第22話

「いるか?」

 村の周囲を囲む麦畑を抜けて、森との境界あたりの茂みに向かって声をかける。

「ここです」

 小さな返答があって、その声のしたあたりから、トールとヴァンネーネンが現れる。大人二人が隠れられるほどの茂みではないのだが、間にしゃがみこんで隠蔽の魔法を使えば、そこにいるとはじめから知っていなければ発見できない。

「どうだった?」

「うーん」

 トールの質問にすっきりした返事ができない。

「まあ今のところは大丈夫だろう。外からしか見ていないが、普段来ないような旅人がいる様子はなかったと思う」

 トールから、預けていた俺の外套や荷物を受け取って身に付ける。

 俺たちは、ようやくルーランスンの森のそば、俺の故郷の村に到着していた。

 しかし、この三人で普通に村に入ると、田舎の村ゆえ確実に村人の印象に残ってしまう。

 俺自身は故郷に戻るのは数年に一度だ。わずかな親戚以外には顔を覚えられていないはずなので、まず単身で村に入り、従姉妹のやっている宿屋を見てきたのだ。

 ギンニール姉妹との一件以来、途中の村や集落には極力近寄らないでここまで来た。物資の補給でやむなく立ち寄る際も、俺一人で訪れるようにしたのだ。若者と女性連れの三人より、中年男一人の方が印象に残りにくい。

 その程度のことで撒けるはずはないし、正直なところ時間稼ぎになるかも怪しいのだが、何もしないよりはマシだと思いたい。

「畑の中を行けば、通りに出ずに宿の裏庭から入れる。日が暮れてから向かおう」


 ヴァンネーネンの隠蔽の魔法も使いつつ、低い板壁に囲まれた宿の裏庭になんとか入り込んだ。

 宿屋はこの辺りのよくある建築様式で、木造の一応二階建てだ。

 ルーランスンの森を背後にしているから、木材はさほど高額ではない。それでも、この宿屋をここまでにするには、叔母夫妻の並々ならぬ苦労があったのだ。

 さて問題はここからで、裏庭には台所に入る扉があるのだが、いきなり開けては驚かすだろうし、宿泊客がいるかもしれない以上、騒ぎになるのはまずい。どうするべきか……

「おじちゃん!ジャスおじちゃんだ!」

 あ、いきなり見つかったわ。


「おじちゃん帰ってきたの?まだ冬じゃないよ?」

 母屋の脇を通って表から裏庭に来たらしい少女が、俺たちのしゃがみこんでいる薪小屋の方へ駆け寄ってきた。

「あー、そういう時もあるんだよ。ルルネ、ちょーっとだけ、ちょっとでいいから、小さい声で話そうな」

「うん!」

 元気なお返事、えらいぞ!でもちょっと声小さくしような!

 それを俺も小声になって言うと、ルルネはハッとしたようになって、今度はひそひそ声で「小さく話す、小さく話す」と繰り返した。

「隠し子かな……?」

「隠し子ですね……」

「そこの二人、聞こえてんぞ。……ったく、この子はルルネリップ。俺の従姉妹の娘だよ」

「こんにちは、ルルネだよ。ジャスおじちゃんのお友達?」

 無邪気な様子でルルネが挨拶する。

 しっかりしてきたよなあ。いくつになるんだっけ、七歳か八歳?

「ヴァンネーネンです。こんにちは、ルルネちゃん。ジャスレイさんとは仕事の知り合いです」

「トオルだよ。オレはー、ええとお……ジャスの、そのー」

 なんでそんな言いにくそうなんだ?

「こいつが今の俺の仕事の相棒。なあルルネ、母さんとばあちゃんは中にいるのか?」

「ばあちゃんは今、ヨリアイに行ってるよ。母さんはごはん作ってる。ルルネは薪を取りにきたの」

 てことは、ルルネがあまり遅いと不審に思われるってわけか。

「今日はお客さんはいるか?」

「うん。おじさんが二人いるよ。商人さんだって!」

 少なくともギンニール姉妹ではなさそうだ。

「よしルルネ、薪を持って戻ったら、母さんをこっそりここに呼べるか?おじちゃんが戻ったって、内緒で教えてあげてくれ」

 ルルネは神妙な顔で了解し、台所の扉から中に戻って行った。

「結構立派な宿屋ですね」

 ヴァンネーネンが感想を漏らす。

「まあな。この村には宿屋はここだけだし」

「街道はここで行き止まりぽかったけど、お客ってどういう人たちなの?」

 トールの疑問はもっともだ。というかそういうのがわかる程度にこいつも馴染んできたんだなあ。

「ルーランスンの森の向こうに、ウェンエルン山脈があって、それを超えると、ムルフニ王国領に入る。『湖』方面から来た旅人は、だいたいこの村で宿を取って、物資なんか補給して北か南のどちらかから森を迂回していくんだ」

 一応それらの需要で成り立っている宿屋である。

「山脈に向かわず南北にそのまま進んでも、少し大きめの町がありますよね?」

「そうだな。距離的にはニルレイの街とさほど変わらない」

 この辺りの地理について話していると、扉が開いてルルネと俺と同年輩の女性が出てきた。

「やだ、ほんとにジャスだわ」


 俺たちは台所に通された。

 客と顔を合わせるのはまずいと言ってあるので、夕飯を出してしまうまで台所の隅で息を潜めて待つことしばし。

「あらためて……俺の従姉妹のフィンルーイだ」

 客が部屋に引き上げたのを見計らい、お互いに自己紹介となった。ルルネは寝るように言いつけられて、渋々寝室に引き上げている。

 ヴァンネーネンがルルネにしたのとほとんど同じように名乗ったのに対し、トールはなぜか照れたような様子で俺の相棒を名乗った。

「よろしくね。あたしのことはフィンでいいわよ」

 台所の調理台の周りを片付け、食堂から持ち込んだ丸椅子に座った俺たちは額を寄せ合って話している。客室に声が響いてはまずいので、自然、会話も小声になる。

「急に来ちまって悪かったな」

「別にいいけど、去年の冬に来たばっかりだから、あと二年は顔を見ないと思ってたわよ」

 確かに俺は基本、故郷に帰ってくるのは冬で、しかも数年おきなのだ。野宿は死ぬかもしれない季節、街で宿屋に泊まるのは金がかかる。しかも冬は依頼も減るので、毎年宿屋暮らしは厳しい。

 その点、ここへ帰ってくれば、少なくとも屋根のある場所で寝られる。叔母とフィンルーイ親子は、冬の間はかまどのあるこの台所で寝るので、俺は彼女らの居間兼寝室を借りられるわけだ。当然火の気がなくて冷えるが、温石を抱えればなんとかなる。

「ちょっと事情があってな。今回は迷惑をかける可能性があるから、泊めてもらうつもりはないんだが……」

 はじめは泊めてもらおうと考えていたが、追手のことを考えると、よした方がいいという結論になった。正直金もあまりないしな。

 フィンは呆れたような顔になった。

「あんたまた厄介ごとに巻き込まれてるの?今回は何よ?」

「多分聞かない方がいいぞ。というか、俺たちが来たことが村でバレるのも正直まずい」

「ちょっと……まさかなんか、人の道に外れるようなことをしたんじゃないでしょうね?」

「それはねえから安心しろ。しばらくこの辺りを拠点にして、調べものをする。だがおおっぴらに村を歩きたくないんで、食料やら物資の調達だけ、定期的にさせて欲しいんだよ」

 このあたりの方針は、道中話し合って決めたことだ。幸いまだ野宿で問題ない季節なので、夜は森と村の境界あたりで過ごす予定でいる。

「まったくもう……あんたたち男どもはいいでしょうけど、こんな若い女の子連れて何言ってるのよ。この子だけでも泊まるわけにはいかないの?台所で良ければ、宿代は取らないわよ」

 フィンの提案は検討に値する話ではあった。

「どう思う、ヴァンネーネン」

「すごく魅力的なお誘いですけど、ジャスレイさんの身の安全を考えると、毎晩はちょっと」

 まあそうか。彼女は俺のお目付役であると同時に、ヴーレが現れた時には貸し与えられた魔法の道具で俺を守る護衛でもある。

「そもそもの時も、相手が引いてくれなかったり、怪物に勝てそうもなかった場合、お二人を連れて逃げるつもりでしたから。道具が使い捨てで高価なものなので、本当に死にそうにならないとやりませんけど」

「あんまり敵前逃亡それをやっちまうと、俺の冒険者としての評価が悲しいことになるな……」

「そんなのはどうでもいーです。特にこの村は目的地の近くですから、前回の町と違って何が起きてもおかしくないと思いますよ」

 フィンがいるので具体的な単語は出さないが、ヴァンネーネンがヴーレが姿を現すのを懸念しているのはわかる。

『湖』を離れてからも何の音沙汰もない時点で、ヴーレは合意剣を餌にシバラの居所を突き止めるつもりなのではないか、という予測はあった。

 ある意味、相手の思うつぼの行動を取っているのはわかっている。それでも俺が生きているうちにエルフを殺せる武器から解放されるには、他に方法がない。

「よくわからないけど……あたしは食料とかを融通すればいいのね?」

「きみら三人の安全を考えれば、そのくらいの協力を頼むのも心苦しいんだが、さすがに食料調達ばっかりはな。もし俺のことを尋ねる冒険者だのが現れた場合、危ない奴らの可能性が高い。抵抗しないで俺の行方を話して構わない」

 ヴーレのことだけでも十分面倒なのに、ギンニール姉妹のせいで話のややこしさに拍車がかかっている。あの二人が人質をとることに何のためらいもないとわかっている以上、この宿屋の三人の安全には注意しなければならない。

「宿屋の表に誰か来ました」

 ふいにヴァンネーネンが頭を巡らせて言った。何らかの魔法で宿屋の周囲を警戒していたらしい。

「多分、母さんが帰ったんだわ。表を開けにいくけど……」

「叔母さんを脅かしたくないな。俺がいるって先に教えてからここへ連れてきて欲しい」

 叔母のテルミエルは俺の帰郷を喜んでくれて、泊まらないことを納得してもらうのにそこそこかかった。

 俺たちは食料をあれこれ持たされて、その夜の野営場所を探して宿を後にしたのだった。

 

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