第178話 脱皮

 クリムゾン陣営にサテラを加えた6人は、セイランと別れたのち特に何ごともなく隠れ家へと戻ると、さっそくシュリの脱皮を試そうと風呂場の浴室に集合していた。大統領の隠れ家はボロボロの外観とは裏腹に、内装は新築同様に改修工事されているのだが、例に漏れず風呂場にも改修の手が入っていた。また家屋の大きさに似つかわしくない、大きな湯舟と広い浴室を備えていた。隠れ家には居住用設備が一式揃ってはいるが、基本的には人が住むことは想定しておらず、あくまでも大統領が公務の合間に羽休めするためのリラクゼーション施設であるため、風呂場やお茶の間と言ったリラックスするためのスペースが特に充実しているのだ。

 さて、なぜわざわざ風呂場で脱皮を敢行しようとしているのかと言うと、それには3つ理由がある。まず第一に、甲殻類は脱皮を行う際に、古い皮を脱ぎやすくするために潤滑剤の役割を果たす粘液を分泌するので、そう言った分泌物や脱皮で生じる老廃物が部屋を汚すのを危惧したからである。そして第二の理由は、第一の理由と被るところではあるが、脱皮の際にシュリの体に付着した粘液を洗い流すのに風呂場が最適だからである。最後に第三の理由であるが、どうせ体を洗うのであればついでなのでこのまま入浴も済ませてしまおうと言う話になったからである。

 シュリの脱皮にはクリム以下ドラゴン達3人が付き添うことになったので、残ったサテラとスフィーの2人は一緒に湯舟の掃除を始めていた。

 ところで、ある程度成長したドラゴンは日々の生活で蓄積する汚れや、代謝によって生じる垢等の老廃物を、すべて分解して魔力に変換した上で吸収してしまうので、その身体は常に清潔に保たれている。それゆえに、汚れを落とすために特別何かをする必要はないのだが、にもかかわらず彼女達が入浴しようと考えたのは、人間を理解するためには彼らの生活習慣を実際に体験してみるのが一番だと、クリムが提案したためであった。


 脱皮に際して邪魔な服を脱衣所で脱ぎ去りすっぽんぽんになったシュリは、浴室へと移動すると腹ごなしに軽く体をゆすったり関節を伸ばしたりと、運動前の準備体操よろしくの動作を行い脱皮に備えた。そして同じく裸になったクリム達はシュリを囲む様に立ち、彼女の準備が済むのを待っていた。

 間もなくして、シュリは準備を終えてクリムに声を掛けた。

「それじゃ脱皮するっすけど、普通に脱皮すればいいんすか?」

「そうですね。あなたの脱皮はあなたが望んだ通りに姿を変える能力だと目されているわけですが、その仮説が正しいならば、どんな姿になりたいのか、どんな能力を身に着けたいのかと言った願望を、予め具体的にイメージしておけば、より意識的に制御できるはずです。」

「なるほどっすねぇ。」

 クリムは改めて現状で把握している脱皮能力の特性を述べ、シュリが一応の理解を示したことを確認してから、さらに続けた。

「ただ、どの程度まで融通が利くのか不明なのと、大きく姿を変える場合にはそれだけ多くのエネルギーが消耗される様ですから、今回はあまり大掛かりな変化は望まず、とりあえずは低温高温双方に強力な耐性を持つドラゴンの皮膚と、あらゆる物質を取り込めるドラゴンの消化器官を手に入れたいと、この2つだけに意識を集中してみてください。」

「了解っす!」

 シュリは元気に返事をすると、すっと目を閉じて肩幅程度に足を開き、全身の力を抜いてリラックスした状態で動きを止めた。そう、脱皮を開始したのだ。

 クリムはそれなりに生物の生態には詳しいと自負していたが、彼女が知る限り哺乳類で脱皮する種族は存在せず、シュリが一体どの様な脱皮を見せるのか予想もつかなかったため、何か問題が起きないか見落とさぬようにと特に注意して観察していた。


 シュリが動きを止めてからおよそ1分後、彼女は突如としてフルフルと小刻みに体を揺らしたかと思うと、後頭部の首の付け根辺りがぱっくりと割れたのだった。そしてさらに続けて身を震わせると、その裂け目は首の付け根に沿って次第に広がっていき、ついには喉元へと到達して首周りを一周したのだった。

「おぉ・・・何やら不可思議な現象ですね。」

 クリムが異様な光景に思わず呟いた、まさにその瞬間である。シュリの頭部はずるりと前方に向かって抜け落ちて、ゴトリと重い音を立てて浴室の床に転がった。妙に重量感のある抜け殻を訝しんだクリムがそれを拾い上げて確認すると、中身こそ入っておらず伽藍洞がらんどうであったが、なんと骨格構造はそのまま残されている様子であり、切断面からは白い頭骨とそれにつながる頸椎が顔を覗かせていたのだった。『脱皮』と言うからには、せいぜい古くなった皮膚が刷新される程度の簡単な変化だろうと予測していたクリムは、思いのほか大掛かりな事態に度肝を抜かれたのだ。しかしよくよく考えてみれば、海老の皮、すなわち甲殻とは言いかえれば外骨格であり、これを人間に当てはめたならば骨と皮膚の役割も果たしている器官であるので、人間の様な姿のシュリが脱皮によって骨と皮を刷新するのは、元々の性質から考えれば妥当であるかと納得したのだった。

 クリムはひとまず抜け殻のことは忘れて、シュリの本体側へと視線を向けた。落下した頭部に気を取られて、肝心のシュリ本体をよく確認していなかったので、どの様なスプラッタシーンが展開されているかと、身構えて振り返った。しかし、クリムの予想に反して、そこには粘液でべたべたではあるものの、見たところ特に異常のない、平気そうな顔をしたシュリの新しい頭部が存在していた。

「なんだか抜け殻がすごいことになってますけど、大丈夫ですかシュリ?」

 脱皮途中で未だ身動きが取れないらしいシュリに対して、クリムは手に持った頭部を見せながら聞いた。その状態が正常なのか異常なのかすら判断が付かなかったので、とりあえず本人に確認したのだ。

「うわ、気持ち悪。でも俺は特になんともないっすよー。」

 シュリ自身も人型での脱皮は初体験なので、現在どういう状態なのか正確には把握できていなかったが、感覚的には海老の姿での脱皮と変わらなかったので、特に不安を感じてはいなかった。

「そうですか。平気ならいいのですが・・・。とりあえず続きをどうぞ。」

 一方クリムは若干の不安を抱えていたが、脱皮に関しては門外漢である自分が余計な口を出して邪魔したら悪いと考え、ある意味脱皮のプロであるシュリ本人の言葉を信じて静観を決め込んだのだった。

「うっす。」

 シュリは短く返事をすると、再び体をうねうねと揺らし始めた。


 そしてまた1分程経過したところで、シュリの後頭部の付け根の、背骨に沿った部分から、首周りに発生したのと同じ裂け目が発生した。その後シュリがさらに体を揺らしていくと、裂け目はパキパキと音を立てて広がっていき、ついにはお尻に生えた尻尾の付け根にまで達したのだった。

「ん-?あっ!脱げそうっす。」

 シュリはその間、目を閉じて唸っていたが、不意にパチッと目を見開いて言った。直感的に脱皮可能になったタイミングを見極めたのである。

 シュリはぐっと身を屈めて背中を丸くすると、背中の裂け目から覗いていた背骨が真っ二つに割れて、まるで着ぐるみのチャックを開いたように左右に大きく口を開けた。そして彼女が丸まった状態から海老ぞりになるほど勢いよく体を跳ね起こすと、身を屈めた姿勢のままの抜け殻をその場に残して、新しい体となったシュリが飛び出してきたのだった。さらに彼女は飛び出した勢いそのままに後方一回転の宙返りを決めると、両足をそろえて見事に着地したのだった。

「よし!脱皮成功っす。」

 さながら新体操の選手の様にパッと腕を広げてシュリは宣言した。

「お疲れ様でした。どこか異常は無いですか?」

 脱皮を終えたシュリは見たところなんの問題も無さそうであったが、クリムは一応確認したのだ。

 クリムの言葉を受けたシュリは、翼を羽ばたかせたり尻尾を振ったり、上半身を捻ったりと言った具合に、身体機能に異常が無いか一通り確認してから答えた。

「なんともないっすよ姉御。あ、でもちょっとお腹がすいたかもしれないっす。」

 シュリはお腹をさすりながら言った。

「そうですか。では入浴が済んだらセイランがお土産に買ってくれた料理を食べましょう。」

「了解っす。」


 シュリの脱皮が滞りなく済んだのを確認したクリムは、今度は湯舟の掃除をしていたサテラとスフィーに声を掛けた。

「2人とも掃除はどんな感じですか?シュリの脱皮は問題なく成功しましたよ。」

「はい、こちらも今終わったところです。なかなか大きな湯舟で手間取りましたけど、あとはお湯を張るだけですね。」

 サテラが応えた。

「ありがとうございます2人とも。では、お湯が溜まるまで体を洗って待っていましょう。シュリは脱皮の影響でべたべたですしね。」

 クリムは再びシュリに視線を戻すと、彼女の全身が粘液に包まれている事を指摘したのだった。

「おお、昨日の脱皮ではこんなの付いてなかったのに、すごいぬるぬるっすね。」

 シュリは自分のことなのに驚いていた。彼女自身人型での脱皮は初体験なので、思わぬ事態が発生するのも無理からぬことだろう。

「それでは、私達は入浴の準備をしてきますね。行きましょうスフィーさん。」

「はーい。」

 サテラとスフィーは服を着たままで風呂掃除をしていたため、一度脱衣所へと戻っていった。

「さて、と言うわけで私達は先に体を洗っていましょう。クリムゾンとアクアも行きますよ。」

 2人を見送った後、クリム達は洗い場へと移動したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る