第18話 目覚め

 任命の儀が終わり晩餐会が始まるまでの間、ジェラルドは自室のソファに横になって本を読んでいた。

 クダラはふかふかのクッションの上で眠っており、リハルは青ぶどうをついばんでいる。


『こんなおいしいぶどうは初めてですぅ。森では兄弟たちとの争奪戦がすごくて、上等なぶどうは残っていませんから』

「何頭兄弟がいるんだ?」

『兄が五頭、姉が三頭、妹が一頭です。喧嘩はいつも負けてばっかりでしたから、ぼくがジェラルド様の授印になったって言ったら、とてもびっくりしていました』


 ふふ、とその時を思い出して笑う。

 皇族がより魔力の高い魔物を欲するように、始祖の森に住む魔物にとっても皇族の授印になるのは名誉なことだった。

 もちろん名誉に興味はなく野生のままでいたがる魔物や、皇族なんて面倒だと考える魔物もいる。

 リハルの兄弟も様々な考えがあったが、優雅な暮らしができることにはみんな羨ましがっていた。


『ジェラルド様はご兄弟と仲いいですか?』

「みな忙しくて、全員揃ったのは数ヶ月ぶりではないかな」

 

 ツバキ以外の弟妹は担当する州が決まった後各州の宮殿へ住まいを移していたから、毎日会うのはツバキくらいだ。

 その彼女も成人となれば結婚が決まり城を出ていくと通例ではみなされているが、相手はまだ決まっていない。

 というより、決められない。

 理由はツバキの魔力にあった。

 彼女は公には授印がいないため、魔力の強さがどれほどか知っているのは極一部の者だけ。

 ツバキも自分が兄弟の中でどの位置にいるかなど、まったく気にしていないだろう。

 無論、ジェラルドは知っていた。


 昔を思い返す。

 十六歳になり、授印の儀を控えていたとき。

 五歳のツバキの後ろにぼんやりとした人影を見るようになった。それに実態はなく、しかしツバキはそれに向かってしゃべっている。

 そして、授印の儀が終わり、クダラのおかげでジェラルドの魔力が上がってようやく、人影の正体が少年の姿をした魔物だとわかった。

 つまりそれまで、ジェラルドは姿を消したカオウを見られなかったのだ。

 五歳のツバキが見えていたにもかかわらず。

 それが何を意味するのかは言わずもがな。


 そんな強大な魔力を持つツバキを、ジェラルドは心配していた。

 あまりに強い魔力は時として己を蝕む。

 今はまだ平気なようだが、いつ体に変調をきたすか──


 突然、キーンと耳鳴りがし、ジェラルドは顔を上げた。

 クダラとリハルも同時に身を起こす。

 同じ異変を感じたのかと声をかけようとするも、何かおかしかった。

 二頭はある一方向を見つめ今にも駆け出しそうな体勢になったまま、微動だにしていない。

 問いかけても返事がない。


「クダラ! リハル!」


 強い口調で名を呼んで、やっとクダラが反応した。


『……セイレティアが』

「セイレティアがどうした?」

『行かなきゃ』


 リハルが呟く。


「どこへ? セイレティアは城にいないのか?」


 晩餐会があるというのに。

 クダラは呪縛から逃れるように苦しげな表情で体を振るい、ジェラルドに向き直った。


『セイレティアが……我々を動かそうとしている』

「何があった?」

『そこまでは』

『行かなきゃ』


 リハルが再度呟いた。

 猛禽類特有の目で一点を凝視し、毛を逆立てている。


『リハル。我々は皇帝の授印だ。他人のために動くことはあってはならない』

『でも、セイレティアが呼んでる』


 バサバサッと外から音がした。

 ジェラルドが部屋から森を覗くと、何頭もの魔物がある方向へ走っていた。

 まさに、リハルが行きたがっている方向へ。

 走っているのは中級以下の魔物のようだが、これだけの数が街へ出ればパニックになるだろう。


 いや、ここだけではないのか?


 街も同じことが起こっているかもしれない。


「リハル、セイレティアの所へ行って状況を知らせろ。クダラ、森の魔物を呼び戻せ。絶対に街へ行かせるな」


 そう指示すると、リハルは窓から飛び出し消えた。クダラも指示に従い森を出ていった魔物を追う。

 ジェラルドは険しい顔で考え込んだ。


(なぜこんなことが起きた。セイレティアに何かあったのか)


 はっと気づき、狼狽する。

 思い当たる節が一つあった。

 起こらなければいいと願っていたことが起きたのだ。


「……目覚めたのか」


 こうなってはもう誤魔化せない。

 ジェラルドは意を決した。


「父上に会わなければ」




 時は少し遡る。


「出て行った!?」


 警察署に戻ったロウはツバキたちがアフランたちを探しに外へ出たと聞くや否や、部下三号に怒鳴りつけた。

 三号はビクッと背筋が伸びて足が震える。


「す、すみません。私が戻った時にはもういらっしゃらなくて」

『おいらが伝言係で残された』

 

 ギジーはひらひら右手を振ると、アフランたちがロナロ人だったことと、ロナロについて簡単に説明する。


『ガキんちょたちが警官に重傷を負わせて逃げたと知ってからも、しばらく待ってたんだぜ。だけど、おいらの能力で居場所を探したら、二人が何者かに捕まりそうになってたから……』


 飛んでった、と付け加えた。

 正確にはカオウの力で瞬間移動したという意味だが、部下三号がいるため言葉を濁す。

 三号は部屋を飛び出していった、と解釈した。

 

『んで、ロウが戻ってきたら連れてくるように言われて待ってた』


 ロウは強く舌打ちした。

 警官たちを襲ったのは本当にアフランたちなのか、他に協力者がいたのかはわからないが、手口からかなりの手練れのようだった。

 トキツとカオウが一緒とはいえ、危険なことに変わりはない。


「行くぞ。ギジー、案内しろ」

 

 早く行きたそうにソワソワしていたギジーは待ってましたとばかりに飛び跳ねると、ロウについて大鷹の頭に乗った。


『そんなところにいると風で吹き飛ばされるぞ』


 コハクがロウの前に座って身を伏せる。


『一回乗ってみたかったんだよなー』


 ギジーは忠告を無視し、二本足で大鷹の頭に立ったまま悠然と空を飛ぶ自分を想像した。

 しかし。


『うわわ!?』


 大鷹が羽を広げて上昇し一気に加速すると、風を体中で受けて飛ばされそうになる。

 風は痛いし寒いしで、先ほどの余裕はどこへやら、二本足どころか全身で必死にしがみついた。


 数分後、突然大鷹が上空で停止した。


『おわぁ!!』


 頭から転がり落ちそうになるが、なんとか嘴に掴まる。

 街を見下ろしてあまりの高さにぞっとし、急いでよじ登った。


「どうした?」


 大鷹は数秒上空に留まったのち引き返そうとしており、ロウが手綱を引いても言うことを聞かない。

 今まではどんなに危険な場所でも飛び込んでいっていたのに、こんなことは初めてだ。

 仕方なく地上へ降りて大鷹をなだめる。

 震えているようだ。


 体をなでていると、ロウは別の異変にも気付いた。

 ギジーとコハクが立ち上がり、無表情である一点を凝視していたのだ。

 呼びかけても反応がない。

 あたりを見回すと、数頭の魔物はある方向へ走り、数匹の動物はその反対方向へ逃げていくようだった。

 大鷹も何かを恐れ、帰りたがっている。 


『……ツバキが呼んでる』


 コハクとギジーは凝視していた方向へ走り出した。

 ロウは大鷹を自由にしてから後を追う。

 二頭は倉庫が立ち並ぶ一画へ入っていった。

 少し遅れて角を曲がると、ロウはその光景におののく。

 一つの倉庫を無数の魔物が取り囲んでいたのだ。

 さらに不気味なことにその魔物たちはピクリとも動いていない。

 コハクとギジーも倉庫へ着くなり時が止まったように微動だにしなかった。


(何が起きている?)


 その倉庫の中にツバキがいるのだろうか。

 ロウは剣を構えて近づき、大きく開け放たれていた倉庫の扉から、魔物の間を縫って入った。

 魔物たちは触られても何の反応もせず、それがより一層気味の悪さを助長する。

 街灯は倉庫の中まで照らしてくれないので、ロウは持っていた懐中灯に火をつけた。


「……トキツ?」


 真っ先に目に入ったのは入り口付近にいたトキツだった。

 彼も金縛りにあったように固まっている。


「何があった?」


 ロウが恐る恐る声をかけると、止まっていたトキツの唇が少しずつ開いた。


「…お………おく」


 おく? 奥か? と察し倉庫の中を照らす。

 懐中灯を左右に揺らすと、カオウを抱えるツバキの姿をとらえた。彼女も様子がおかしい。

 服が何かで染まっているように見えた。

 血、だった。


「ツバキ!」


 叫ぶと、ツバキが顔を上げた。

 その動きはトキツとは違い実に滑らかだった。


「ロウ……カオウが……」


 そう言うと、ツバキはカオウに寄り掛かるように気を失った。

 

 その、刹那。

 ゾワっと生暖かい風が吹いた。

 空間の呪縛が解けたように倉庫内の空気が軽くなる。

 魔物たちが一斉に動き出した。

 窓を覆っていた鳥たちが離れて月あかりが倉庫を照らし、ロウの足元にいた魔物も何事もなかったかのように去っていく。


 トキツがガクっと膝をついた。

 動けない間抵抗していた力が一気に開放されたように疲弊し、荒く息をつく。

 直前まで誰かと戦っていたことを思い出して男を探すが、すでに男は消えていた。


 ロウはツバキの元へ駆け寄る。

 ツバキに怪我がないことを確認するとカオウの横へ寝かした。

 問題はカオウだった。

 腹から大量に出血している。まだ息はあるようだが、今から大鷹を呼んでも間に合うかどうか。

 

『どうしたの?』

 

 大鷹を呼ぶため笛を取り出したとき、頭上から声が降ってきた。

 驚いて見上げるが何も見えない。


『カオウに何したの!?』


 突風が声の方から吹き荒び、ロウの頬と服を切り裂いた。

 コハクが氷の壁を作りそれを防ぐと、人に近い鳥の魔物が姿を現す。

 

「俺は何もしていない。城の魔物か?」

『ジェラルド様の授印だよ』

「あいつの?」


 確か新しい授印を得たと号外ニュースが出ていたと思い出す。


「まだ息はあるが至急手当てをしないと間に合わない。シュンの所まで連れていけるか」

『ジェラルド様を呼び捨て?』

「俺はロウ・ジュード。シュンは俺を知っている。頼んだぞ」


 本来なら皇帝の授印の方が遥かに地位が高い。

 リハルはロウの不遜な態度にムッとしたが、今はカオウが先決だと判断したのか、カオウとツバキを抱えて消えた。


「さて。次は……」


 先ほどから怯えた顔でこちらを注視している少年を見た。

 似顔絵とそっくりの顔。


「お前がアフランか。弟はどうした?」


 話しかけられ、ビクっと体を震わせるアフラン。


「つ、連れていかれた」


 絞り出すような声。

 ロウはアフランの方へ行こうと立ち上がる。

 ふと、視界の隅に動くものを捕らえた。

 男が倒れ込んだまま黒い小さなものに手を伸ばしている。

 直感でそれが武器だと悟り男の手を氷付けにした。

 見たこともない武器だった。

 指をかけるらしい所があり、拾おうとする。


「触らない方がいい」


 ようやく体が元に戻ったトキツがロウの手をつかんだ。


「これは銃だ。ウイディラが開発した武器」


 魔法が使えるバルカタルでは武器といえば剣か弓、それに派生するものだけで火器はない。

 トキツは多数の国で仕事をしたことがあるから知っていたが、この国ではそれ以外の武器があると想像すらしたことない者が大半だろう。

 なにせ、手を振るだけで攻撃できる魔法があるのだから。


「カオウはそれで撃たれたんだ」


 トキツは慣れた手つきで銃をしまうと、ロウの肩に手を置いた。


「すまん。まさかロナロ人が銃を扱うとは思ってもいなかった。それに結構腕のたつ奴がいて、弟は連れていかれた」

「警官を襲ったのもおそらくそいつだな。ここで起こったことは署で聞こう。お前はあの少年を見張っててくれ」


 ロウは男を縛り上げると、救援を呼ぶ。


(なにやってるんだ、俺は)


 ツバキを巻き込んでしまった。

 ロウは己の不甲斐なさに憤り、ギリっと歯軋りした。

 

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