22
「私に聞きたいこと、なにも思いつかない?」
「別にないよ」叶うは言う。
「本当になんにも?」(しつこいくらいに、祈は言った)
「うん。なんにも」
それは嘘ではない、叶の本心だった。
そんな叶の言葉を聞いて、祈は呆れたという顔をする。
「わかった。それでいいよ」
それから祈はふふっと嬉しそうな顔で笑ってから、「叶くんは本当に、ぼんやりしているね。もう逆にちょっと感心しちゃうよ」と言って、叶とつないでいないほうの手のひらを青色の空に向けて軽く上げて、わざとらしく呆れた、と言うポーズをして、明るくおどけた様子をして見せた。
「あんまり、自分のことに興味がないんだよ。記憶喪失になった今の僕と、それから、……きっと、記憶喪失になる前の、もう一人の僕もね」叶は言う。
「またそういう寂しいことを言う。だめだよ。叶くん。そんなことばかり言ってちゃ。本当に自分が誰なのかわからないままになっちゃうよ。本当の迷子になっちゃう。森の中だけじゃなくて、自分の心の中から出てこられなくなっちゃうよ」と祈は言う。
そんな祈の言葉を聞いて、叶は自分が小さな男の子になって、真っ暗な闇の中で一人で泣いている風景を想像した。
そんな自分を想像して、叶は小さく笑った。
「それに叶くん本人は、……まあよくはないんだけど、一応、それでいいとしてもさ、どこかに叶くんがいなくなってしまって、すっごく心配している人がいるかもしれないよ。家族とか、友達とか、……その、恋人とかさ」
「家族や友達っていうのはわかるけど、……恋人? 僕に恋人はいないよ」叶は言う。
「記憶喪失なのに、本当に、そう言い切れるの?」祈は言う。
「それは……」確かに、そう言われると言い切れない、かもしれない。叶は黙ってしまう。
「出会ったときからずっと叶くんが気にしている『私に似ているって言う、叶くんの見覚えのある女の子』。その女の子が叶くんの本当の恋人なんじゃないの?」
祈はじっと叶のことを見つめて言う。
「それは違うよ。僕は祈と以前にどこかで会ったことがないかな? って気になっているんだ。祈じゃない、似ているだけの違うほかの女の子のことが気になっているわけじゃないよ」叶は言う。
「それ、本当かな?」
じっと叶を見て、祈は言う。
「本当だよ。『嘘じゃない』」
と叶は言う。
「……まあ、そういうことにしておきましょう。記憶喪失の叶くんに聞いても、あんまり意味がないもんね」
と小さな赤い舌を出して、ベーをしながら、祈は言う。(まあ、一応、納得してくれたようだった)
「でもさ、もしもだよ。もし、……そんな女の子が本当にどこかにいたとしたらさ、その女の子は今、きっとすごく悲しんでいるんじゃないかな? 急に叶くんが自分のそばから、自分の目の前から、いなくなってしまって」と祈は言った。
「私だったら、すごく悲しいな。叶くんにはさ、そんな風にして、叶くんのことを『ずっと、どこかで待ってくれている大切な人』が、きっとどこかにいるんじゃないかな?」
そんな人はいないよ。と叶は思う。
……でも、同時に、確かに僕は、なにかとても大切な人のことを、……忘れてしまっているような気がした。
本当に、本当に大切ななにかを。
本当に大切な人のことを……。(叶の頭の中に、誰かの笑っている女の子の顔が一瞬だけ、見えた。それは影のように色彩を持たない顔だったのだけど、その輪郭は、その顔や形は、……鈴木祈にとてもよく似ていた。それは祈本人のように見える。でも、……そうじゃない、となぜか、同時に叶は思った)
……僕は、誰かを忘れているのか?
祈じゃない、……違う女の子のことを?
「叶くん。叶くんがいいなら、気にしないで、いつまでも私の家にいてもいいんだからね。遠慮なんかしないでね」と祈は言った。
「……うん。ありがとう」叶は言う。(叶は本当に嬉しかった)
それから、二人は無言になった。
だめだよ。大切なことは、ちゃんと大切にしないと。
……もっと、自分自身を、大切にしてあげないと。
そんな優しい声が、どこかで聞こえた気がした。(……それは、祈の声じゃない。違う誰かの、『叶の知らない女の子の声』だった)
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