第18話 葛藤
あれほどジョージに恋焦がれ、そのジョージに扮したフレデリック王子と婚約し、何の問題もないように思われたが、ソニアにとっては、まさにそのことが一番の気がかりだった。自分が皇太子の妃になることは、ソニアの人生にとっては大問題だった。姉のイザベラや取り巻きの女性たちのようには、単純に喜べない。それほど妃になることは、自分の人生に重圧となってのしかかってくることだ。できるなら、避けたかった。しかし、自分を純粋に好きになってくれた陛下の気持ちを踏みにじるようで、それもつらい。ソニアは、新たに生じた悩みに押しつぶされそうになっていた。
また一週間が過ぎ、劇場へ行く日が来た。姉のイザベラが、気を回して声を掛ける。
「ソニア、カウンターにいらっしゃる陛下に声を掛けなくていいのかしら?」
「ええ、じゃあちょっとご挨拶だけしてくるわ」
「そうなさいよ」
カウンターの隅にいるフレデリック王子に扮したジョージに声を掛けた。
「フレデリック王子様、こんにちは」
「おお、ソニア様ですね。御機嫌よう」
「お元気でいらっしゃいますか」
「はい、ソニア様もお元気そうで何よりです」
「それでは、失礼いたします」
あら、そんな他人行儀なご挨拶だけなの、という表情のイザベラを尻目に、楽屋へ忍び込んだ。
入る時に、少し躊躇してドアをノックした。以前ははやる気持ちだけで扉を開けていたのに、自分の心の変化がなんだか嫌になる。私は元々フレデリック王子様を好きになったのに、こんな気持ちになるなんて、ソニアはどんどん自己嫌悪に陥った。ジョージがフレデリック王子だとしても好きなことには変わりないのに。
「どうぞお入りください。お待ちしていたんですよ」
「お、お会いしたかった。これは本心です」
「分かります。ソニア様の気持ちは。今の私には、その気持ちだけが支えです」
「本当に歌がお好きなのですね」
「そう、だからこんなことになってしまいました。ソニア様にひどくショックを与えてしまって、申し訳ない」
「謝ることはありません。そのお気持ちは私にもわかりますから。私も歌が好きなので……」
「一緒に歌いたいです。ステージで」
やはりまだ一緒に歌いたいという気持ちは変わっていない。でもフレデリック王子と結婚してしまったら、ステージで一緒に歌うことはできないだろう。
「いつかあなたと歌いたい。ソニア様もそうお望みくだされば……」
「はい、私もそうできることを望んでいます」
「ありがとう」
フレデリック王子は、素顔に戻ってソニアに向き合おうとしていた。
「いつもここでお会いするばかりでしたので、今度は宮殿にいらしてください。来てくださいますね」
フレデリック王子は、じっとソニアの瞳を見つめている。ソニアはその瞳の奥に吸い込まれそうになり、断ることが出来なくなった。かつらを取って髪の色が金色に変わっても、瞳は同じだ。自分に対する思いも同じだと信じられる。
「はい」
ジョージだと思っていた時も、楽屋以外の場所で会えればと願っていた。
「ここ以外の場所で会いたかったでしょう?」
「……ええ」
「短いお返事ばかりですね」
ソニアが椅子に腰かけていると、フレデリック王子はすぐ前に椅子を持ってきて向かい合う形で座った。膝の上に乗せたソニアの両手を外側からすくい上げるように取り、自分の手のひらの上に乗せた。
「柔らかい手ですね」
「殿下……」
「フレデリックと呼んで下さい」
「フレデリック様」
「はい、その方がいい。もう少しここにいらしてください。幕間の時間だけでは短すぎますから。ソニア様から頂いたハンカチ大切に持っています。ただし、僕のイニシャルじゃないんですけど」
拗ねたような顔も憎めない。
「そうでした。もう一度フレデリック様のお名前で刺繍します」
「じゃあ、お願いしますね」
王子は、ソニアの手を包み込むように自分の手のひらに乗せて、そっと握った。ソニアが今まで持っていた王子の印象が大きく変わった瞬間だった。王族方というのは、もっと強引で強くて自分の決めたことに相手を従わせるものだと思っていた。自分の入る隙間などは無いのだと思い、敬遠していた。
「何を驚いているんですか? 手を握ったのは初めてではありませんよ」
「そ、そうでした。わたし、王子様というのは、もっと強引なやり方をするものだと思っていたので。色々なことを命令されるのではないかと……でも、誤解していました」
「それは、褒めてくださったのですね。私は、そうではなくてよかったと」
「そうです」
「ソニア様の本心が聞けて良かった。あなたがためらった理由がわかりましたから」
「私がもし、フレデリック様と結婚できないとしたら、それはすべて私が原因ということです。もしそうなったら、私を責めてください」
「そんなことは僕がさせませんよ。力ずくではなく、ソニア様に断らせないようにします」
「まあ、凄い自信をお持ちですね」
「自信はありませんが、私の願いです」
二人はひざを突き合わせ手を握り合ったまま、第二幕が始まっても話し込んでいた。
「このままボックス席に二人で行ってしまいたいですが、そうもいかないでしょう。では、馬車があなたの家へお迎えに行きますので、是非いらしてください。その時までしばしお別れです」
「あのう、王宮の馬車というとあの派手な馬車でいらっしゃるんですか?」
「いえいえ、地味な馬車で、執事だけで迎えに行きますのでばれることはありませんよ」
「分かりました。では、必ずお伺いします」
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