第130話 赤い空、青い月に、黄色の稲妻


 ぼんやりと天井を見ながら眠気が来るのを待つが、俺を邪魔するように今度はノアが顔を覗き込んできた。



「よう……まだ寝ねえのか」

「こんな状態で寝れると思うか?」

「なんだ、意外と繊細なんだな」

「繊細とか関係ねえよ……っと」



 小声で会話しながら俺の上で眠るリオンをそっと抱える。

 起こさないように優しくゆっくりとリオンをベッドに寝かせると、俺は彼らが起きないように静かに部屋を出た。



 そんな俺に続いて、ノアもピョンっとベッドから飛び降りる。



「どこか行くのか?」

「外。夜風に当たってくる」



 眠れないというのもある。だが、こんな大所帯の部屋ではノアとは会話できないというのがここを出る一番の理由だ。あまりノアと会話しているところは人に見られたくない。



 三人を起こさないようにそのまま外へ出る。

 眠らない貿易の街もこんな郊外までは灯りは届かない。俺を照らすのは海面の上で光る月と、灯台の灯りだけ。



 細波の音が静粛な夜の空間に響き渡る。

 ぽっかりと浮かぶ月の光は海面に反射してむしろ眩しいくらいだ。だが、この光景が美しく、俺は砂場に座ってぼんやりと眺めた。



「物思いに耽るなんて、珍しいじゃねえか」



 俺の隣にノアが座る。こうして二人で話すのも久しぶりな感じがした。



「耽ってねえよ。ちょっと考えていただけだ」

「死んだ市長のことか?」

「それもあるけど……アンジェの言っていたことのほうが気になる」



 そう言うと、ノアのひげがピクッと動いた。



「アンジェの話、ノアはどう思った?」

「実に興味深かった。聞いていて面白かったぜ。神の使いの立場としてもな」



 その言い草だとアンジェの言うことは間違いではないと言うことだろう。

 問題は、魔王はいったいいつから動いていたのか……

 魔界に潜んでる時から? そもそも魔界って?



 そう考えるうち素朴な疑問が浮かんだ。

 魔王の存在はみんな知っている。しかし、存在だけで実在しているかは知られていない。

 けれども、魔王はすでに誕生していて、水面下で動いている。いったいどのタイミングで復活となるのだろう。地上に出た時から?



「魔王ってもう生まれてるのに、エムメルクの人はどうやって魔王が復活したことが伝わるんだ?」



 今更ながら聞いてみると、ノアはいつものように淡々とした口調で答えた。



「『赤い空に青い月が浮かぶ時、大地から稲妻が流れる』」

「……なんだそれ」

「エムメルクの言い伝えだよ。覚えとけ」

「へいへい。要するに魔王様はド派手に登場するってことな」



 気になるワードがいくつかあったが、ノアのことだから面倒くさがって教えてくれないのだろう。



「やれやれ」とため息をしながら太ももに肘を突く。

 すると、なんの前触れもなくいきなりノアの耳がピンと立った。



「……誰か来るな」

「こんな時間に?」



 ノアが灯台の方向を見つめながらスッと姿勢を正す。

 彼の言う通り、向こう側から黒くて小さな人影が見えた。



 その影はランプを持っており、遠くからでもゆらゆらと火が揺れているのがわかった。



 人影がどんどん近づく。

 あの腰が曲がった小柄なシルエットは――アイーダのばあさんだ。



「おや、起きていたのかい?」



 アイーダのばあさんは俺を見て一瞬意外そうな顔をしたが、名前が出てこないのか首を傾げた。



「……ムギト。ついでにこっちはノア」

「そうそう、ムギト君だ。それで、こんなところでどうしたんだい?」

「眠れなくて夜風に当たりに来た。ばあさんこそどうしたんだ?」

「わしは息子たちに夜食を届けてたんだ」

「こんな時間に夜食……大変だな」



 そういえば、灯台守は住み込みで働いているのだった。

 こんな時間まで働いているなら腹も空くだろう。差し入れするほうもご苦労なことだ。

 だが、アイーダのばあさんは「そんなことないよ」と目を細めて首を振った。



「前と比べたら今なんてとても楽さ。住み込みとはいえ、うちからも近いし、何よりあの灯台も新しくて綺麗だしねえ」

「あー、そういえば灯台が新しくなったって言っていたな」

「そうなのよ。前なんて向こうの岬のほうにあったから通うのが大変でね。でも、こんな老いぼれでも通えるようにってリチャード様がうちの近くに建ててくださったんだ。おかげですぐに息子や孫の手伝いをできるようになったんだよ」



 しみじみとしながらアイーダのばあさんは灯台の光を見つめる。

 きっと亡くなったリチャード市長のことを思い出しているのだろう。一市民でも暮らしやすいように気をまわす辺り人望は厚かったのかもしれない。



 アイーダのばあさんと一緒に灯台の光を見つめていると、岬のほうにある高い塔が光に照らされた。

 あれがばあさんの言う昔の灯台か。あんな街から離れたところまで通うには確かに骨が折れる。



「あんなところ、どうやって行ってたんだ?」

「晴れた時は小舟で近くまで行っていたけど、嵐の時は地下水路を通って行くか、街を出てぐるっと回って行っていたねえ」



「風の魔法が使えたら楽だったんじゃが」と彼女は続ける。想像するだけで面倒臭そうだ。

 それに比べて今は街の中に灯台がある。リチャード市長に感謝する訳だ。



「本当、二ヶ月前のことが嘘のことのようだよ」

「あ、意外とそんな最近の話なんだな」



 それでもあの新しい灯台は【大工カーペンダー】の人たちが一週間もしないうちに建てたらしい。魔法の力ってすげー。

 ……あ?

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