第10話
エンドレキサは教会の拠点に向かうというので、ミラロー遺構の大体の位置を教えてもらって別れた。俺たちが帰るときにまだこの街の拠点にいれば、直通の転移に便乗させてくれるとのことだった。もちろんタダではないが。
その後、忠告に従って飲み水を仕入れてから、街を出発することにした。
俺たちが到着した時には、エンドレキサは慣習に従って転移門をこの街の役場に開いた。だからトールは街の外に出て初めて、マードブレの周囲の風景を見た訳だが……
「すっげ……」
ニルレイの街に着いた時同様、今度は外の景色に感銘を受けていた。
マードブレは鉱山の街だ。岩だらけの山にへばりつくように街があり、そして街の外は、切り立った赤茶色の岩場がどこまでも続く渓谷なのだ。
「マードブレがこの辺りでは一番大きな街だ。人族の街道のどん詰まりだな。あとは、歩いて半日とか一日くらいの場所に、いくつか他の鉱山と、周囲にできた小さな町とか村とか……そんなとこだな」
「なんかオレさ、こっち来てから割と田舎者扱いされるけど」
「そうだな」
「いや実際田舎者じゃねえけどさ。でもオレはここでだけじゃなく、元いたとこでも何も知らなかったんだなって、今思ったよ」
「どういうことだ?」
「こういう風景さ……あっちでも多分、あったはずなんだよ。本とか、そういうので見たことあった。でもオレは実際には、生まれた街と、家出してから住んでた街しか知らなかったんだ」
やや不穏な単語が混じったが、本人が話したくなるまで詳しくは聞くまい。
「これから、生きてりゃどこにだって行けるよ。街や村に根を下ろさない暮らしをする、冒険者ってのは、そういうもんだ」
幸い、岩喰鮎に遭遇することもなく、一日目の日が暮れる頃になった。
とはいえ寝ている間に地面から飛び出してきた岩喰鮎に背中を穴だらけにされてはかなわない。その日の野営は、胸くらいの高さのある大きな岩の上の、なんとなく平らになった場所で行うことにした。人族二人と、小さな焚き火がぎりぎり乗るくらいの広さはある。
「このくらい硬い岩なら、もし夜中に岩喰鮎が出ても、岩を掘り進む音で目が覚める」
「え、掘れないから安全とかじゃないの?」
「ない。凄い音がするから、起きて逃げる」
「なんか……基本逃げるとかコッソリ近づいて不意をつくとかばっかなんだな……」
「あのなあ、退治を依頼されてるならともかく、歩いてて出会った怪物といちいち戦ってたらキリがないぞ」
もしやこいつも、モルドリッケやエンドレキサと同じで、冒険者に妙な幻想抱いてるクチか?
「大人数の一団で、足弱の構成員を抱えてるとかなら、出てきたもの全部倒すとかもあり得るのかな……いや、やっぱないわ。旅では魔法も薬も節約するものだしな」
「あ、魔法といえば」
言って、トールは岩の上で靴を脱ぎ始めた。
「見せたこと多分なかっただろ。ここ、見てろよ」
トールが指したのは、靴ずれとまめのできた自分の足だ。
「ふん!」
手をかざして気合いの声とほとんど同時に、魔法の匂いがふわりと漂った。それが消える頃には、トールの足は輿に乗って移動する貴族みたいにきれいになっていた。
「どーよ」
「魔法を練るの、めちゃめちゃ早くなってるじゃねえか」
トールの魔法を見るのは、血袋鼠騒ぎの村の村長夫人に使った時以来だが、あれからかなり上達している。
「まーね。てか、オレ前いたとこでは人より歩き慣れてる方だって思ってたけど、ジャスとかこの辺の人に比べたら全然なんだよな、実は」
それはうっすら気付いていた。かなり頑張っているのが見て取れたので黙っていたが。
「正直、アレドにこれを教えてもらって、練習がてら毎日自分に使ってなかったら、全然着いて来れてなかったかもしんねー」
日暮れに辛そうでも、休めば翌朝復調していたのはそういう訳だったのか。
「そういや、訓練する機会を考えるって言ってそれっきりだったか。悪かったな」
「別にいーよ。ってかあの後なんかバタバタでここまで来ちゃった感じだし」
トールは靴を履きなおし、街からの道中で見るたび拾い集めていた乾いた枯れ枝を組み始めた。
はじめは野営するにも、何をしたらいいかわかっていない様子が明らかだったが、だんだんこなれてきている。
短刀で枯れ枝の表面を削り、火をつけやすくしたものを用意するのも、いつのまにかトールの担当になっていた。
「はい、いいよ」
と言うので、軽く魔法を練り、積んだ薪に火をつけた。当たり前だがすぐに燃え上がり、俺とトールの顔を照らし出す。
「いつ見てもすっげえ便利」
「ほんとは良くねえんだけどな、魔法に頼りすぎるの。でも火打石で起こすの結構時間かかるんだよなあ……」
どうしても火が必要な状況で、魔法を使うだけの体力がない場合、自力で起こせないと、季節と場所によっては命に関わる事態にもなりかねない。だから本来はこんな横着をすべきではないのだが。
「いやでも、魔法使う体力もない時には、自力で火を起こす体力も残ってないんじゃねえかって思うんだよな……その時点で既に詰んでるんじゃ」
「諦めんなよ……」
トールは雑嚢から小鍋を出した。水筒の水を注ぎ、干し肉と香草一掴み、少々の塩と香辛料を振って、二人分の簡単な汁物が出来上がる。俺が一度作ったのを見て、次の時には自分がやると言い出して今に至っている。
ちなみに味は俺が作ったのと大して変わらない。つまり、美味いわけでも、食えないほどまずいわけでもない。
「そうだ、今日の昼間の話、詳しく聞かせてよ」
「ああ、そうだった、エンドレキサの話だな」
「うん。人族を作ったのはエルフ、って話」
エルフの存在を子供に教える時、まず間違いなく同時に話されるくらい、常識の中の常識だ。だが、トールの世界ではどうも人族の成り立ちからして違うらしい。
「エルフという存在についてから話そう。知能は極めて高く、人族とは比べ物にならないくらいの魔法を扱うことができて、体はこの世のどの生き物や怪物より頑丈で、しかも寿命すら持たない。この辺りは、前にも少し話したよな?」
「だな。正直最初はピンときてなかったというか、そんなのあり得るか?って思ったけど、実際にヴーレを見てわかった。なんか……単位の違う生き物、って感じがする」
「単位?」
「うまく言えねーんだけど……これは例え話な。オレらの目に見えない、すげー小さい生物みたいなのが、実際にはそこら中にいるって、オレは学校で習ったんだけどさ」
多分だけど、この世界もそうなってんじゃないかな。とトールが付け足す。
「その概念は一応聞いたことはある」
「まあそういう小さいやつは、こっちからすると、ろくに見えないし、取るに足りないものみたいに思える。見た目は割と近くても、エルフとオレら人族って、実はそのくらい違う存在なんじゃねーかな。さっき言ってたエルフの特徴は、それだと納得いくんだよな」
「なるほどな……例えば、ごくごく小さい虫だのから人族を見ると、寿命は長いし、とてつもなく頑丈でとんでもないものに見える、ってな話だな?」
「そう。まあそういうことでオレは納得した。悪い、話がそれたな。続けてよ」
たびたび思うことだが、本人はあんまり頭が良くないと自称する割に、トールの理解力はかなり高い。元いた世界では高等な教育を受ける生まれだったのか、あるいは皆が高等な教育を受けるほどに発展しているのか。
「とにかく、エルフはこの世に現れた時からほとんど完璧な存在だった。だが、彼ら自身は、自分たちの起源を知らなかった。最初から完璧だったのにどうしてか?ってとこは、人族には明かしてくれないんだよな。奴らが言うには、人族がまだ知るべきでないことなんだと」
「知るべきでない、ねえ……」
「エルフはこの世界の成り立ちや、ものごとの法則、高度な技術について、人族に『いつ、何を』明かすのか、相当厳密に管理してるらしい。あちこちの里のエルフが集まる会議での議題にもなるんだとか」
その姿勢を気に入らない人族は少なからずいて、エルフに戦争仕掛けようとする動機にもなるわけだ。
「それでも明らかに間違った学説だの、人族の存続に関わるような衛生上の無知だのには、一応待ったをかけてくれる。例えば、この世界が球体なのか平らなのかって論争で、平面説が主流になった時には、訂正しに来たって逸話がある」
「え、あー、そうか……なるほど」
トールは驚き、何か考え、そして納得したようだ。
「あれ、まさか向こうは違ったのか?」
「いやそこは同じ。なんとなく勝手に、こっちの世界でその辺の正しい知識っての?は広まってないんだと思い込んでた」
「エルフがやってきてどちらが正解か断言してなけりゃ、今も論争中だったのかもな……話を戻そうか」
脱線しつつ俺がトールに語ったのは、次のような話だ。
尽きない寿命を持つエルフは、彼らの種族が抱えるさまざまな問題を膨大な年月をかけて解決していった。
だが、彼ら自身がどこから来たのか、この世界の他の生き物や、怪物とすら、なぜこうまで異なるのか。それらについての探究は続けられたが、成果は上がらなかった。
また、彼らの唯一の欠点であった、出生率の低さも、原因はわからず克服する方法も見つからなかった。
そこで、彼らは別の方向から生命の研究を行うことにした。
それが知性を持った種族の創造だ。
エルフに似た姿形の生き物となるよう、元となったのは猿だった。野生の動物に魔法で手を加え、進化を促したのだ。
そうして、俺たち人族がこの世に誕生した。
だが、エルフは人族を彼らほど優れた生き物にすることはできなかった。この世界の尋常の動物と同じように、寿命を持ち、脆弱な肉体で、反面、繁殖には優れている。
彼らはおそらく、それなりに人族に期待していたはずだ。その分、失望も大きかったのだろう。実態として、エルフは新しい種族の創造という研究はそこで放棄している。
目指したものにならなかったことで、エルフの中でも、人族をどうするのかはかなり長い間揉めたようだ。どのくらい長くかというと、人族がエルフを数で凌駕するほど増え、独自の社会を築き始めるほどの年月だ。
当然、人族の方にもエルフの庇護下から離れて自由に生きることを求める勢力が現れた。
その頃には既に、人族はエルフの里に収まるような規模ではなかったので、外の世界に村や街、国を作っている。
エルフによる干渉を断ち、人族は人族の統治で暮らしたいというのは、闇雲にエルフを厭うようなものではない。なにしろエルフと人族では流れる時間が違いすぎたのだ。
確かにエルフの深い思索と叡智をもってすれば大概の問題は解決する。ただし、かかる時間を問わなければ。つまり、人族は原始的な社会制度を作り始めるに至ったが、そこで起きる諸問題の解決をエルフに任せるには、人族は数が増えすぎ、そしてエルフの時の感覚では間に合わない事態が多すぎた。
結果としては、エルフは人族を支配するのをやめ、干渉も最低限とすることにした。
以来、人族とエルフはお互いに距離を模索し続けながら今日に至る。
その過程で、エルフに戦争を仕掛けたり仕掛けようとしたりして、怒りを買って国や王が滅ぼされた話は既にトールにもした通りだ。
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