第4話 皇女の授印

 帝都は皇族貴族の上流階級が住むモルビシィアと、塀を挟んで平民が住むレイシィアに分かれている。レイシィアの中でもモルビシィアに近い街の一つが商業が盛んなカイロで、城から遠ざかるにつれ自然豊かな町や村が広がっていく。


 ツバキたちはカイロから少し離れた場所にある、昨日トキツと出会った山裾の野原でじっくり話し合うことになった。というより、トキツの疑問を解消する場だ。カオウはものすごーく嫌がったが。


「で、おっさんは何が聞きたいんだ?」


 胡坐をかいて座るカオウはその場に生えていた草をなんとはなしにむしっている。


「俺はまだ二十五だ!」

「え、マジ? ロウより年下?」

「ぼさぼさ頭と無精ひげが老けて見えるんじゃない?」


 カオウに寄り添って座るツバキが小声で言うが完全に聞こえている。

 

 ひそひそと失礼なことを。トキツは隣で笑うギジーの頭を小突き、ゴホンと一つ咳払いする。


「転化してるんだよな?」

「まあ、そうだな」


 魔物とは魔力のある動物のことだが、中級以上の魔物は獣から人に転化できる。ただそれでも、一部人になりきれていないことがほとんどで、カオウのように完全に人に転化した魔物を見るのは初めてだった。


「何の魔物だ?」

「蛇だよ。サイズは大きいけど」

「見せてくれないか?」

「無理。ここで転化したらツバキを潰す」

「は?」

「並みの城より大きいから」


 それは大蛇どころじゃない。転化した瞬間押しつぶされるのを想像してぞっとした。


「じゃあ、魔物の姿になることはないのか?」

「そんときは空に行くな。もちろん姿は消すけど」

「もしかして、ツバキちゃんと出会ったとき空にいたのか?」

「そうよ。雨を降らす魔物と一緒にいたの。カオウは綺麗な金色の大蛇よ」


 誇らしげにツバキが答えた。

 冷や汗が出てきた。

 トキツは中の上程度の魔力を持っている。そのトキツでさえ見えない魔物が空にはうじゃうじゃいるのかもしれない。


「ツバキちゃんと印を結んでいるんだよな? だけど、皇帝は禁止したんじゃないのか」


 ツバキとカオウは顔を見合わせる。


「本当に誰にも話さないのよね?」

「ああ、そのための契約書だ。もちろんなくても依頼人の秘密は絶対に漏らさない」


 二人はまた見つめあい小声で相談を始めた。どこまで話すべきか判断がつかないのか、数分ののち、やっとツバキがこちらを向く。


「授印の儀のことはどこまで知ってる?」

「直系皇族は十六歳になったら、皇族しか入れない神聖な森へ入り魔物と印を結ぶ、としか」

「そう。それから、儀式の前、つまり十六歳より前にどんな魔物とも契約してはいけない。だけど私は……五歳のとき森へ無断で入って……。カオウと勢いで印を結んだの」


 神聖な儀式を汚したことで皇帝の怒りを買い、ツバキは皇帝や州長官に任命される権利を失い、すでに印を結んだカオウはいないものとされて城への出入りが禁止された。


「姿を消して城に入り浸ってるけどなー」

「城でカオウのことを知っているのは私付きの女官と侍女、それから第一皇子だけよ。お父様はカオウと印を結んだことは知っているけれど、隠れて会ってるから」


 城外ではロウだけだと付け加える。

 彼は姿を消したカオウを見るほどの力はないはずだが、カオウがいる辺りをじっと睨み付け鼻先まで近づいたかと思うといきなり頭突きした。あまりの衝撃にカオウは姿を現してしまい、芋づる式にツバキの正体も知られてしまったのだ。


「あいつは昔から野生のカンが鋭かったからな」


 トキツはロウの「ツバキについて知ったことは他言しないこと」という言葉を思い返し、つい鼻で笑った。

 こんなこと他言したとして誰が信じるのだろう。第三皇女の噂だけでも衝撃的(思い出してまた膝から崩れ落ちそうになった)なのに、子どもが上級魔物と勢いで印を結べるほどの魔力を持っていたなどと。


 魔物と契約すれば魔法が使えるようになる代わりに己の魔力を与えなければならない。

 もし無理をして力に合わない魔物と印を結べば最悪一瞬で死に至る。ゆえに契約する前に魔物の力を見極める時間と技術が必要なはずで、決して勢いでできるものではない。そのはずなのに。


「子どもの頃からそんな魔力があったなら、ツバキちゃんが州長官になってた可能性もある?」


 もしツバキが正式に授印の儀を行ったとしたら順位はどうなっていたのか気になった。

 しかしツバキははっきりと首を横に振る。


「普通、契約したら授印の能力を使えるはずでしょう? でも私、カオウの能力が使えないの。魔力があったとしても力を使えないなら州長官にはなれないわ」


 契約に耐えうる魔力はあるが、操れるほどの魔力はないということか。


「どんな能力があるんだ?」 

「それを知りたかったら」


 金色の髪に金色の目の、少年にしか見えない蛇の魔物は、待ってましたとばかりに立ち上がった。


「勝負しよう。おれに勝ったら教えてやる」


 にやりと微笑むカオウ。

 トキツはごくりと唾を飲み込む。


「始祖の森にいたんだよな……」


 皇族が授印の儀に入る神聖な森。

 そこは、のちにバルカタル建国の祖と呼ばれる強大な魔力を持った少年が印を結んだ上級魔物たちやその子孫が住むという伝説の森だ。奥に進むほど魔力を必要とし、中心には神の国への入り口があるとも伝えられている。


 そんな森に住んでいる魔物が、目の前にいる。

 トキツは目を細めて唇を湿らせた。

 仕事がら上級魔物とも対峙したことがある。中級なら中級なりの戦い方があり、魔力の差は策をこうじて埋めてきた。もしカオウと戦ったとしても勝てる見込みはあるだろう。


 深く息を吐き、腰に下げた剣を抜き取り身構える。


 一瞬でピリッとした空気に変わった。正直、ツバキにはなぜ今のやりとりで戦うことになったのかさっぱりわからなかったが、ここなら誰にも見つからないと思い静観することにした。


 しばらくの静寂の後、最初に動いたのはトキツだった。

 距離を一気につめ剣を前につきだす。カオウは姿勢を低くしてかわし懐に入るとみぞおちに一発拳を入れる。見かけの細さでは想像できないほどの重みがありトキツは勢いよく吹っ飛ぶが受け身をとって立ち上がった。


「さすが魔物ってだけあるな」

「なんか試されたみたいでムカつく」


 次はカオウが動いた。

 跳躍して近づき、タイミングよく降り下ろされたトキツの剣をかわす。カオウが再び拳を突き上げる前にトキツは重心を後ろに置き相手の腹を蹴った。だが蹴りが当たる瞬間カオウがジャンプしたので、足の勢いが空回りし前のめりになる。


 背中を狙ってきたカオウの拳をギリギリでかわし、さらに突っ込んできたカオウに剣を振るがなんなく避けられ、また素早く背後を取られる。


 トキツも瞬時に察して振り向きざまに斬ろうとしたが、すでにカオウの姿はなかった。


 なぜか上から殺気を感じ前転すると、先程までいた場所に短剣が刺さっていた。

 一歩遅かったら確実に死んでいた。

 ゾッとして短剣が落ちてきた方向、つまり空を見上げるとカオウが浮いていた。


 カオウは不本意そうに顔を歪ませる。


「なかなかやるなーおっさん。つい空に逃げちまった」

「お、お前今、本気で俺を殺そうとしただろ」

「ツバキに護衛なんていらないんだよーだ」


 あっかんべーしてきたクソガキに向かって、突き刺さっていた短剣を取り投げつけた。だが突然姿を消す。早すぎて見えないのではなく、本当に消えた。


「!?」


 腹に衝撃が走り気づいたら後方へ吹っ飛んでいた。


「な、なんだ。今の」


 よろめきながら立ち上がった瞬間、また視界に入っていたはずのカオウが消えた。

 感覚を研ぎ澄ます。戦闘に躍起になっているカオウの気配を肌で感じ、勘だけでカオウを横蹴りした。

 蹴とばされたカオウが地に背中を打ち付けるのとほぼ同時に、もう逃げられてたまるかと隠し持っていた鎖を足に巻き付ける。

 しかし、鎖だけ残してまたもやカオウの姿が消える。


「次はどこだ?」


 すぐさま近くに現れるかと思いきや、それからカオウはしばらく姿を現さなかった。気配を探るもただ風と草の音がするだけ。

 透視能力を使いたかったが、能力にかまけると五感が鈍り、一瞬がものを言う勝負では命取りになるから使えない。


 代わりにギジーが目を閉じてカオウの気配をさぐった。

 上級魔物に姿を消されたらさすがに見えはしないが、あたりをつけることはできる。


 頭にある風景が浮かんだ。映像の中には一人の少女、ツバキが見える。ツバキは早くも飽きてきたのか近くにいた猫の下級魔物と遊んでいた……が、誰もいない空間に話しかけている。ということは彼女の隣にいる。


 あの野郎この状況でと思った瞬間映像が消え、突然トキツの顔がドアップになった。


『前!』


 ギジーの声でトキツは反射的に前を斬りつけた。危険を察知したカオウは跳躍しトキツの背後を取る。が、予測していたかのようにトキツはくるりと後ろを向いてそのままカオウの横腹を斬った。


 かろうじて避けたカオウの服が裂けている。驚く暇を与えず武器を振るう。剣ではなく、隠し持っていた別の武器。


 パタリとカオウが倒れ、消えた。次に姿を現した場所はツバキの真横。

 

「カオウ! どうしたの!?」


 ツバキはカオウの体を揺する。カオウは体が自由に動かせないようで、額には冷や汗があふれていた。


「心配ない。ただのしびれ薬だ」

 

 ふう、と息を吐くトキツ。

 手首に仕込んでいた小型の吹矢をしまい、肩に乗ってきたギジーへ魔力を与えながらカオウたちの方へ近づく。


 ツバキもカオウへ魔力を与えるため彼の手を握りしめた。


「数分は起きられないよ」


 魔物用に調合した特別な薬なので、魔力を与えてもすぐには元に戻らないはずだ。


 普通の魔力だったなら。


 ツバキの手首から魔力が金のモヤのように伸び、カオウの体へ吸い込まれていく。

 これだけなら他と変わりないが、量が尋常じゃなかった。魔力の粒子は糸のように二センチほどの太さに集まってカオウの左腕に絡みついている。


 カオウのしびれは数秒で完全に消えた。動けるようになったカオウは大の字で寝ころんだ。


「あーくそ。なんだよ見かけによらず強いじゃん。さすがロウの親戚ってことか。あんたらの一族みんな元魔物だったりしない?」


 かわいらしい顔をして大層失礼なことを言う。


「楽しかったから、俺の能力を教えてあげるよ」

「瞬間移動じゃないのか?」

「まーな。だけどそれだけじゃない」


 カオウは起き上がるとトキツとギジーの手をつかむ。

 あんたらなら多分大丈夫だと思うけど、と意味深なことをつぶやいた途端、トキツの視界が真っ暗になった。


 暗闇の中をぐるぐると回転するように落ちている。いや、上がっているような気もした。上下の判別ができず胃が体の中を動き回っているように感じ吐き気がこみあげてくる。頭がガンガンと痛み出し、体の節々が引きちぎられそうなほど痛い。

 これはあれか。罠にはめられたのか? 死ぬのかな俺。そんな考えが頭をよぎる。


「目を開けていいよ」

 

 声をかけられるまで閉じていたことさえ気づかなかった。

 ゆっくり目を開けると、暗闇の中に浮かぶ机があった。他にも高価そうな額縁や調度品、金貨がつまった箱、古ぼけたおもちゃ、果物までが浮かんでいる。


「どこだここ」

「ここはおれの空間」

 

 いつの間にか隣にいた。


「空間を操るっていうのかな。瞬時に移動できるのも、別の場所への空間をつなげられるからだし、ここみたいに何もないところに自分だけの空間を作り出すこともできるんだ。長時間他人が入ると気が狂うみたいだけどねー」

「お、おい早く出……」


 眩しい光が目に差し込んできた。

 戻ったことは分かったが、足に地面の感覚が蘇ってくると、その場に嘔吐する。   


「大丈夫?」

 

 ツバキに背中をさすられる。

 皇女様に背中をさすられるなんて畏れ多いことだがそんなことを気にする余裕は爪の先ほどもない。


「カオウったら。口で説明すればいいでしょ」

「実際に入った方が分かりやすいかと思ってー」


 絶対に仕返しだろ……という言葉は声にならないまま、意識が途絶えた。


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