第54話 窓
会社の歓迎会が終わり、深谷さんが自宅近くの駅に着いたのは、もう日付も変わろうという頃だった。
小腹が空いていたので、何かちょっと食べるものを買おうと、彼は駅前のコンビニに入った。サンドイッチを持ってレジに並びながら、ぼーっと店の外を眺めていると、すぐそこの歩道を深谷さんの奥さんが歩いていくのが見えた。
見間違いかと思ったが、顔、服装、体型、どれをとっても奥さん本人に思える。
急いで会計を済ませると、深谷さんは奥さんらしき人物の後を追った。少し走ったところで、華奢な背中が暗がりに浮かび上がった。
後ろ姿といい歩き方といい、やはり本人にしか見えない。
声をかけようとしたが、ふと思いとどまった。彼女には、こんな深夜に散歩をするような習慣はない。もしかして自分に何か隠していることがあるのではないか……さらに言えば、まさか浮気では? と疑ったのだ。
奥さんは急ぐでも、後ろを気にするでもなく、ただ夜道を歩いていく。深谷さんは時々物陰に身を潜めながら、その後をつけていった。
しばらく歩いたところで、奥さんは近くの家の中に入って行った。自宅からそう遠くない場所だった。
深谷さんは驚いて、その家を見上げた。この家は二人が引っ越してくる前から空き家になっているはずだった。見るからに古い家で、日に焼けたカーテンが窓にかかっている。庭も荒れており、空き家というよりは「廃屋」という感じのたたずまいだった。
一体なぜこんなところに、しかもこんな夜更けに一人で来たのだろう?
玄関に鍵はかかっていない様子だった。すぐに後を追おうと玄関に駆け寄った深谷さんだったが、ドアに手を伸ばしかけた瞬間、ふと足が止まってしまった。なぜかひどく嫌な感じがしたからだ。
何かが自分が来るのを知っていて、この中で待ち構えている……そんな予感があった。
どうしても、真っ暗な家の中に入って行く勇気が湧かない。
どうしよう、と逡巡しながら、ふと目線を横に逸らした。
玄関の扉の横に、縦に長い窓がある。
その窓にくっつくようにして、いくつもの顔が深谷さんを見ていた。
一番下に、奥さんにそっくりな顔があった。他の顔と同じように、何の感情もないような目でこちらを眺めている。
深谷さんは短く叫び声を上げると、走ってその家から逃げ出した。
這う這うの体で自宅に帰ると、パジャマ姿の奥さんが出迎えてくれた。もちろん、出かけてなどいないという。
その後、よく晴れた明るい日中に、深谷さんはくだんの廃屋の前まで行ってみた。
どの窓も曇って汚れていたが、玄関の脇の窓だけはやけにきれいだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます