第70話
デンネルから瞑想を教えてもらい、2時間ほど経った。
なんとなくではあるが身体の巡りというものがわかってきた気がする。どう説明すればいいだろうか、血の流れや気の流れ、己の中にある悪いものと良いものの判別が少しずつついてきた感じだ。
これは極めれば、普通に生活していればわからないようなところも含めて自らの身体について熟知することができるであろう。
「……そろそろどうであるか、瞑想は一日二、三時間で切り上げるが良い。無駄に長くしても無意味なのだ」
「そうなのか、ありがとう。俺もまだまだ知らないことがいっぱいあるからな、助かるよ」
「構わぬ、我らはもう仲間ではないか。遠慮せずとも聞きたいことは聞けば良いし、それはまた我も皆も同じことである」
「うん、わかった。じゃあ聞くけど」
俺はあぐらを解き、立ち上がり背伸びをしながら問う。
「なんであるか?」
「デンネルって、ミュリーのこと好きなの?」
「!!??」
すると、筋肉野郎は目を見開くと途端に微動だにしなくなった。
「……なんのことであるか」
「いや、やっぱりそうなのかなって」
「我はそのようなことにうつつを抜かしたりはせぬ。必要なものは、この体と人々の安寧だけである」
立ち上がると腕を組み、俺に背を向けてそう言ってのける。
「んん?」
前に回ってその顔を見てみると、いつも表情を殆ど崩さないデンネルが珍しく頬を赤らめていた。慌てて俺から顔を背けるが、時すでに遅しである。
「ほら、やっぱりそうなんじゃないか。いつから好きなんだ? 以前の旅の時からなのか?」
「知らん」
「ミュリーはこのこと知ってるのかな、何かアプローチはしてるのか?」
「知らん」
「じゃあ彼女が将来どこかに嫁いでしまってもいいの?」
「知ら……それは元から諦めている。何せ彼女は色々と複雑な立場に置かれている故に」
デンネルの言う通り、ミュリーは現在パーティのなかでは一番ややこしい立場にあると言える。
そもそも『バリエン王国の神殿筆頭巫女』という肩書であるミュリー=バリエンだが、彼女は『バリエン王国の姫君』である身を教会に一時的に移しているだけ。所謂姫巫女というやつだな。
ベルの旅、魔王退治へ同行したのも、その実力ももちろんあるが政治的バランスを考慮しての人選が大きいのだ。
将来的には筆頭巫女の座は他のものに譲り、王籍復帰になると聞いている。教会とのパイプと、バリエン王国の王族として、そして勇者パーティの一員としてと。魔王討伐に成功したこれからはいろいろな肩書が付けられた人生を送るのであろう。
また、彼女の所属している神聖教会は初代勇者パーティのメンバーであった聖女が作った宗教であり、またミュリーは母親、つまりは現バリエン王国王妃が別の初代勇者パーティの血筋を引く者だ。
なのでそういう点ではミュリーもまた俺たち『プリナンバー』の一員と言えよう。いや、ある意味ではプリナンバーという"数字"と"勇者"という単語に囚われているといってもいいかも知れない。
一方のデンネルは勇者パーティの中で唯一、本人の社会的地位も名誉もほぼ無いところからその力のみを持って勇者パーティへと入れた人間だ。
ただ、師匠にあたる人物が初代勇者パーティの血筋であるという。その人は一時落ちぶれていた初代から続く格闘の一流派を盛り上げた者として、『再興の師』などと呼ばれそれなりに名を知られた人物だ。
デンネルはその道場に所属しており、師匠からの推薦という形でテストをした結果、陛下が自ら判断を下され入隊することとなったのだ。
だが幾ら本人の力自慢があろうとも、貴族や宗教の世界では肩書というものが何よりも重要視される。例えドラゴンを百匹倒した人間だとしても(もしかすると中にはその実力を買って許してくれる変わり者もいるかも知れないが)血筋の前には無残にも散ってしまうのが現状だ。
繋がりというものを大事にする人間社会だからこそであり、組織でもなんでも"混ざり物"が入るのを嫌う人間社会らしくもある。
「それはそうだが。でもデンネルは自分が幾ら彼女のことを好きだったとしても、付き合うことはできないと諦めるっていうのか?」
「そうである。ただでさえ煩わしいところにさらに要らぬ問題を持ち込むのは我輩の望むところではない。……もうバレたからには言ってしまうであるが、彼女のことを好きだからこそ、少しでも幸せに安寧に暮らせる道を選んで欲しいのだ」
その人が好きだからこそ、身を引くという選択肢を取るというのか。残念ながら、俺にはその感覚がわからない。だが、きっとそれも武人の目指す美しさの一つなのではあろう。
「でも、それでいいのか? 例えば、デンネルだって今代の勇者パーティの一員じゃないか。さらに、お師匠さんだって人脈は持っているんだろう。己の道を己で切り拓くというのも確かに正しい思想なのかもしれないが、他人を頼って一縷の望みに掛けてみるというのも人の生き方の一つだと思うぞ」
デンネルだって、望めば何かをその手に掴める立場にある。その選択肢を最初から放棄するというのは、むしろ自分の気持ちを蔑ろにしているんじゃなかろうか?
「ヴァンは優しいのであるな」
「え?」
胸の前で組んでいた腕を解き、こちらを向き直る。
「嫌味で言っているわけでもなく、からかっているわけでもない。本当に我輩のことを思っての言葉なのだということが伝わってきた」
「そうかな、ただ単に思ったことを言っただけなんだけど」
「いいや、それでいいのである。先日のパーティであっても、おべっかや腹の探り合い、ここぞとばかりの汚い商談など。利用できるものはなんでも利用しようと周りを顧ることもできない大人はたくさんいる。我らが守りたかった世界はこんなものだったのかと、失望することもある。しかし一方で、寄る村や街では懸命に生きている人々がいて、笑顔を見せたり、悲しみの顔を見せたり。共に助け合いながら一秒一秒を大切に生きている者もいる。ヴァンには、その後者であり続けて欲しい」
「なんだよ急に、おかしな奴だなあ」
出会ってまだそれほど時間が経っているわけではないにしろ、急にこんなことを言われるとちょっと様子を心配しても仕方がないだろう。
「いや、話しているうちに思ってな。我輩の将来はどうなっているのであろう、他の皆の将来は明るいのであろうかと。せめてヴァンには、是非ともベルを幸せにしてやってほしい。お主の前では気丈に振る舞うことが多いが、アレでも旅では目を背けたくなるような沢山の物事を目の当たりにしてきたのだ。その苦労を報うことのできるのは、ヴァンが人生を賭けてしかあるまい。旅の途中でも、彼女はお主から貰ったものだと大事そうに布を身につけていたからな」
布といえば、確かにベルは数週間前の旅から帰ってきた頃に再び出会った時、昔渡したお守りがわりの人形がほつれてしまったので、一枚の布にして所持し続けたと言っていたな。
「ベルにも色々と旅を続けるための気力の保ち方はあったろうが、やはり一番は家族とそしてヴァン、お主の為にという気持ちであったと思うぞ。そのことを頭に置いておいてくれるか」
「そうか……ああ、もちろんだ。今度は、俺がベルを守ってやる番だからな」
「うむ、その返事が聞けて充分である」
「というか、俺とベルの話をしつつさっきの話をうやむやにしようとしてないか?」
「む、な、なんのことであるか?」
「デンネルだって、今まで頑張ってきたんだ。ミュリーの気持ちもわからないのに、そんな簡単に諦めるのも勿体無い気もするけどな」
「彼女の気持ちであるか……」
「そうそう。二年間も同じ釜の飯を云々ってやつだ。全く無感情ってこともないと思うけどな。まあミュリーが恋愛自体に興味がなくて神のみに心を向けているっていうんならもうどうしようもないけどな」
「どど、どっちであるか? 惑わすでない!」
「あれ、そんなことないって言っておきながらやっぱり気になってるんじゃないか」
「いやいや」
「いやいやじゃないよ、さっき認めたじゃん。ミュリーに聞けばいいじゃないか、直接でなくても、それとなく会話をしながらとかさ」
「そんな高度なこと……恥ずかしながら、我輩は恋愛というものに疎く……」
「わかったわかった、それじゃあ盗賊団を倒したらそれとなく会話できるように話の流れをもっていってやるからさ」
「本当であるか!? コホン、いや我輩は別にそのような浮かれた気持ちなどと」
ブツブツと言い訳を続けるデンネルを横目に、やれやれとため息を吐く。
すると――――
……ガサッ!
「!!」
「!!」
遠くにある茂みが揺れるのが見え、俺たちはすぐさま武器を抜き構えた。
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