第47話

 

「……あ……」


 看護師長は、他の職員とは違い、突然起き上がるようなことは無くゆっくりと目を開けた。


「おはようございます、看護師長。お気分は?」


 俺は目覚めた彼女に向かって尋ねる。


「……そうかい、夢だったのかい。ああ、ヴァン、久し振りだねえ」


 看護師長は見覚えのある優しい笑顔で俺に話しかけてきた。


「ええ、テザーさん」


 俺は彼女に手を伸ばし、ゆっくりと身体を起き上がらせた。


 この方は看護師長のテザーさん。指導官就任当初から、俺のことを何かと気にかけてくれていた人だ。俺が怪我をしてこの部屋に来たときには、いつもつまらない愚痴を聞いてくれていた。


「いたた……歳をとると腰がね」


「いつも国軍の世話をして下さりありがとうございます。ですが、余り無理をなさらないようにだけは」


「ああ、わかっているさ。で、エンデリシェ様は何をしているんだい? そんなに顔を綻ばせて」


 テザーさんは俺に抱きつく殿下のことを見、ニヤニヤと笑った。


「ふぇっ!?」


 俺は驚くような声を耳に挟み、後ろを向く。するとそこには何故か幸せそうな笑みを浮かべたエンデリシェ殿下がいた。


「あの……殿下、そのお顔は?」


「え? な、何か変でしょうか?」


「その、何といいますか、余りお仕置きになっていない気がしてくる顔です」


「…………」


 殿下はベッドの横に立てかけてあった鏡を見る。このベッドは重患用で、他のベッドとは違い布団が柔らかかったり鏡などの備え付けがある。恐らくお年を召したテザーさんへの、殿下なりの気配りなのだろう。


「……ヴァン様」


「はい?」


「ミナカッタコトニシテクダサイマセンカ?」


「へ?」


 どういうことだ?


「デスノデ、ミナカッタコトニシテクダサイマセンカ?」


 殿下はカタコトでそう仰られた。


「あの……? お仕置きなので、その訳にはいかないと思うのですが」


 殿下が何をおっしゃりたいのかがイマイチわからない。


「……ヴァン様の鈍感……やはり大丈夫です!」


 鈍感? 俺が? ……まあいいか。


「ふふっ、エンデリシェ様も大変だねえ。ヴァン、女の心は繊細なんだよ? いい歳なんだから、そろそろそういう気配りも出来るようになりな」


「はあ」


 テザーさんも続けてそう言ってきたが、何の話か理解が出来ない。殿下の笑みと女の心に何の関係があるのだ?


「ま、殿下に抱きつかせて楽しんでいるヴァンも大概だけどね」


「そ、それは!」


「いつだったか、幼馴染の子の話をしてくれたね。あちこちうつつを抜かすんじゃあないよ。男なら、一度決めた女の尻を追っかけな!」


「は、はい。す、すみません」


 確かに、お仕置きと言いつつ俺の下心があったことは否めない。そう、俺にはベルがいるのだ。またベルにも抱きついてもらおう。嫌、俺が抱きついてもいいかも……


「えっ!」


 そんなテザーさんの話を聞いていると、突然少し暗い声を零した。


「ん?」


 俺は後ろを向く。


「殿下、何かありましたか?」


「い、いえ! 何でもありません! お気になさらずに……」


「? そうですか」


「……はあ、ヴァンも罪作りな男だね」


 はい?


「そ、そんな、ヴァン様は何も!」


「そうかい? ま、エンデリシェ様にもチャンスはあるかもしれないね!」


「チャ、チャンス……」


 一体何のチャンスなのかはわからないが、女同士通じるものがあるのだろうか。


「こほん、お話はこれ位でよろしいでしょうか? それでテザーさんはどのような夢を?」


 話を割るのは忍びないが、俺は他の職員にもしているように、テザーさんにも何の夢を見たのかを尋ねた。


「ああ、すまないね。エンデリシェ様、またいつでも相談に乗るからね」


「あ、ありがとうございます」


「構わないよ。女の価値は一つだけで決まるもんじゃあないからね。それで、夢の話だったね。それはみんなに聞いて回っているのかい?」


「ええ、一応は。記憶の齟齬がないかなどを確認しないといけませんので」


「なるほどね。わかったよ、話そうじゃないか……簡単に言うとね、旦那の夢さ」


「旦那……って」


「ああ、そうさ。今更私の夢に出てくる男だとは思わなかったよ。死んで何年も経つのにねえ」


「「……」」


 旦那というのは、勿論テザーさんの夫のことである。魔王軍との戦争の中で、帰らぬ人となってしまった方だ。旦那と言っても高齢ではあるが、その腕前を買われ指揮官として出向いていたときに、敵の奇襲にあってしまったらしい。これは俺がこの部屋に通うようになって、あるときポツリと聞かされた話だ。自らも命を預かる身、忘れられない話だった。


 そんな旦那が夢に出てきたというのだ。テザーさんの胸中は複雑なのではなかろうか。


「ああ、先に言っておくが、悲しいとか嬉しいとかそんな夢じゃなかったよ。ただ単に、死に際に言いそびれた言葉とやらを聞かされただけさ」


「言葉を?」


 テザーさんに向かって殿下が恐る恐る尋ねる。


「そうさ。余り詳しく言うのも何だけど、長生きしろよとかそんな感じだったね。私としては充分生きたつもりなんだけど、あの人にとってはまだまだらしいの。死んだ人間に言われたくないと言い返したけどね……


 でも、夢の中でも会えてすっきりしたよ。私も言いたいことを言えたからね。でもさっき言ったように、それで嬉しいとかはなかったよ。ただ単に心のつっかえが取れたような気分になっただけさ。さ、これ位で良いかい?」


 テザーさんは本当に何でもないようにそう言った。強がりなのかそうじゃないのかはわからないが、これ以上突っ込むのも野暮というものだろう。俺は殿下の方を向く。殿下も余り詳しくは聞かないでおこうといった感じで、俺に話を進めるよう促してきた。


「わかりました、ありがとうございますテザーさん。あとは、ここの現状復帰をしなければいけないのですが」


「ああ、任せておきな」


「お願いします。殿下、グアードがもう直ぐやってくるとのことなので、お部屋へと戻りましょう」


「……はい。テザーさん、今回は本当にすみませんでした」


 殿下はテザーさんに向かって頭を下げた。


「いやいや、勝手に薬を渡したこっちも悪いさ。エンデリシェ様が謝るようなことじゃないよ。それよりも、これからも色々な発明、期待しているからね。エンデリシェ様のおかげで進歩したものも沢山あるんだ。余りそう落ち込まないでおくれ。ヴァンも、それでいいね?」


「テザーさんがそう仰るのなら……」


 殿下もただ実験大好きっ娘と言うわけじゃ無いのか。何故国王陛下から放任されているのか疑問だったが、実績を残していたんだな。


「あ、ありがとうございます。ヴァン様も……」


「今回はテザーさんに感謝致しましょう。普通なら陛下のお仕置きコースですよ?」


「ひっ!」


 ……そ、そんなに怖いのか?


「ヴァン?」


 テザーさんが怖い顔で俺のことを睨んできた。


「スミマセン」


「ほら、早くお行き」


「は、はい。失礼します!」

「ええ、では」


 俺と殿下が揃って頭を下げ、部屋を出ようと歩こうとした、その時――――





「ちょっと待ったーー!!」





 部屋に叫び声が響き渡った。

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