偵察中な暗殺者たち⑴

 沈み行く夕日に空が茜色に染まり、人々が家へと足を向ける頃、セレスティナも同様にフラウデン伯爵邸へと帰宅していた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 門で彼女を迎えた老執事は恭しく頭を下げる。


「ただいま戻りましたわ、セバス。そしてわたくしは伯爵でしてよ」


「心得ておりますとも、お嬢様」


 二人はすっかりお決まりとなったやり取りをしながら屋敷へと入っていく。

 庭師によって美しく整えられた屋敷を囲む庭園には、色とりどりの季節の花が咲き乱れている。新しい苗を植えていた庭師はセレスティナを見つけると帽子を脱いで挨拶をするために立ち上がろうとした。


「作業の邪魔をしてごめんなさいね。わざわざ立っていただかなくてもよろしいのですから。ぜひともそのまま続けてくださいな」


 アクアマリンとローズクォーツのオッドアイを柔らかく細めた家主の言葉に、庭師はありがたいと頭を下げた。




 侍女長のソリスによって華美な外行きのドレスから動きやすいワンピースに着替えたセレスティナは、執務室にセバスを呼ぶ。


「お呼びでしょうかお嬢様」


 できるベテラン執事のセバスはすぐに執務室に現れた。


「イノデス伯爵家に手紙を出してちょうだい。オクタヴィア嬢にわたくしをご自宅へ誘うようにと」


 彼女は敵情視察のため、暗殺現場となる王都のイノデス伯爵邸に乗り込むことにした。ついでに丁度いい機会だからと他の令嬢たちにも自分を自宅に誘うよう催促の手紙を出すように告げる。この際、«社交界の花»の継承者候補を全部回ることにしたのだ。すでに夜会や舞踏会、そして学院での成績などを考慮して候補は絞ってある。しかし、決め手がないためにまだ花を渡せていない。


「かしこまりました。オクタヴィア様には、なるべく早めにお呼びいただけるよう催促の手紙を出しておきましょう」


「ええ。そうしてちょうだい」


 彼女の意図を汲んだセバスは早速手紙の準備に取りかかった。

 その日のうちに手紙はオクタヴィアの元へと届く。かの«社交界の花»からの手紙に驚きや喜びと共に困惑する彼女だったが、セレスティナからの申し入れを無下にはできないため、すぐに承諾の返事をフラウデン家へと送った。セレスティナアクリュスに暗殺任務が降りてから三日後のことだった。




「任務の事前調査だが、明後日にフラウデン伯爵邸へ向かってほしい。フラウデン伯爵がイノデス伯爵家へ向かうことになっているから、それに同行してもらいたい。あいにく、私はこれがあるせいで偵察には向いていないのだ」


 オクタヴィアからの返事を受け取った翌日、詰所でアクリュスはルグランジュにイノデス伯爵邸への偵察を頼んだ。自分のことを他人のように言うのは何だか不思議な気分ではあるが、もう何年も続けているため慣れたものである。


「また«社交界の花»? 君って本当に不思議な人脈持ってるよね。«魔導技師の鬼才»も知り合いだしセバスモデル持ってるし。社交界の護衛はやってないのにどうしてそんな人脈が広いわけ?」


 側にいたクラテスが感心するようにぼやく。そのぼやきにルグランジュは今までアクリュスの姿をあまり見たことがなかったことに納得した。誰も彼女がその役目を免除されていることに疑問を持たないが、第十三番隊の中ではとある無垢な令嬢を落として客室に連れ込んでよろしくしたという前科があるレージュがなぜ役目から外されないのか、本人とそのことを知らないルグランジュ以外は疑問に思っている。


「女は秘密がある方が美しいのだろう?」


 冗談めかして言うアクリュスに、答えてはくれなさそうだとクラテスは言及を諦めた。


「フラウデン伯爵と言えばあのセレスティナ嬢のことですよね? 彼女は俺たちのことを知らないのでありませんか?」


 ルグランジュの最もな質問に、アクリュスは満足そうに頷いた。セレスティナは第十三番隊暗殺部隊について知らないことになっているので、ルグランジュが行くといろいろ誤解を招きかねないのである。


「その点は問題ない。伯爵は皇帝陛下の協力者だ。そして暗殺部隊についてはその執事のセバスが知っている」


「ちょっと! 今セバスって言った? 君そう言ったよね?! 自分には何にも教えてくれないのに何でそんなに易々とルグランジュには教えるんだい?!」


 セバスに食いついてきたクラテスは、あどけなさが残る顔をアクリュスに近づけてきた。好きなことに興味津々な少年にしか見えないが中身は四十代のオッサンである。アクリュスは近い、と言ってその顔を押し返した。


「セバスはクラテスが言うようにセバスモデルの作り手だ。先日見せたマナキャンセルを提供してくれているのは彼だから覚えておくといい。個人的に魔導具の作成を依頼するときは気を付けろ。ぼったくられるぞ」


 クラテスの質問をまるっきり無視して、アクリュスはセバスのことをルグランジュに説明する。彼女が二日ほど前にルグランジュに見せた魔導具のマナキャンセルは、発動させると辺りの残留魔力を全て消してくれるという優れもの。暗殺の証拠が残らないようにするためにはうってつけの魔導具である。欠点を上げるとすれば、発動させてから三秒以内に身体から離さないと、接触している物体の保有魔力を消してしまうため、死に至るといったところぐらいだ。


「ぼったくられたのですか……」


 最後の部分がアクリュスの経験談だと悟ったルグランジュは、自分はぼったくられないようにしようと肝に命じた。




 イノデス伯爵邸訪問当日。お忍び装束のルグランジュは単身でフラウデン伯爵邸を訪ねていた。俗に貴族街と呼ばれる区画に位置するフラウデン伯爵邸を訪ねるような人間が、平民のような格好をしているわけにはいかない。そのため、彼の服装は控え目ながらも上等な素材が使用されたものだった。ネイビーのギンガムチェックのベストに落ち着いたワインレッドのジャケット。ココアブラウンのパンツを合わせた彼はどこからどう見ても一介の紳士にしか見えない。茶髪の鬘を被り黒淵眼鏡をかけているため、普段の皇弟オーラが押さえられていた。


「ご機嫌麗しゅう、皇弟殿下。この度はこのような場所まで足をお運びいただき光栄に存じます。お忍びと伺っておりますので、失礼ながらこちらの執事服に着替えていただけますでしょうか」


 裏口からルグランジュを迎え入れたセレスティナは、セバスに持ってこさせたフラウデン伯爵家の執事服を差し出す。さすがに未婚の女性、しかも皇帝から言い寄られている«社交界の花»のセレスティナが男連れでイノデス伯爵邸へ向かうわけにはいかない。そのことを理解しているルグランジュはすぐに承諾すると部屋を借りてセバスの手を借り執事服を着た。


(何を着ても似合う方というのはこのような方のことを言うのね)


 執事服に着替えたルグランジュを見てセレスティナはそんなことを考えた。茶髪に眼鏡姿で野暮ったく見えるはずが、執事服といい具合にマッチしており、彼を若いがやり手の執事に見せる。


「違和感ございませんか? セレスティナ様」


 優雅に礼をしてみせるルグランジュは本物の執事のようにセレスティナの名を呼ぶ。流れるように美しい礼にさすがの彼女も思わず見とれてしまった。


「え、ええ」


 もっと称賛の言葉を紡ぐべきだと分かっていながらも彼女が上手く言葉を紡げずにいると、ルグランジュは苦笑して彼女に手を差し出した。


「参りましょう、セレスティナ様」


 普段はセバスにエスコートを任せているセレスティナは、若手の執事(に扮しているだけなのだが)に手を引かれるのは久々だったために、らしくもなく緊張してしまう。しかも相手は変装してもそれが似合ってしまうような男。彼女は緊張を相手が皇弟であるからということにしてルグランジュの手を取った。




 馬車に揺られること三十分。イノデス伯爵邸に到着すると、まずセバスが馬車を下り、次にルグランジュが続いた。本来の身分を考慮するならばセレスティナが先に下りるべきなのだが、ルグランジュは彼女の執事として来ているため、セレスティナが最後に下りることとなる。


「お手を」


 またもルグランジュに差し出された手を取りセレスティナは下車する。笑顔のルグランジュを盗み見て、彼が楽しんでいるのではないかと彼女は疑った。

 実際ルグランジュはこの状況を楽しんでいた。普段は何かと気を使われる側の人間であるため、このようにして誰かに仕えるような行為は新鮮なのである。たとえこれが暗殺任務のためであると分かっていても。また、セレスティナが兄の想い人であることも彼に背徳感を与えていた。


(これは世のご令嬢方から恨まれかねないわね)


 対するセレスティナは自分が皇弟にこのような対応をされていることに内心頭をかかえていた。今日は彼と会ってからまだ一時間程度しか経っていないのだが、彼を執事として連れてきたことに後悔し始めている。


「ようこそおいでくださいましたセレスティナフラウデン伯爵様。応接間でオクタヴィアお嬢様がお待ちでございます」


 出迎えてくれた侍女が彼女たちをオクタヴィアの元へ案内する。これから偵察に入るのだとセレスティナは余計なことは考えずに背筋を伸ばした。

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