二周目
巻き戻し
第237話
目を覚ました俺が次に視界に入れたのは、一面が真っ白な空であった。どこまでも続く純粋な色、どこまでが天井かわからないような遠近感の狂う空間。
「やってくれたね、調律神」
「ワシが簡単にくたばるとお思いで? 我が主よ」
「一応の注意はしていたが、まさか本当に復活するとは……君は一体どうなっているんだ全く」
誰かと誰かが話しているのがわかる。一方は先ほどのエンドラの姿をした神を名乗るヤツなのはすぐに理解した。
そしてもう一方は……この声色は、まさかグチワロス?!
いいや、そうじゃない。俺は知っている、こいつは地球を管理するただの神ではないということを。
「あっ! ヴァンさん、目を覚まされたのですね!」
そしてもう一人。女性の麗しく澄んだ声が耳を撫でる。
「う……こ、ここ……は? ドルガ、しゃま、なのでふ、よね?」
まだ頭痛がしており、舌も回らないために少し喋りにくい。
「ええ、ええ。お久しぶりですね」
床から少しだけ離れた
「おお、覚醒しおったか」
「ええと、あなたがてぁしきゃ……ごほん、調律神様、でしたよね」
「うむ、記憶の保存はきちんと出来ていたようじゃな」
いつか見た姿そのままのローブ姿の老人は、杖を片手に佇む。その隣には白と黒を基調とした神がもう二体、調律神を挟むようにして殺気立ったまま突っ立っている。この二柱はなかなかヤバそうな気配を感じるな……
「全く、とんだ食わせ者だよ本当に。まさか記憶の改竄ではなくトリガーを設置しての封印とは。さらには自身の分身をあの世界の中に送り込んでいたなんて、流石の僕も気が付かないよねえ」
そして、この場の最後の同席者。グチワロスこと、創造神ネヴ=カ=ドゥ=ネズアルだ。相変わらずのマイペースな雰囲気を隠そうともせずにおり、それでいて全く隙のない不思議な輩である。前の時はそこまで気にはならなかったが、今の俺にはわかる。存在自体が濃密な力の凝縮体であるのだ。
すべての神たちの親であるのも肯ける。全く、こんな恐ろしいヤツが地球を管理していただなんて前世の知り合いが知ったらその気配を浴びるだけで震え上がりちびりそうだ。
「お褒めに預かり光栄ですな!」
「いや、褒めてないんだけど……」
老神は嬉々としてそう述べ、正しく満面の笑みを浮かべる。それを見た主神はヤレヤレと苦々しげに口元を歪める。その様子を見ていると、どちらが親なのかわからなくなってしまうくらいの、人間に当て嵌めてもごく自然なやりとりだ。それだけに、今この場にいるのが気分次第で何百何千万もの命を一瞬にして『魂ごと殺す』ことができる存在なのだというのを忘れそうになる。
もちろん忘れるわけはないが、それくらい人間と神というのは似たよったところがあると感じるのだ。絶望的かつ絶対的な隔たりが存在するその両者の一体どこに違いがあるのかと、人から神になれるという話も嘘ではないのだろうなとそんな感想を抱くのだ。
「それで、調律神様はどうして彼をここに?」
脇に立つ白い方が訊ねる。返答次第では今すぐにでも殺し合いを始めますよといった雰囲気だ。
「簡単な話じゃ。どうもワシは失敗してしまったらしいのじゃ」
「失敗?」
反対に立つ、黒い方。全身をフード付きの漆黒のロープで覆い、姿形が全く想像できない暗黒が実体化したような、闇を具現化したようなどこまでも深く飲み込まれそうになる人型の生き物。その神が続いて口を開く。
確かに失敗、とはなにを指しているのだろうか? その一言だけでは内容が見えてこない。それは神たちとて同じことのようだ。調律神が独自に立てていた計画が何らかの要因により破綻したということだろうか?
「うむ、我が主よ、ワシは思うのじゃ」
「ん、なにをだい? 言ってみなよ」
親にあたる主神に話しかける老神。話しかけられた側は重苦しい空気なのを感じているのかただ単に鈍感なだけなのか、極めて軽い口調で返す。
「この世界、ようは神界のことじゃが、一度やり直すべきなのじゃと」
「その話は何度も聞いたじゃないか。あの組織……『カオス』、あれを本当に操っていたのもドルガくんではなく君だというのもね。だからこそ、僕は一度君を
「ふむ、父神様は、『不思議』という言葉の意味をご存知ですかな?」
「それはどういう意味だい?」
ネズアルは突然問いかけに眉を潜める。
「この言葉は本来、地球ーー貴方様のご隠居先ですなーーに存在した宗教家にまつわるものなのです。人知を超えた力、表面では説明しきれない絶対的かつ至高の存在について表していますのじゃ。だが、例え人を神に置き換えても、このありとあらゆる世界で天上の存在であらせられるのは、主神、貴方様でありますぞ? 少しおかしいとは思いませぬか」
「それくらい僕でも知っているよ。これでものんびりとではあるけれど仕事はこなしてきたんだからね。その宗教家にも当然、死後に会っている。で、結局君がなにが言いたいのかわからないよ。それこそただの言葉の綾じゃないか」
「その通りですな。言いがかりに過ぎませぬ。しかしワシが今指摘した矛盾が時には大きな穴となる、そのことに思い至らぬとは……」
「うん? ……まさかっ!!!」
主神はその白いマスコットのような気の抜ける見た目をした体を、超高速移動させ調律神に接近する。
だが、その前に調律神の姿が、何重にも別れてしまった。しかもただ分身したわけではない。2Dゲームでアイテムを同じ場所に何個も置いたように、同地点に現れた分身が重なって存在しているのだ。遠目に見ると、細かく振動しているようにも見えて少し滑稽でもある。
その残像のような分身に向かって、これまた高速で攻撃を繰り出すネズアル。先ほどまで老神を取り囲んでいた白と黒の二柱も、協力して攻撃を加える。
「きゃっ!」
「ドルガ様!」
余波がこちらまで来るが、俺は吹き飛ばされそうになる女神の前に障壁を張って防御態勢を構築する。
「「「「「「「さて、これでどうじゃ! 言霊の力を甘く見るではないぞ、父神ネヴ=カ=ドゥ=ネズアルよ!!!!」」」」」」
「や、やめっ、うわぁっ?!」
エコーがかかったマイクのように気持ちの悪いくらい声が重なった調律神の声が響き、途端、ネズアルの身体を紫色の鎖がぐるぐる巻きにしてしまう。
「ネズアル様っ!」
「我が主人! 不埒者、成敗!」
倒れてしまった主人を見た白と黒、二柱の神が攻撃を加え続けるが、調律神に通用しているようには見えない。生まれたばかりの赤ん坊が拳でエアーズロックを叩き割ろうとするくらい無意味な光景だ。
「「「「「「「今こそ、時を戻そう! このワシ、調律神マキナが命ずる! 時よ戻れ!!!」」」」」」」
そしてそのまま、老神が何かを宣言する。すると、その瞬間、世界の空気が止まった。
――――いや、止まったのではない、吸い込まれていくのだ!
突然現れた黒い塊。その塊がどんどんと大きくなり、白かった世界を漆黒に浸食していく。
「な、なにっ!?」
「ドルガ様、しっかりつかまっていてください!」
激しい振動とともに、あらゆる物質が巻き込まれていく。そして当然、俺たちも。
「馬鹿な真似を、するな……!」
「もはやこれまでです、我が主。世界は巻き戻される。その企みとともに」
「覚えておけ、マキナ! 必ず、必ずこの呪縛を解いてやるからな! その時にはきっとーーうわああっ!」
「主人様!!」
「お待ちくださいネズアル様ーー!!」
主神とともに、二柱の神、さらには調律神自身までもが漆黒に呑み込まれる。俺の意識はその場面を最後に、ここに連れてこられた時と同じようプッツリと途絶えてしまった。
★
「(んん、ここは?)」
…………私は確か、学校で……
あ、そう! 授業中でしたよね? どうしたのでしょう、目の前では先生が板書をなされているではありませんか。なぜこんな簡単なことに気がつかなかったのでしょう? 今日の私は変です、いきなりぼっとしたと思ったら、途端に時が飛んだように感じられて……
ですが、教室の左上、黒板の斜め上に掛けられている時計の針の位置は、確か私が惚ける前と
「(まあ、いいでしょう。授業をさぼってはいけませんからねっ)」
そしてその後は滞りなく授業を聴き終え、時にはノートに書き終え。いよいよ放課後になります。
「ふう」
「あっ、いいんちょ、バイバイ!」
「はいっ、お疲れ様ですっ」
私は帰りの挨拶をしてきたクラスメイトに手を振り答えます。すると、キャーだとか、イヤんだとか、謎の高い声を上げられてしまいます。嫌われている……わけではないと思いますが、何故なのでしょうか? この学校に入ってしばらく経ちますが、こればかりはどうも未だに理由がわかりません。しかも毎回なのですから、まさか何か
「(では帰りましょう)」
私も、教室を出て行く他のクラスメイト同様、扉を潜り抜け廊下に出、階段を降りて昇降口に向かいます。これから部活に向かわれるのでしょう、ユニフォーム姿の生徒の姿もちらほらと見かけられますね。私はまだ部活には所属していませんので、少し羨ましくもありますが。ですが、実はこんな私でも畏れ多くも生徒会に入らないかと声をかけられているのですよ?
カバンをスノコに置き、構内用のスリッパからローファーに履き替えます。カバンからぶら下げられた『スタジオゾブル』の映画に出てくるキャラクター、『コトコト様』がいつも通りにだらっとした表情で虚空を見つめていますね。
「ん? あれは……」
と、私は思わず声を出してしまいます。何故ならば、とある生徒を遠目に見かけたからです。
「もうっ! なんで待ってくれないのよ!! ハジメちゃんのばかばかばかっ!!」
それと時を同じくして、私の隣の下駄箱に生徒が急いだ様子で寄ってきます。
「あ、委員長! バイバイ!」
「はい、さようなら凛さん」
その忙しないクラスメイトは、マスクをしていても丸わかりの朗らかな笑顔を見せつつ、慌てて履き替えそのまま校門に向かって行きました。
「…………ですよね」
そしてそのまま、私が先ほど見つけた件の生徒――実は男子なのです――のもとに駆け寄ります。あのお二人は幼馴染というものらしく、今の私にはとても羨ましく思えます……何が、とは言いませんし言えませんけどね?
そして私も、我ながらどうしてなのでしょう、なんとなく少し早足で校門へ。
すると。
「凛!!」
「ハジメちゃん!!」
トラックが、突然歩道に乗り上げてきたのです!
しかも、その進行方向には、凛さんと
グチャリ。
トマトを思いっきり投げつけたような、不快な音が耳に入ります。音だけでは有りません、赤色の飛沫があちらこちらに。
「きゃあーーっ!!」
それを見た私は、自然と悲鳴を上げてしまいます。今までの人生で一度も見たことのない凄惨な光景。それを至近距離で目撃してしまったせいで、体が動かなくなってしまいます。
さらに、意識も完全に眼下に向いてしまい、思考は停止してしまいます。この後、どうなるか少しでも考える余裕がこの時の私にあれば、未来も変わっていたのかもしれません。
ですが、どうしようもない状況というのはあるもので。普通の女子高生である私の体がバラバラに押し潰されてしまったのは、それから一秒にも満たない間の出来事でした。
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