第197話 その唇に吸い込まれる
アンジェに開けてもらった玄関扉から外に出る。なんとなしに空を見上げると、岬から見える空がほんのり色づいていた。
セリナは岬にポツンと置かれた切り株を背もたれにしながら、海も眺めずにずっとうつむいていた。何か作業をしているようだが、いったい何をしているのだろうか。
ゆっくりと近づこうと一歩踏み込むと、セリナが「できた!」と嬉しそうに声をあげた。何ができあがったのかはここからではわからないが、話しかけるにはちょうどいいタイミングだ。
「お疲れ」
背後から声をかけたのが悪かったが、セリナは俺の声に肩が竦み上がるくらいびっくりしていた。
「ム、ムギトさん! まだ休んでなかったんですか?」
「寝たら時間になっちゃうだろ。ほら、これ、アンジェが」
「あ、ありがとうございます」
と、セリナは服のポケットに手を入れてからマグカップを受け取った。
軽く触れたセリナの手はかじかんでおり、氷のように冷たかった。
マグカップに触れると、セリナは「温かい……」と嬉しそうに目を細めた。
アンジェがくれた飲み物はホットミルクだった。セリナの隣に座って、一口飲む。蜂蜜を入れてくれたみたいで、口に広がる甘味に心がホッとした。
ホットミルクを飲んでいる間、妙な沈黙が流れた。大人しく飲み物を飲むなんて別に珍しくもなんともないのに、俺は手が震えるくらい緊張していた。
この沈黙をやぶるために、当たり障りのない話題を振る。
「朝からずっと動いているけど、疲れないのか?」
「ギルドの仕事で徹夜は慣れっこなので……こんな時まで気を遣わせてすいません」
セリナが「あはは」と笑うが、浮かべる笑顔はいつもよりぎこちない。だが、このぎごちなさは、疲れからではないように思える。
再び沈黙。出会ってから随分と経つのに、こんなに時間が長く感じるのは初めてだ。なんて話そう。何を話そう。リオンにも、アンジェにも、あんなに素直な言葉が出てきたのに、まったくもって言葉が出てこない。言いたいことは、山ほどあるはずなのに。
そうやって尻込みしていると、セリナに「あの」と声をかけられた。徐に顔を上げると、セリナが自分のポケットから何か取り出していた。
「これ……よかったら受け取ってくれませんか?」
セリナが何かを握ったまま手を差し出してきたので、俺も手のひらを広げてみた。
セリナが置いてくれたのは、楕円形の藍色の石がついた首飾りだった。
「これって、リオンの首飾りに似てる?」
「そうなんです。リオン君のを真似て作ってみました」
「え、これセリナの手作り? すご……」
感心しながら薄明るい空にかざしてみる。藍色だと思っていた石だが、石の中でぼんやりとオレンジ色に発光しているのが見えた。蛍のような小さな光ではあるが、オレンジ色の光の隅で赤と緑にも光っている。まるで何かに反応しているみたいだ。ひょっとして、この石は
月にかざしていた手を下ろすと、徐にセリナが俺に手を重ねてきた。あまりに急なことに声も出ないくらい驚いていると、重なりあった手からオレンジ色の淡い灯りが漏れていた。手の中にある石がさらに光を放っているらしい。
「……私に反応して光っているのです。形はリオン君の首飾りを真似ましたが、能力はライザさんの水晶玉に近いでしょう。ムギトさんがどこに居ても、私たちのことを見つけられるように──」
そこまで言ったところで、セリナの手の甲にぽたりと雫が落ちた。顔を上げると、セリナの大きな目からぽろぽろと涙がこぼれていた。
「あはは……無事に完成したから感極まっちゃいました……」
と、涙を拭きながらセリナが笑う。しかし、何度涙を拭いてもセリナの目から流れる涙は止まる気配がない。
そんな彼女の泣き顔を、俺は黙って見つめていた。
涙を誤魔化すように、セリナが言葉を紡いでいく。
「一度鑑定をしていたから、理屈はわかっていたんです。でも、効力を逆にしたり、
話せば話すほど、セリナの声が震えていく。もう顔も歪んでしまうくらい、涙がこぼれいく。残りわずかな時間。理解したうえで、彼女はその時間を使って贈り物を作っていたのだ。もう会えるかもわからないこの俺に、自分の仲間を見つけられるサーチ付きの首飾りを。
「セリナ……どうして……俺に……」
ここまでしてくれるのだ。そう言いたいのに、口が震えて言葉が上手く出てこない。時間も、労力もここまで削って、なんで俺に、こんなものを──
そう思っていたら、セリナが顔を濡らしながらも優しく微笑んだ。
「だって、『また会える』って思っていたいじゃないですか」
その笑顔が儚くて、淡くて、息が詰まるくらい切なくて、気がつけば視界が涙で歪んでいた。
一瞬。その一瞬だけ、時が止まったように思えた。
「…………え?」
だいぶ間を置いてから、セリナから戸惑いの声が漏れた。しかし、そんな声がしても、俺は彼女への抱擁を止めなかった。
最初は強張っていた彼女の体が、徐々に力が抜けていく。拒む気配がないので、俺は彼女の両肩を軽く掴んだまま、そっと体を離した。
セリナのうるんだ純真な目がじっと俺を見つめる。その美しい瞳に心を奪われていると、やがて彼女がその大きな目を静かに閉じた。ほんの少しだけすぼめた唇。その薄い唇に吸い込まれるように、俺はそっと口づけをした。
冷たく、柔らかい唇は、一度重なると吸いついて離れなかった。快楽はない。ただ、お互いの存在を刻むように、何度も何度も触れあった。
ありがとう。
ごめん。
あいしてる。
彼女に伝えるはずの言葉たちが、浮かんでは、消えて、それをくり返して。泡沫と化した言霊は、唇に宿って彼女に伝わせる。その思いに応えるように、彼女の腕が俺の背中に回って俺を包み込んだ。
優しい口づけ。温かい抱擁。それなのに、夜風に吹かれた頬はいつまで経っても冷たいままだった。
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