第200話 そして世界は動き出す 【終】
「……もしもし」
「へえ、思ったより元気そうじゃん。鼻声なのは、ずっと寝ていたせい?」
電話に出た途端、「ああ、頼人だ」と思った。一見落ち着いていると見せかけて、この人を小馬鹿にした口調。こっちの世界に戻っても変わりはないらしい。
「魔王様は先に目が覚めただけあって、すっかり回復したようですな」
鼻で笑いながら言ってやると、電話越しから「くっ」と悔しそうな声が漏れた。どうやらあっちで魔王様になったことは頼人にとって黒歴史と化したらしい。ここに来て奴の弱みを握れて「してやったり」と思った。
いや、違う。そういうことをしたい訳ではない。
「なあ」
「あの」
声がかぶった。かぶったことで一気に微妙な空気になってしまった。どうしてこういう時だけ双子のシンクロをしてしまうのだろう。
すっかり気まずくなって言いよどんでいると、頼人が仰々しくも再び俺に話かけてきた。
「──ごめん。あっちでのことも……今までのことも」
その声は真剣そのもので、こんな神妙な感じで謝られたことがなかったから一瞬呆気に取られた。しかし、声だけでも頼人の真摯的な態度を察してしまい、俺も自然と口が動いた。
「俺こそ、お前を傷つけて悪かった」
そう。この謝罪は異世界のことだけでない。これまでのこと全てだ。
意味合いは言わなくても頼人にはこの一言で通じたようで、電話越しで「フッ」と笑った。
頼人がさらに話題を振る。
「年末、実家に帰るだろ?」
「帰るけど、お前は?」
「僕も帰るよ。その時でいいからさ、二人でご飯食べに行こう。奢るから」
「あ? お前と? なんでまた」
あまりに意外な提案に素っ頓狂な声が出る。こうして電話をすることすらなかったというのに、そんな俺たちが二人で外食だと? まったく想像できない事態に訝しく思っていたが、当の頼人は真剣だった。
「教えてほしいんだ。僕が壊そうとした世界のこと。じゃないと、いつまでもけじめがつかない」
その発言にハッと息を呑んだ。こいつなりに償おうとしているのだ。怖そうとしてしまった世界のこと。そして、犠牲になってしてしまった人たちのこと。この世界でその事実を知っているのは俺しかいない。
「わかった。俺も話させてくれ。お前にしか話せない」
そう言うと、頼人が笑ったような気がした。
「じゃ、約束な。忘れるなよ」
そう言って、頼人は一方的に電話を切った。
少し先の約束。たったそれだけのことなのに関係性が変化している。それが電話を切ってからのほうがじわじわと実感して、なんだか胸が熱くなった。
──アンジェ。俺、仲直りできそうだよ。
もうこの世界にいない友人に告げる。答えは勿論、帰ってこない。
そんなことを思いながら虫食い模様の天井を見つめていると、病室の扉がガラガラと音を立ててスライドした。母親が飲み物を持って戻ってきたのだ。
「あら。もう電話終わったの?」
「あ、うん。これ、ありがとう」
借りたスマホを母親に返すと、母親は「どういたしまして」とニコニコ顔になった。弟と電話で話すだけでここまでホクホクするとは、俺たち兄弟はどれだけ親不孝者なのだ。ここに来て、これまでのことが途轍もなく申し訳なく感じた。
「母さん。俺、頑張るよ」
「いきなりどうしたの? 頼人に何か言われた?」
「別に。ただ、そう思っただけ」
母親には不思議そうに首を傾げられたが、頬は楽しげに綻んでいた。そんな彼女に見つめられるとなんだか恥ずかしくて、俺は逃げるように彼女から視線を背けた。
窓に写る街並みを見つめながら、ひとつ息を吐く。
そこから見えた景色は、背の高いビルがいくつも建っていて、コンクリートの大地がどこまでも続いている。排気ガスを吐きながら行き交う乗用車。スマホを見ながらうつむいて歩む人々。なんの変哲もない、この世界の日常風景だ。
それでも俺は思った。俺の世界も、そろそろ変えないと。今ならそれができるような気がして仕方がなかった。
◆ ◆ ◆
一度心臓が止まった俺は、この世界でも転生者だった。
ただし、「魔王を倒す」なんて大それたことはしない。ただ、目の前のタスクをとにかくこなしていくだけ。それでもこれまでだらだらと日々を過ごしていた俺にしては大きな変化だった。
自分が落ちこぼれていることは知っている。でも、落ちこぼれなりにもできることがあることも知っていた。だから俺は、俺のできることを懸命に探した。【
あれから二年。
なんとか大学を卒業できた俺は、市内の中小企業に就職することができた。小売業界の営業だ。しかし、毎日ノルマ、ノルマと同じことを何度も言われ、上司にはこき使われ、気づけば立派な社会の歯車になっている。それでも、魔王を倒すことに比べればずっと楽だ。
ちなみに、こちらの世界に戻ってきた魔王様は、公務員というお堅い仕事に就いて今日も役所で働いている。「魔王様が公務員」というところだけ聞くと片腹痛いが、頼人には合っているみたいで卒なくこなしているらしい。そんなことを、先日本人から聞いた。
元々の出来が違うのだ。頼人との差は埋まらない。それでもいいでもいいと思った。頼人には頼人の。俺には俺の世界がある。その中で精いっぱい生きればいい。そうやって言い聞かせて、今日もこの世界で息をする。
それでいい。それでいい。そう言い聞かせているのに、日々この世界から抜け出したくなるのは、俺が『エムメルク』を恋しく思っているからなのだろうか――
そんな複雑な感情を抱きながらも日々を過ごしているうちに、今年も夏が来てしまった。
「あー、あちぃ……」
肌が焼けるくらい強烈な日差しに、ゾンビみたいにうなだれながら道を歩く。
ここは北海道。北の大地。なのに気温は三十六度。ついでに二年前のこの時期は三十度。この二年の間に何があったというのだ。暑くて死ぬ。マジで溶ける。
それなのにスーツを着て歩く俺。こんな地獄、前にもあったような気がする。
クールビズ? 我が社にそんなものはない。
「ちっ、この暑さのせいで
独り言ちりながら、俺はスーツのポケットに入れていたセリナの首飾りを取り出した。
セリナからもらった首飾りは、こうして肌身離さずに持っていた。こうして持っていることで、少しでも『エムメルク』の世界に触れているように思えるのだ。残念ながら、
帰ったら、
そんなことを思いながら、ふらふらと人気のない道を歩く。そんな時だ。
「にゃー」
どこからか、気の抜けるような猫の鳴き声が聞こえてきた。その鳴き声に俺は思わず立ち止まった。
持っていたセリナの首飾りがぼんやりと藍色に光る。そんなあり得ない光景に愕然としながら
毛の長い、不思議な青い猫だ。俺をじっと見つめながら、人を小馬鹿にするようにニンマリと笑っている。だが、そんな憎たらしい笑みが痛いほど懐かしくて心が震えた。
「よお」
猫が俺に話しかける。その声も、ぶっきらぼうなその態度も、何ひとつ変わらない。
猫は言う。
「お前──世界を変えたいか」
その声がけに、俺は思わず息を呑んだ。
これは、前にも同じことを聞かれたことがある。
奴の問いに、涙を拭きながらはっきりと告げる。
「……変えられるものなら」
あの日と同じように答えた俺に、猫は「決まりだな」とまた笑った。
胸に激痛が走る。その痛みすら、心地良く感じる。
ああ、うん。そうだ。こんな感じだった。
涙が出るくらい痛むはずなのに頬が自然と綻んでいく。
「久しぶりだな、勇者様――ようこそ、こちらの世界へ」
苦しむ俺を見下ろしながら、猫は言う。
そんな憎たらしい奴の声を聞きながら、俺はひとり静かに目を閉じた。
『転生するのにベビー・サタンの能力をもらったが、案の定魔力がたりない』終
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