新人な皇弟⑵

 タナトスは中に入ると扉の鍵を閉め、防音の魔導具を発動させた。部屋の中央にある長机を囲むようにして各々席につく。それぞれ定位置が決まっているらしく、一番扉に近い席にフォボス。その隣にデイモス、クラテスが座り、デイモスの向かいにレージュ、クラテスの向かいにアクリュスの順で座っている。下座がフォボスで埋まっているため、ルグランジュがどこに座ろうかと迷いを見せると、それに気づいたフォボスが立ち上がった。


「ルグランジュはここっスよ。新人っスからね。オレはその向かいに座るっス」


 嬉々として席を譲った彼に、他の隊員は犬の耳と尻尾が見えた。しかし、それを口にするような野暮な人間はここにはいない。

 短く礼を言ったルグランジュが座ると、タナトスが本題に入った。


「まずは全員への伝達事項だ。西の属国で不穏な動きがある。駆り出される可能性を考慮しておいてほしい」


 西の属国。数年前にも備蓄や鉄鋼の取引量に変化があり、反乱を考えているのではないかと調査が入った。実際に反乱軍が組織されていたが、皇帝が経済制裁を加えたことですぐに鎮圧された。今回も恐らくそうなるだろうと考えたアクリュスは属国のことを頭の隅に追いやる。


「はあ~ぁ。かわいい女の子が良かったのに……」


 真剣なトーンで進む話をレージュが遮る。新人が男であったことにいまだに落胆しているらしい。


「いったいどこの好色オヤジっスか。行く先々で女の子たちを毎晩喰ってるじゃブヘッ」


 やれやれとわざとらしく首を振るフォボスの空気が読めていない発言は、クラテスの手元から飛んできた個体によって遮られた。その個体に一撃を食らったフォボスは情けない声を上げる。ルグランジュは彼が言いたかったことを理解したのか、何とも言えない表情だ。崇高な皇弟殿下がこんな下世話な話を聞くことになるとは……、と頭を痛めている者が若干二名。その二人は仮面の奥のアイスブルーの目と火傷に囲まれたゴールデンイエローの目を白けさせている。


「黙れ色狂い」


 そんな中、汚物でも見るような侮蔑の視線をレージュに浴びせる者が一人。デイモスはレージュの性癖及び遊び癖を、いつまでたっても受け入れられていない。


「仕方ないじゃない! ここには女の子がいないんだから!」


 鼻を鳴らして怒るレージュにアクリュスがすかさず突っ込んだ。


「待て。女がいないなど言うな。何度も言うが私だってれっきとした女だぞ」


「え?」


『え?』


 この詰所では聞きなれたアクリュスの抗議に、いつもは上がらない疑問の声が上がる。その声に誰もが疑問符を掲げた。

 いつもは上がらない疑問の声を上げたのは誰であろう、ルグランジュである。彼はアクリュスの見た目と魔導具で変えられた中性的な声から、彼女をとして認識していたのだ。

 そのことを瞬時に理解したアクリュスは己の得物大鎌に手をかける。仮面のせいで表情が読みづらいが、その身体から放たれる殺気で彼女が考えていることは誰もが嫌と言うほど理解した。


「アークーリュースー、ここで君に暴れられたら困るんだけど?」


 彼女の身体から殺気が放たれるだけで、ルグランジュの首がまだ落ちていないのは、クラテスが大鎌に干渉していたからだった。クラテスのおかげで大鎌はミニチュアサイズのままである。

 宥めているようで脅すような声に彼女は渋々殺気を消し、大鎌から手を離した。


「コホンッ……。あー、皇帝からの命令に移るぞ」


 低くなったタナトスの声に、全員が背筋を伸ばす。


「今回の任務遂行者はルグランジュ。サポート役はアクリュスだ。異論はないな?」


「大ありです」


 流れるように異論があると告げるアクリュスに、タナトスは予想していたと言わんばかりの目を向けた。彼がこの命令を受け取ったときに、絶対に反対されると皇帝から言われたからである。


「聞こう」


「なぜ私なのでしょうか。私は今までソロ活動しかしていません。バディ経験のない私には向いていないかと」


 なんとかして皇弟と関わることを避けたいアクリュスは最もなことを述べる。しかし、タナトスからはそれを上回る返事が返ってきた。


「デイモス、レージュは既に任務が入っている。クラテスは錬金術師協会の研究論文発表が入っているため無理だ。そしてフォボス。あれは論外だろう」


「えっ、待ってくださいっス! 何でオレだけ論外なんっスか?! ちょっと! 何でみんなして頷いてんッスか? アクリュスさんまで! 酷いっスよ!!」


 タナトスの容赦ない言葉にフォボスは酷いと喚く。しかし、タナトスが言っていることは事実であるため、誰も否定せず納得している。アクリュスも他の隊員に任務が入っており、残るのが自分とフォボスである以上、自分が選ばれるのは仕方ないことだと諦めるしかなかった。


「なら引き受けましょう」


 軽く頷く彼女にホッとしたのか、タナトスは少しだけ口元を緩めた。


「そう言ってもらえて助かる。ルグランジュも異論はないな?」


「ええ。俺は特に」


(『』?! 皇弟が『俺』ですって!)


 ルグランジュの普段ではあり得ない言葉遣いにアクリュスは内心驚愕する。他の隊員も珍しそうな顔で彼の方を見た。

 第十三番隊に限らず、帝国軍の兵は、定期的に宮殿で行われる舞踏会や夜会の警備に入っている。(アクリュスに関しては特例で外してもらっているが)そのため、第十三番隊の隊員は全員が皇弟としての彼を知っていたのだ。


「ではここからは任務内容だ。他の隊員は席を外してくれ」


 暗殺任務に関しては、暗黙の了解として自分の持ち場でない任務に関しての情報を知ることが基本的に許されていない。それに従って、アクリュスとルグランジュ以外の隊員は席を立って詰所から出ていく。行く先はそれぞれだ。例を挙げるなら、クラテスが研究所、レージュが侍女休憩室といったところである。もちろん目的はご想像通り。

 全員の気配が去り、足音が聞こえなくなったところでタナトスが切り出した。


「今回のターゲットはイノデス伯爵の兄、セグルク伯爵だ。罪状はざっくり言うとイノデス伯領内での横領、人身売買」


「はっきり言ってクズですね」


 暗殺対象ターゲットの罪状を聞いたアクリュスは嫌そうに吐き捨てる。席を移ってきたルグランジュも隣で顔をしかめていた。


(兄弟と言えど他領での不正。よく今まで兄上が放置しておいたものだ)


 皇弟として政務には関わっていないものの、兄ルグドラシュの政治面においての無慈悲さを知っているルグランジュは少し困惑していた。切れ者とされる兄がわざと泳がせておいたのか、気づくことさえできなかったのか。後者であればセグルク伯の背後には大きな権力がついているだろう。その予想にいたった彼は戦慄した。無論、この予想については隣のアクリュスもいたっており、仮面の奥で眉を潜めている。


「ああ。貴族以前に人間としての品性を疑う。だが今は置いておけ。そこで、だ。アクリュスはまだしも、ルグランジュ。お前はセグルク伯と面識があるだろう。殺れるか?」


 これは、第十三番隊暗殺部隊で暗殺者をやっている限り、誰もが一度はぶつかる壁である。暗殺対象ターゲット第十三番隊特殊部隊としての活動の上で嫌が応でも貴族との面識ができる。その貴族が必ずしも善良な人間とは限らない。昨日会って話をしたはずの貴族の名を次の日暗殺対象ターゲットの名として聞くこともあるのだ。

 そのことにルグランジュが耐えられるのか、タナトスは心配している。しかし、その懸念は無用だった。ルグランジュは第十三番隊暗殺部隊に入る以上、その暗殺対象ターゲットには貴族もいるだろうと覚悟していた。貴族という生き物がどれほど欲にまみれた後ろ暗いことをしているかを知っているからである。もとより兄皇帝のためにという思いが彼を動かしているため、暗殺対象ターゲットが知人であることへの躊躇いはほぼないに等しかった。


「問題ありません。それが皇帝陛下のためならば」


 まっすぐと自分を見つめる一対のアメジストに、タナトスはその覚悟の強さを見た。アクリュスも隣を見てはいないが、ルグランジュの決心が揺るぎないものであることを感じとる。


「なら、話を進めよう。セグルク伯の死をもって任務完了とする。期限は一ヶ月半だ」


 通常の暗殺任務であれば妥当な期限であるが、今回はルグランジュという新人がいる。それでは時間が短いのではないかとアクリュスが声を上げた。タナトスもそれは考えてい

たようで、もっともだと頷く。


「確かにルグランジュがいることを考慮すると短い。しかし、セグルク伯の行為の発覚は彼の甥、姪にあたるイノデス伯爵令息、令嬢による密告から。優先されるのは彼らの方だ」


 アクリュスは右肘をつき、仮面の上からこめかみに手を当てた。感情を圧し殺すように深くため息をつく。


(なぜ伯爵自身ではなくて子供たちが伝えに来るのかしら。伯爵が密告者であれば減刑されるというのに!)


 ルグランジュはアクリュスのあからさまな行動に一瞬怪訝な表情を見せるも、すぐに理解する。

 密告者がイノデス伯爵自身であれば、自領での犯罪を許しはしたものの、摘発したということで刑が軽くなる。しかし、今回のように伯爵ではない人物が密告者である場合、伯爵は自領での犯罪を許し、なおかつそれを野放しにし続けた愚者として重刑に処される。しかも今回は罪人が兄という血族であるため、厳刑は免れない。下手すると爵位剥奪及び斬首刑もあり得るのだ。


「アクリュスの考えていることは分からんでもない。だがもう過ぎたことだ。セグルク伯は暗殺。連座でイノデス伯と夫人は身分剥奪後無期禁固刑。令息クローディスはイノデス伯爵を継ぎ、降爵して男爵に。その後一年半の謹慎処分。令嬢オクタヴィアはイノデス男爵の養女、つまり実兄の養女となり、フラウデン伯爵家で一年半の謹慎処分だ」


 最後の部分でアクリュスがピクリと眉を上げた。仮面で見えてはいないが、タナトスにはそれが手に取るように分かる。


(聞いていないんだろう? どうせあの皇帝のことだ。自分で言うのが怖いから俺に言わせたに決まってる。クッソ、小僧が! 禿げろ!)


 アクリュスからまた八つ当たりを受けることがなかった決まったタナトスは、その原因であるルグドラシュを心の中で盛大に呪った。その効果が出るのはいつになることやら……。

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