第29話 別れ

 リタをロウのいる中央警察署へ送ったカオウは、三階のバルコニーに胡坐をかき、欄干にもたれて中庭を見下ろしていた。

 長らく整備されていない庭は雑草や落ち葉が目立つ。

 背後にトキツの気配を感じ、チッと舌打ちした。

 姿を消しているのに、能力で居場所を当てられてしまう。


「カオウ、いるんだろ? いつまでそうやって隠れているつもりだ?」


 姿を現したカオウは、無言でトキツを睨む。


「何も言わずに去るつもりか。しかもこのタイミングで」


 今は、ケデウム州の軍が副長官たちを捕らえに来るのを待っているところだった。


「……早く離れた方がいいと言ったのはお前だろ」

「別に今じゃなくてもいいだろ」


 魔物の本気の睨みに威圧されつつも会話を続けるトキツから視線を外し、ため息交じりに立ち上がる。

 クラッと軽いめまいがした。

 海で魔力を放出してから、山にいた中級や上級魔物の魔力を片っ端から吸ったがまだ足りない。量もそうだが質が全然違う。どれだけ吸っても物足りなかった。


(あークソ。イライラする)


 ツバキとは朝会話したきりだ。

 それからは会うのも嫌だった。だが姿が見えないと心配でたまらなく、そんな自分に嫌気がさした。

 中庭の乱闘に混ざって憂さ晴らしをしても治まらない。

 ギジーと一緒にいるツバキの姿をつい視界に入れてしまって、またイライラが増す。


「あいつら捕まえる必要あるの?」


 カオウは廃人のようになってしまった副長官と珍妙な格好で気絶している息子を見下ろした。


「どうせ死刑になるんだから魔物に食わせればいいじゃん」

「お前まで怖いこと言うな」

「俺が食ってやろうか」

「またそういう冗談を。…………冗談だよな?」


 顔をひきつらせたトキツをカオウは真顔で一瞥した。魔物の姿になれば食べられないことはない。

 トキツは冗談だと信じることにして、今にも倒れそうなカオウを心配して尋ねる。


「顔色悪いけど大丈夫か?」

「ああ」

「ツバキちゃんから魔力もらったら?」

「いらない」

「今にも倒れそうなんだけど」

「いらない。会いたくない」

「いつまでも無視するわけにいかないだろ」


 カオウに恨みがましく睨まれたトキツは気まずそうに首の後ろをかいてから、腕を組んで苦渋の表情を浮かべた。何やら熟考し、悩みながら諦めたような深いため息を吐く。


「少し二人きりにしてやる」

「いらない」

「話す時間が必要だろ。呼んでくるから待ってろ。あ、でも変な気は起こすなよ」

「いらないって言ってるだろ!」


 怒鳴りつけてもトキツは無視して出ていき、しばらくして中庭に現れた。呼ばれたツバキがこちらを見上げたので咄嗟に部屋へ入る。


 この部屋は書斎になっていた。

 今も使っていたのか、机上にはほこりがなく書きかけの書類が広がっている。壁沿いの本棚には古びた本が並び、魔物の図鑑なんてものもあった。


 話せと言われてもカオウには何の考えもない。

 他の人を選んだのはツバキだ。そしてカオウはその答えを受け入れて、ツバキの元を去る決断をした。だが、リタを送ってそのままいなくなってもよかったはずなのに、いまだ未練たらしくこの場にいるのも事実だ。


 振り子時計の重い音がうるさくて、とにかくイライラした。


(今のうちに、行かないと)


 そう気が急くが、体はこの場に張り付いたように動かなかった。

 ツバキの気配が近づく。

 ドアをノックする音と、躊躇いがちに「カオウ?」と呼ぶ声。

 ドクンと大きく心臓が波打つ。振り子時計よりも早くなる心音。

 ゆっくりとドアが開き、そっとツバキが顔を出した。


「カオウ、いるの?」


 部屋は明かりをつけていなかった。

 中庭の明かりは部屋の中までは届かない。新月に近い夜空も暗い。

 夜目がきくカオウだけツバキが見えた。

 不安そうな顔で目を凝らしてカオウを探している。

 ツバキを近くで見て、また血が沸き立つような怒りと、魔力を吸いたいという渇望が全身を駆け巡った。


(だから会いたくなかったのに)







 トキツに呼ばれて三階の書斎のドアを開けたツバキは、緊張しながら暗闇の中に入った。


「カオウどこ?」


 気配はするのに反応がなく、不安になる。


「どこにいるの?」

「止まって」


 強い口調で言われ、転ばないように慎重に進めていた足を止める。声がした方を見るが、彼がどこにいるかわからなかった。


<ツバキはさ>


 頭の中にカオウの声が聞こえてドキリとする。


<本当はどうしたいの?>

<どうって?>

<……わかってるだろ、俺の言いたいこと>


 どう返答すべきか考えあぐね、押し黙る。

 振り子時計の規則正しい音がいちいち緊張感を高めた。


<婚約のことなら、したいと答えるわ>

<国のために?>

<うん>

<あんなに公務サボってたお前が、今更皇女面するわけ?>

<それでも、私は皇女だもの。サタールへ嫁ぐことが国のためになるのなら、喜んでいくわ>


 ジェラルドがツバキに期待していることの一つは、東の国との橋渡しだ。今もサタールを通じて少しは交流があるが、まだまだつながりは弱い。東の国に関する情報も少ない。そしてそれは相手も同じだ。バルカタル帝国がいきなり名乗り出ると周辺諸国を刺激し不要な警戒心を持たれる恐れがあるが、ツバキがサタールの王妃として間に入れば多少の緩衝材になるらしい。それが叶えば、魔力のいらない道具の輸入や製造がもっと容易にできるようになる。


 幼い頃に役職のない皇女だと早々に決まり何の期待もされていなかったからか、重要な役目を担うと知ったとき少し嬉しかったのは事実だ。


<だからカオウ。あなたの気持ちには応えられない>


 しんと静まる部屋。

 時計の重い音が静寂の秒数を刻む。

 近くにいるのに会えないのがもどかしい。

 いったいカオウはどこにいるのかと見回していると、突然後ろから抱きしめられた。


「俺と本当に離れられる?」


 耳元でささやかれ、ツバキの胸が抉られる。

 一日と離れていないのに、久々だと感じてしまう温もり。こみあげてきたものを必死に抑えて、頷く。

 カオウの腕に力が入った。


「じゃあツバキの魔力全部食っていいよな。……加減しないから」

「…………!!」


 カオウの左手がツバキの口を塞いだ。

 襟を力強く引っ張って破り、ツバキの右肩を出す。暗闇でも印は淡く金色に輝いていた。歯形は消えていたが、そこに触れたいと思わず舌打ちして印を消し、長い白銀色の髪を前に流す。


 ピリッと刺すような痛みがツバキのうなじに走った。


「制御すんなよ」


 返事を待たずカオウはツバキのうなじを噛んで魔力を吸った。思いっきり、好きなだけ。

 ツバキの口を塞いだまま、上衣の裾から右手を入れた。なめらかな柔肌にもう一つ印を刻み、溢れてきた金色のもやを手の平からも吸い取る。


「んんっ!」


 二か所から急激に魔力を吸われたツバキは、電流が走ったような感覚に全身を貫かれた。

 口と手の隙間からくぐもった息が漏れる。声を出す余裕がなく、ツバキは思念を送った。

 

<カオウやめて>

<やめるわけないだろ>


 制御したくても、うなじを這う舌と体を撫でる指先に意識が支配されていく。

 ツバキの荒い息と、吸いつく音と、時計の音が部屋に響く。

 

<……ツバキ…………>


 ぼうっとした頭の中までカオウの切ない声に占領された。

 ツバキは力が抜けて自力では立っていられなかった。

 抱きしめられた腕に寄りかかると、カオウはうなじから口を離してツバキの頭を体にもたれさせる。


 全身をカオウに預けたツバキはうっすら開けた目をカオウヘ向けた。暗闇に目は慣れてきたが、はっきりと顔は見えない。怒っているのか悲しんでいるのかその両方か。

 目を凝らそうとすると口を覆う手が顔を反対側へ向けた。


<ちゃんと言える? 俺なんかいらないって。もう一緒にいたくないって>


 緊張を孕んだ問いかけが頭に響き、数秒呼吸が止まる。


 言えるわけがなかった。

 そんなこと思ったことなどない。

 

 それでも言わなければと思念を送ろうとした。


<カ、カオウなんていら…………>


 途中で言葉に詰まり、じわっと涙が溢れてきた。決心したはずなのにきっぱりと拒絶できない弱い心が情けない。


<嫌なら俺を選んで。そしたらどこへでも連れ去ってやる。ずっと一緒にいられる>


 ギュッとツバキの心臓が冷たく痛む。

 ずっとは無理だ。

 人と魔物は時間が違う。

 老いる早さも、寿命も、感覚も。


<む、無理だわ。人と魔物は一緒になれない>

<なれるよ>

<なれない。無理よ。無理なの>


 頑なにツバキは無理だと繰り返す。

 

<それなら言えるだろ。俺はもういらないって>

<どうして言わせるの>

<ツバキの本心が知りたい>

<もう言ったでしょ>

<言ってない>


 カオウはさらに印を耳の裏に刻んで魔力を舐めとり、ツバキの口を塞いでいた手で首筋や鎖骨をなぞる。両手で体をまさぐられ、ツバキの息が熱くなった。


<本当に俺と離れられる?……俺がいなくなっても平気?>


 気を失いかけている頭の中にカオウの優しい声が響く。

 呪文をかけられているようだった。本心を、本当の望みを、言ってしまいそうになる。


<やめて>

<それとも一緒にいたい?>

<……………言わないで>


 胸が張り裂けそうだった。

 きっとこれでお別れなのだ。

 もう二度とカオウはツバキの前に現れないだろう。

 その選択をしたのは自分なのに、早く離れるべきなのに、受け入れられない。

 これからカオウのいない人生を送る恐怖で体が震える。


 ツバキの目から涙がこぼれた。ぽろぽろ落ちて、カオウの手を濡らす。

 

<……………………だめ………一緒には……いられない>


 そう断言した瞬間、ガクッと体から全ての力が抜け、ツバキは深い眠りに落ちた。






 魔力は満たされたが、カオウの心は余計に空になった気がした。

 机上の邪魔なものを乱暴にどかしてツバキを寝かせると、自身も飛び乗ってツバキを跨いで膝をつき、見下ろす。

 出会って以来何度撫でたかわからない頭をいつもと同じように撫で、顔から腹へと手を滑らせる。

 あんなに小さく泣き虫だった子が、こんなに明るい少女になるまで毎日見守ってきた。これから更に美しい女性へ変わっていくのだろう。それをカオウは見ることができない。今までカオウに向けられていた感情のすべてを、これからは違う男が受け取るのだ。

 心だけでなく、純真な体も、すべて。


(こんなことなら、前のままがよかった)


 脱皮してツバキより大きくなり嬉しかったが、代わりに複雑な気持ちが膨らんで抑えきれなくなった。以前の姿のままだったら、気持ちを隠して一緒にいられたかもしれない。ツバキが他の男性と結婚しても、耐えられたかもしれない。


 カオウはツバキの上衣を捲り印に触れ、浮きたっている金色の線を惜しむようになぞる。始めは指の腹でなぞっていたが、途中で爪を立てた。無垢な肌に引っ掻き傷ができていく。それを無言で眺めていると、燻ったまま消えない感情がまた沸々と沸き立ってきた。

 両手でツバキの細い腰を掴む。力を込めたら簡単に折れてしまいそうだ。


 手に入らないなら、いっそ。


 両手を上へ滑らせ、さらに服を捲った。

 カオウの息が荒くなっていく。

 飢えた獣のように口から牙を覗かせて身を屈めると、唾液がツバキの体に滴り落ちた。

 そして……。


「それ以上はやめろ」


 突然扉が開き、ついた部屋の明かりに目を細めるとトキツがいた。

 カオウは蛇のようになった眼で睨む。

 

「覗いてたわけ?」

「放置できないだろ」

「邪魔するなよ」

「仕事なんで。とりあえず離れて」

「……嫌だって言ったら?」


 トキツがカオウの首を狙って鎖を放ち、カオウはそれを手で受け、引っ張り合った。単純な力比べならカオウの方が上だ。思いっきり鎖を引き、倒れそうになったトキツが手を離す。瞬時にカオウも鎖を投げ捨て跳躍してトキツの前に立ち、殴りかかった。防がれても次から次へと拳をくりだす。


 トキツから武術を教わりなおして、力に頼っていた闘い方から相手の動きに合わせた戦い方ができるようになった。さらに前より体が大きくなったので攻撃範囲も広がった。

 反撃してきたトキツの拳を払い横腹を蹴る。勢いよく本棚へ激突したトキツを瞬間移動で追ってさらに腹を殴った。倒れたトキツを踏もうとして反対の足を捕まれ転ぶ。上から殴られそうになり、瞬間移動して距離をとった。


 カオウは舌打ちして姿を消す。

 口を拭いながら立ち上がったトキツに向かって走り、顔を真正面から思いっきり両足で飛び蹴りした。頭を本棚に強打して気絶するトキツ。

 

「お前も目障りなんだよ!」


 トキツが倒れてもカオウは止まらなかった。姿を現して馬乗りになり、鬱屈した気を晴らすように余裕のない表情で必死に殴り続ける。拳に血がついた。


『やめてくれよカオウ! 死んじまうよ』

「どけよ!」


 カオウを止めようとしたギジーを殴り倒し、拳を思いっきりトキツへ叩きつけるとまた血が飛ぶ。

 しかし次に振り下ろした拳は、トキツの顔をかばって間に入ったギジーの背に当たった。ギジーは痛みをこらえて体を起こし、カオウの右手にすがりつく。振り払われて床に転げ落ちても、またすがりついた。


『やめてくれよぅ。いつものカオウらしくない』

「うるさい! 俺はあいつのために人間の生活に慣れようとしたのに、あいつは俺を魔物だからって遠ざけるんだ。だったら魔物らしく、好き勝手にやったっていいだろ!」

『だからってトキツに当たらなくてもいいだろぉ』

「お前も殺すぞ」


 ギジーはガタガタと震えながらトキツを守る。

 カオウが睨んでも動かず、大粒の涙を流した。


『お願いだよカオウ。おいらからトキツを奪わないでくれ』


 真ん丸で純粋な瞳に訴えかけられ、カオウは怯んだ。

 涙を流し続けるギジーと、顔が血だらけのトキツを交互に見て、ギュッと下唇を噛む。


「……悪かった」


 カオウの怒りが鎮まったと感じると、ギジーはトキツの名を何度も呼びながら、怪我の様子を確認した。全く反応はないが息はあるらしい。トキツの服から手拭いを取りだし、部屋から出て水に濡らして戻ってくると、顔を拭き始めた。


 すすり泣くギジーの声に、カオウの胸がチクリと痛む。

 ツバキを奪われると怒っている自分が、ギジーからトキツを奪おうとしていた。


「最低だな、俺」


 呟いたカオウはツバキの所へ戻り、服の乱れを直す。

 またじっと見つめ続けていると決心が鈍りそうだった。

 トキツが目覚めたのかギジーの嬉しそうな声が聞こえて安堵したカオウは、ツバキの頬にそっと手を添えた。


「さよなら、ツバキ」


 額に優しくキスする。

 そして、消えた。

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