかも、全部いらない。持っていたって煩わしい。死んだら持っていけるわけじゃない。この世に置いて行かなくちゃいけない。だったらもう、全部いらない。


「……お前、そんなんじゃ友達なくすぞ。」


 和馬から止めを刺すような言葉を言われた。


 そうか。和馬も立花と同じように、俺のことを下に見ていたのか。いや、もしかしたら和馬は大学の時からずっと、俺のことを見下していたのかもしれない。だから優しくしてくれていたのかもしれない。


「いいよ、別にどうでも。だったらもう、和馬だって俺から離れればいいだろ。」


 俺はそう言うと、一方的に電話を切った。これはもう、あれだ。俺にいよいよ死ぬチャンスを与えてもらえたんだ。






 静華に階段を駆け下り、リビングに向かう。廊下もリビングも消灯され、戸締りもされている。家族のみんな、寝静まっている。真っ暗な中携帯の灯りでキッチンに入って冷蔵庫を開けると、父さんがいつも晩酌で飲む缶ビールが3本ほど買い置きされていた。


 俺はそれを手に取り、3本ともプルトップを開ける。そして、1本目の缶ビールを手に取り、一気に喉に流し込む。


 最初からこうすればよかった。いざ、手首を切ろうとする時に躊躇してしまうのは、素面だからだ。酔ってしまえばきっと、臆することなくあの世への扉を開けるだろう。


 2本目の缶ビールに手をかけたとき、パッと部屋が明るくなった。いきなり明るくなったせいで目が慣れず、少しくらむ。


「あ……。滉一だったの。」


 電気をつけたのは、母さんだった。


「物音がするから、誰かと思っちゃった。晩酌?それだけじゃ味気ないでしょ。おつまみでも作ろうか?」


 ……チッ。邪魔が入った。心の中で毒づき、2本目の缶ビールを一気に飲みほした。


「ちょっと!そんなに一気飲みしたら、危ないでしょう。」

「うるせ。」


 一言つぶやくと、3本目の缶ビールには手を伸ばさずに、俺はリビングから出ようとした。


「あら。おつまみはもういいの?寝るの?」


 つまみだなんて、暢気な。しつこく話しかけてくんじゃねぇよ。


 俺は母さんの質問には答えずに、玄関に向かった。靴箱から白のハイカットスニーカーを出す。その物音を聞きつけた母さんが廊下の電気をつけて玄関にやってきた。


「なに?今からどこかに出かけるの?こんな時間に?コンビニ?」


 煩わしいことに、母さんは俺のブルゾンの右袖をグイグイと引っ張ってきた。なんでこんな時に出くわしてしまったんだろう。


「どこだっていいだろ!」


 家中に響くくらいの大きい声を出して、母さんを右腕から振り払った。その瞬間だった。暗い廊下に金属音が鳴り響いた。


「なに、これ……。」


 それを拾ったのは母さんだった。


「なにって……。カッターナイフだろ。俺のだから返せよ。」

「そういうことじゃない!なんでこれを持ったままどこかに行こうとしてたの?あんたまさかこれで人を……。なにこれ?」


 しまった。自殺したことが分かるように、カッターナイフの柄に遺書を油性マジックで書いておいたのだ。


母さんはそれを食い入るような目で読んだ。そして、カチカチと音をたててカッターナイフの刃先を出した。


「ちょっと!刃先を出すなよ!危ないだろ!」


いつもと様子の違う母さんに、俺は打って変わって焦り始めた。母さんの目つきが、今まで見たことのない形相で、嫌な汗が全身から噴き出る。


「そうよ。これは、危ないものなの。滉一はこれで何をしようとしていたの?」


 なにをしようとしていたかと聞かれて、俺はグッと喉に力が入った。もうバレているのに、お腹を痛めて俺を産んでくれた親に、自殺をしようとしていたなんて自分の口から言えるはずがなかった。


「なにをしようとしていたのか、聞いているでしょ!」


 母さんは声を荒げた。いや、荒げるというよりも発狂したと言った方が正しいかもしれない。


「……っ。」


 大の大人であるはずの自分だが、そんな母さんの様子にビビって何も答えることができない。


「あんたは何も分かってない!自分のことばっかりで!そんなに死にたいなら、母さんの後に死になさい!」


 母さんはそう言って自分の左手首にカッターナイフの刃先を当てると、勢いよく右手を引いた。


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