十着目 セカンドインパクト
目を覚ますと辺りは真っ暗であった。
あれ? おかしいな? ここどこだ? 俺何してたんだっけ?
寝る前までの記憶がない。顔の真ん中あたりがズキズキと痛む、この痛みの元を辿れば何かを思い出せそうなのだが……うっ……頭が……。
きっと何か恐ろしいことがあったのだろう、無理に思い出そうとすると激しい頭痛に見舞われるので俺は考えるのをやめた。
さて、そんなことをしている内に暗闇に目も慣れてきて周りが見えるようになってきたぞ。ここはどうやら洗面所のようだ。そうだった。ここは黒裂さんちだった。
なぜこんな所で寝ていたのかはわからないが、俺は寝相が悪いのでここまで転がって来たのに違いない、そんなこともあるのだろうきっと。
枕が変わったことによりいつにも増して寝相が悪くなったのだ。そういうことにしておかないと怖くてもう気が狂いそうなんです。
俺は手探りで扉を探しリビングへと戻る。リビングも電気が消えていて、どうやら土留も黒裂さんももう寝てしまっているようだ。
なるほどな。これは二人の寝顔を拝むチャンスかもしれない。
懲りないなと突っ込まれそうな気もするが、誰に? 俺は抜き足差し足、寝室へ行こうとするのだが、そういや寝室はどこだ? わからん。
「あら? 随分と早起きね」
その声に振り返るとベランダへ出る窓が開いており、欄干にもたれるように黒裂華音がこちらを見ていた。
そしてその恰好を見て俺は悶絶する。
こ、小悪魔ベビードールランジェリーだとぉっ!!
そ、そそそ、それはっ! それはまずいです黒裂さんっ! パンツが丸見えだ!
「なに鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔してるのよ」
てよく言うけど、鳩が豆鉄砲喰らうところなんか見たことないよね。あいつらすぐ飛んでっちゃうし。
いやいやいや。それよりも黒裂さん、その恰好は健全な童貞ティーンエイジャーには刺激的すぎます。目のやり場に非常に困っておりますわたくし。
て言うか、土留にパジャマ貸すって言ってたよな? あいつもあんな恰好しているのか? その方が驚愕だぞ。ダメだ、なんかいろいろ混乱してきたどうしよう。
「ねえ? 数馬九十九……」
動揺する俺の事は気にも留めずに黒裂さんが、手に持ったグラスをゆっくり煽ると氷がカランと音を鳴らす。
「な、ななな、なんでしょう?」
上ずった声で返事をする。完全に挙動不審だわ俺。
「あなた……どうしてドドメちゃんをコスプレイヤーにしたいと思ったの?」
「え? そ、それは昨日も言いましたけど、コミケ会場であいつの眼を……」
「ちらうわねっ!」
ん? ちら? なんか呂律が回ってないなこの人……もしかして酔ってるのか? もしかして……も、もしかしてええええええ!
すると黒裂さんは右手に持ったグラスにウィスキーを並々と注ぎそれを一気に飲み干す。
ま、待ちやがれええええええ! おまえ、いつからだ? いつから飲み始めたんだ?
ウィスキーをそんな飲み方するんじゃねえええ! まっさんに怒られるぞおおおお! ケイトウィントなんちゃらかんちゃらが見たら泣くぞこらあああっ!
「らいたいあらたねぇ、あらしのふぁんとかいいながら、ヒック、べつのおんらのこをとっぷれいや~に、ヒック、しらいですってぇぇぇぇええおえええええええっ!」
「うわああああああああ! やめてえっ! そんなとこで熱いパトスを迸らせないでえええっ!」
ご近所の方々、夜中に騒いですいませんでした。
俺は黒裂さんをリビングのソファーに寝かせると、堕天使の精製したダークマター、もといゲロを掃除して台所に水を取りに行った。
彼女のゲロを掃除するのはこれで二度目だ。こいつのことは今度からゲロ裂と呼ぶことにしよう。
「かずまつくもぉぉぉぉ」
「はいはいなんですか?」
「水ぅぅぅぅぅ」
「今持ってきましたよ。こぼさないでくださいね」
ゲロ裂の背中を支えて上半身を起こすと口元にコップを持って行ってやる。
コップの水をくぴくぴと飲み干すと黒裂さんは、俺に枝垂れかかりながら甘えた声を出した。
「つくもはあたしのふぁんなんだからね……あんたは、やみの……けん……ぞくに……」
やれやれ寝ちゃいましたよ……どうしよう? 俺、動けないんですけど。
そして、明け方。
「で……なんでそんなことしたんですか?」
「ち、違うっ! 落ち着け土留っ! これは誤解だっ!」
正座する俺を冷たい視線で見下ろし詰問する土留、その傍らでしくしくと泣いている黒裂さん。
「まさか先輩が……先輩が、嫌がる女性に無理やりそういうことをするような人だとは思いませんでしたっ! 薄い本の見すぎですっ! エッチなゲームのやりすぎですっ! これだからオタクは犯罪者予備軍って言われるんですよ!」
「うああああああんドドメちゃああああああんあたしもうお嫁にいけないわあああああ」
ふっざけんじゃねえてめえ! ゲロ裂! 誰が夜中におまえの吐瀉物を掃除して介抱してやったと思ってんだこの野郎っ! あんな姿を晒す方が嫁に行けねえわあほんだらああああああっ!
そんなこんなで二人の誤解を解くのに、朝から1時間近く時間を無駄にしましたとさ。
昨夜はほとんど寝ていないってのにとても清々しい気分だった。
時刻は午前7時、朝陽を浴びる秋葉原の街並みを見下ろし、そして胸いっぱいに吸う新鮮な空気はいつもとはまったく違ったもののように感じられて、鼓動が……ドキドキがワクワクが止まらない! そんな気持ちだ。
「なにさっきからベランダで一人ぶつぶつ言っているんですか先輩? キモいですよ」
「うるさいな。新章の始まりって感じにしてみたのに無粋な奴だなおまえは」
後ろを振り返ると部屋の中には二日酔いで顔面蒼白、今にもサードインパクトを起こしそうな黒裂さんの姿が見えた。
シャワーを浴びればシャキっとするとか言っていたけど全然ダメじゃん。
あの人、今日サークルでROM配布するんだよな? 大丈夫か? ダメだろうなきっと。
「それじゃぁぁぁぁ……きあいいれていくわよぉぉぉぉ……ウップ……」
気合い入れるどころか萎えるわ。
昨夜のことを思い出しげんなりしている俺を横目に土留が黒裂さんに質問する。
「ところで華音さん。こんな時間に出るなんて余裕ですね。コスプレの人って皆こんなに余裕なんですか?」
「ん? 当たり前じゃない。だって私にはこれがあるし」
そう言って右手の人差し指と中指の間に、何か四角い紙の様な物を挟んで見せる黒裂さん。
「え? なんですか? ゴムですか? 朝からぶっこんできますね華音さん」
「違うわよっ!」
眼を細め口元に手を当てながら、ぷぷぷと笑う土留。
おまえは本当に下ネタが好きだな。違うだろ、どう見てもこれはあれだっ! あの選ばれし者だけが手に入れることができると言う伝説のゴールデンパス!
「サーチケですかっ? うおおおおお、初めて見た。いいなぁ、いいなぁ、それがあれば、あの大手サークルのあれもこれも余裕で買えるんだろうなぁ、いいなぁ」
俺は初めて見たサーチケの神々しい姿に興奮の色を隠せなかった。
サーチケとは、サークルチケットの略のことで、これはコミケに出展するサークルに配られる先行入場券みたいなものだ。
これを持っていれば朝の7時半~9時までの間に、外に並ぶことなく先に入場することができる。ブースの準備なんかをする為にサークルに配られているものである。
当然先に入場できるので、開場と同時に列に並ぶことができる。
その為、お目当ての物をほぼ100%手に入れることができると言う魔法のチケットだ。
本来であればこれはサークル出展者の為に配られる物であるが、オークションに出すと何万円にもなると言うこともあり、そんな転売が横行しているという事実もある。
当然主催者側はそれを禁止してはいる。
オークションに出品していたサークルがバレて、コミケ永久追放を喰らったと言う噂もあるほどだ。
それでもなかなかに特定は難しい、個人でやりとりをしていたらわかるはずもないので、譲渡の摘発に関してはいたちごっこになっているのが現状である。
「も、もちろん……これを俺達にも」
「は? あげるわけないでしょ。これ、三枚しか貰えないんだから。お手伝いで売り子をしてくれる子にもう渡しちゃったわよ」
ち、ちきしょう! 見せびらかしただけかよっ! 嫌味な奴めっ! 本当はそれをあてにしてたんだぞっ!
「そ、それじゃあ結局、俺達は並ばないとダメなんじゃないですか」
「そういうことになるわね。なんでこんな時間に余裕シャクシャクで出てるのあなた達?」
「くそったれがあああああああ! 急ぐぞ土留っ! こんな時間じゃあ入場が正午を回る可能性がある」
俺の言葉に真剣な面持ちで頷く土留。流石だな、心得ていらっしゃる。
秋葉原からどんなに急いでも国際展示場までは40分くらい、駅までの移動時間を考えると1時間弱はかかるだろう。
今が7時23分、着くのは8時半くらいか……致命的だ。そんな時間に並んでいたら間違いなく入場は昼前、そこから色々準備をしてたら1時間くらいかかるだろう。
カタログを見た限りでは、最終日はコスプレエリアの開放時間は通常よりも一時間短い15時まで、実質2時間弱くらいしかエリアに出られないぞ。
「なーんてね」
焦る俺達に向かって笑いながら黒裂さんが言う。
「冗談よ冗談、そんなに焦らなくても大丈夫よ」
「え? チケットくれるんですか?」
「あげないわよ。でも安心なさい十分に間に合うわ。あなた達は東のあの待機列を想像しているみたいだけれど、三日目の西はそこまで混まないから」
「そ、そうなんですか?」
俺と土留はきょとんとしながら顔を見合わせる。
「三日目の企業なんてほぼ完売だらけでそれほど待機列もできないし、やっぱり東に人は集中するからね。西ならこれくらいの時間に出ても10時半くらいには余裕で入場できるわよ。そこからコスプレ参加の手続きをしても、余裕で昼前にはエリアに出れるわ」
そ、そうだったのか……知らなかった。
毎年、東駐車場で夏の熱射地獄に喘ぎ、冬の極寒地獄に震えている間に西の奴らはそんな余裕で入場していたのか。
確かに11時前頃には入場規制解除のアナウンスが流れるもんないつも。
「あ、あの、華音さん。その手続きをしたらどうしたらいいんですか?」
「更衣室で着替えて、荷物を預ける場合はクロークに行くんだけど、そこがまた並ぶのよねぇ、まあとりあえず移動しながら教えてあげるわ」
そうして俺達は遂にやってきた。
夏のコミックマーケット最終日。
今日、ここ
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